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自分が成し遂げたことを褒めてあげよう

最近は、仕事で少し不安になったり、行き詰まりを感じた時は、「岩田さん」を読んで心を落ち着ける日々です。岩田さんの語り口そのままの文章が並んでいるので、読んでいるとまるで岩田さんと直接お話しているような気分になってきます。シンプルだけど(がゆえに)学びのある言葉がいいんですよね。

今日はこの部分を読みながら「そうだよなあ」と思っていました。

自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、ご褒美のほうが大きいと感じたら、人はそれをやめない。だけど、返ってきたご褒美に対して、見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。

ここで岩田さんは、英語でもゲームでも、自分が力を注ぎ込んだことから得られるご褒美がないと続かないよね、と言っています。そして、例えば絵を描く人は、誰に頼まれるわけでなく絵を描いて、それを周りの人が褒めてくれて、それが嬉しくてまた絵を描いて上手くなっていく。このループ、つまり自分でなにか努力をして、そこに「ご褒美」を見つけられるかが大切なのでは、と岩田さんは続けます。

つまり、才能というのは、「ご褒美を見つけられる能力」のことなんじゃないだろうかと。「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。

この、「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないか、というのは、私が20年ほど仕事をしてきて実感としても深く頷ける部分です。

例えば、もっとお金を稼ぎたい、とか、出世したい、というのは確かにシンプルで分かりやすいですし、仕事をする動機づけとしては強いです。そういうシンプルな行動原理で大きな実績を出して偉くなっていく人も仕事の現場では多いですよね。

一方で、報酬や地位といった「外的」な要素を「なしとげること」ことにばかり注意が行ってしまうと、どこかで止まってしまう、ある種の燃え尽きに至ってしまう人もまた多いです。というのも、ある程度の報酬や地位を得てしまえば、その達成から得られる喜びや快感は減っていきますから、次の目標が見つけにくいんですよね。

それに対して、岩田さんが言うような「なしとげたこと」に快感を感じられる、楽しめる人は強いです。営業の人ならお客さんに感謝された瞬間、マーケティングの人なら企画がうまく当たった瞬間、などなど。別に大きなものでなくても、自分がしっかりと力を込めて頑張ったことに対して、良いフィードバックを得られることに喜びを感じられること、そしてなにより自分で自分自身に対して「よくやったな」と褒めてやれるかはとても大切だと思います。

私も、管理部門の仕事が面白くなってきたのは、一つの業務プロセスを丁寧に作り込んで、みんなが困っていた課題がうまく解けた時に快感を感じられるようになってからです。

他の人から見たら地味だし何が面白いのか分からないような仕事に対しても、熱意を持って取り組んで、それを解決するうまい方策を見つけ出すことは価値があるし、人からも感謝されるし、なによりその作り込んでいく「プロセス」は面白いんですよね。こういう喜びや快感の重要性をうまく伝えたいなといつも思っています。

★ボーナス・トラック★
ここ数年は本業であまりいい仕事ができてないと感じてるんですが、その理由を「なしとげたことへの快感」不足の側面から書いてみました

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