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いいこと、何もねぇ。

北緯45度の日本海上に浮かぶ北海道・礼文島(町)。
日本最北の地・宗谷岬よりわずか南にある
この人口約1200人ほどの島で、
深夜、レジ袋を提げて灯りなき道を歩く一人の老婆に、
「家、ついて行ってイイですか?」
スタッフは声をかけた。

案に反してその提案を受け入れた、
「てる子」という名の
81歳の女性は、はかに人家もないこの辺りで
困り果てたスタッフを見かねたのか、
それとも
ご主人をなくした身で話し相手がほしかったか。

ここから、てる子さんの、
波乱万丈という言葉では言い尽くせない
人生が語られ始める。


母を投げ飛ばすような暴力をはたらく父のもとで育ち、
最初の結婚相手だった前科者からはすぐに逃げだし、
札幌・すすき野の夜の世界へ。
ここで年上の漁師が嫁を探していると聞くと、
再び逃げるように30歳で礼文島へ。
一人息子は「覚えとけよ」の一言を残して10代で家を去り、
心通わぬままの亭主とは数年前に死に別れて一人。

タイトルの「いいこと、何もねぇ」の一言は、
そんな人生を語るなかで放たれた。

しかし、そのあとてる子さんは、
結婚当初の生活を振り返ると、
醤油で煮たつぶ貝と酒を出し、
夫や漁師仲間と語り合った時間を
少しずつ思い出し、
つぶやくように語り始める。
そして、

「いいこともあった」と、
ついに人生を自ら構成し直すのだ。

帰り際、床に転がった置時計を見たスタッフが
「もう動かない」というてる子さんの言葉をさえぎり
仕事用の電池を入れた。
すると、秒針が「俺はまだ働けるよ」とでも言うように動きだす。
それは、脚本のないこのインタビューのなかで、
てる子さんの、恐らく新たな時間が動きだした
瞬間を象徴するかのような場面だった。

いい人生なんて、心の置き方しだい、なんだ。

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