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あなたという人生の舞台に音楽を鳴らせ。(旅にまつわる身体と心の音楽論)

人生が生まれてから死ぬまでの舞台だとしたら、BGMというのはその物語を支える重要なファクターであり舞台装置である。

ありとあらゆる世代やジャンルの音楽に、一瞬でアクセスできるこの時代。
その舞台のちっぽけな登場人物の一人である僕らが、気軽にそのスイッチを手にできるのは僥倖とも言えるだろう。

だから、時として思った筋書きどおりにコトが進まなかったり、あるいは背景がひっくり返るような事態に見舞われた時に、僕らは音楽の力を使って、自分という登場人物の心理情景を描写したり、上書きして表現することを試みる。

そうすることによって、僕らは舞台上の登場人物でありながら同時に観客でもあるからして、その時々の主人公に共感して寄り添ったり、あるいは心を奮い立たせたりするわけである。


さて、話は変わるが、僕は旅が好きだ。とりわけ、我が身一つで自由気ままにフラフラと行く一人旅が大好きである。

登場人物の多すぎる現代社会の日常の中から飛び出した時、広い広い新しいステージで「好きなように演じてごらん」と言われた主人公のような気分になる。

これまで縛られてきたプロットや積み重ねてきた役柄から自由になり、心の赴くままに身体を動かし、そこで出会う新しい登場人物とエチュードを繰り広げる。

僕自身はあまり「人見知り」だと言われることは少ないが、そう呼ばれる人たちが「旅先の方がむしろ大胆に振る舞える」と言う気持ちが、僕はとてもよく理解できる。

そんな僕にとって(別に僕だけではないのは言わずもがな)、コロナ禍というものはまさにステージがひっくり返るような大変な事態であった。
特に2020年のゴールデンウィーク、例年なら瀬戸内海の島に行こうか、はたまた緑豊かな森の中に行こうかと胸を高鳴らせるこの時期に、移動という行為自体が悪とされてしまったのである。

そんな時期に、「せめて耳だけでも旅気分を味わいたい」と、僕が作ったプレイリストが2つある。後から追加された楽曲もいくつかあるが、ほとんどがその当時のものであるはずだ。

まず最初に作ったプレイリストだが、これはある意味では成功であり、ある意味では失敗であった。

成功の理由は簡単で、タイトル通り「思わず旅に出たくなった」からである。
失敗の理由も簡単で、当然この時「旅に出たくなっても出られない」からである。

そこではたと考えたのは、「旅という状態」には、“ここではないどこか“への「衝動」や高揚感とはまた別の要素があるはずだ、ということである。

それを踏まえて作成したプレイリストがこちらとなる。

イメージとしては、「旅先のゲストハウスのラウンジで流れていそうな曲」である。

ザ・メジャーシーンJPOP育ちの僕は、いわゆるそういう“センスの良い曲“を知っているわけではなく、はじめはハンバートハンバートから見よう見まねで関連曲を拾っていったのだが、もう一つのプレイリストとは趣の異なるゆったりとしたリズムとテイストの曲が集まったのは、多分それだけが理由ではないと思う。

僕がゲストハウスの雰囲気が好きなのは、自分にとっては旅先という非日常でありながら、そこが「もうひとつの日常」であるからだ。

ゲストハウスやそのオーナーさんによって個人差はあるものの、総じてこちらが「観光客」であることを殊更に強調しない。それは決して「おもてなし」がないということではなく、その地に住まう彼らの生活の中に招き入れてもらう感覚だ。

だから僕らは「ゲスト」であるのと同時に、あたかもその場所で自分も暮らしているかのような心地よさを味わうことが出来る。

本当に生活をしていれば、ウッドデッキのお洒落な空間で珈琲を味わったり、舌に染み入る優しい味のお味噌汁で1日をスタートしたり、なんて余裕はそうそうない(コロナ禍でそんな丁寧な暮らしに目覚めた人もいるだろうが、僕には無理な芸当であった)。

それはあくまで「疑似的な日常」なわけだが、旅先のゲストハウスのラウンジというのは、そういう「あったらいいな」の自分を体験できるもうひとつの舞台である。

先に紹介したプレイリストが “ここではないどこか“ へ自分を突き動かす「衝動」だとしたら、後に紹介したそれは “ここではないどこか“ に生きる自分への「憧憬」といえるだろうか。

どちらも “いま、ここ“ からの離脱を求めるものではあるが、前者は身体的な、後者は心理的な逃走と言い換えてもいいかもしれない。

よって振り返ると、物理的な移動が制限されていた当時、身体的な「衝動」を促す楽曲たちがフラストレーションを溜めるばかりの逆効果であったことが改めて納得がいく。

後日談だが、2022年のゴールデンウィーク、久しぶりに新幹線に乗って遠出をした。

車両がスピードを上げ、重力が身体を引き止めるのを引き剥がしていく感覚。
窓の外の誰かの暮らしという暮らしが、ビュンビュンと過去へと流れ去っていく。

言葉は悪いが何故だか僕は「ざまあみろ」と笑い出しそうになり、その時に聞いた「衝動」の方のプレイリストは最高に気持ちよかったため、これは仮説の裏付けとなる体験となった。


少しずつ移動という行為に対しての制限も緩みつつあるが、まだまだ人によっては制限・しがらみ・ためらいが拭えない状態が続くだろう。

また、コロナ禍を差し置いても、現在このnoteを書いているのは6月。
例えば雨などの気象的な要因や、もしくはそれ以外の外的・内的な要因で、旅がしたくてもできない人はこれからもいるかもしれない。

そんな時に、ふとしたご縁で目にしたこの旅にまつわる2つのプレイリストや、ここまでの書き殴った駄文が何らかのきっかけになれば幸いである。

繰り返しになるが、たとえどんな世界になったとしても、その舞台に流すBGMのスイッチは、今この瞬間にあなたの手にあるのだから。

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