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美しい男は暇を創れる男。忙しさを至らなさとして恥じる心をもつ男。

このあと、
「自分のしたいことに駆けつける器量と才覚を
もっている男。」

と続く評論家・犬養智子さんの書を知ってから、
うかつに「忙しい」などと言えなくなった。
この言葉は、「忙しい」のを自分への評価などと考えず、
そうした事態を引き起こした自らの仕事や生活のスタイルを
省みる意識をもつべきと述べているのであり、誠に正論である。
また、いかに時間がなくとも、価値ある経験を逃す愚を犯すな、と
たしなめてもいる。「耳が痛い」とはこのことだ。

さらに、あまり「忙しい」を強調し過ぎると、
「自分は世のなかで一番忙しい」という空気を醸し出すので注意したい。

言った相手が、そんな自分より時間が足りないなかで
やりくりしている場合も数多くあるのだ。
しかしときに「忙しいですか?」と訊かれる場合もあるが、
そんなとき私は「そうですね、いまは睡眠時間を削っています」と答える。
もちろんこれは単に「忙しい」と言うのを逃げているに過ぎない。

私が「忙しい」と素直に言えるのは父母の前だけで、
親孝行の一つでもある。


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