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エクセルに残された神田さんの痕跡

30歳になった年に日系メーカーから外資系IT企業のコンサル部門に転職した僕は、一言で言うと「使えないコンサル」だった。プロジェクトマネージャーの話がぜんぜん理解できなかったし、まともな資料作りひとつできなかった。案の定リーマン・ショックのすぐ後に会社の業績が悪化すると、リストラのプログラムが動き出し、僕もその対象候補になってしまった。

なんとかリストラを避けようと社内での異動の可能性を必死に探り、見つけてきたのがコンサルタントやエンジニアの稼働を管理する間接部門。「稼働率管理」という業務の性格上、現場からは嫌われがちな部門だったけれど、そんなことを気にする余裕はその時の僕になかった。必死に準備をして自分のやってきたこと、できることをアピールして幸運にも異動が認められた。そして、その部門にいたのが神田さん(仮名)だった。

神田さんは50代の男性で、痩せているけれど、色黒で鋭い眼光が印象的な人だった。寡黙な人で、話しかけてもボソボソと返事があるだけ。何を考えているかよく分からない人だな、というのが正直な第一印象だった。

彼とは担当業務が異なっていたので、普段あまり交流はなかった。時々業務で分からないことがあった時に質問するくらい。覚えているのは、神田さんの説明が難解だったこと。

僕としてはちょっとした業務上の疑問を聞いたつもりでも、神田さんの説明は、細かく、そして長かった。まだ異動したばかりで業務用語などをよく理解できていなかった僕は、それらしく相槌を打っていたけれど、本当に知りたかったことにはいつもたどり着けなかった。

深く印象に残っているのは部署の飲み会のときのこと。神田さんと席が隣になってはじめてゆっくりと話すことができた。職場の時と変わらずぼそぼそと話すのだけれど、日本酒が進むにつれてめずらしく饒舌になっていき、彼の思い出話がはじまった。

「入社してすぐから、ずいぶんと長く金融機関のシステムを担当していましてね。ずっとコンピューターのそばにはりついていると、なんというか、落ち着くんですね」

「コンピューターと対話してるといいますか。彼らの声がなんだか聞こえてくるような気がするんです」

「システムでトラブルが発生すると、いろいろと原因を探るわけですが。そういう時に彼らの声に耳を傾けるんですよ。じーとね。そうすると解決策がね、不思議なもので浮かんできたりするんです」

そう言って神田さんは笑っていた。まるで学生時代の「友人」との思い出を話している時のように、優しく、そして親しみをもった顔で。

僕はメーカーにいた頃からエンジニアの話を聞くのが好きだった。こちらが技術についての質問を投げかけると、普段は無口でおとなしい人でも、とたんに熱のこもった口調で、その技術の構造や画期的な部分を語ってくれる。

神田さんも同じだった。技術を愛し、そこにのめり込んで深く理解しようとする。だから、その語り口には愛情が込められていたし、そこには物語があった。結局その日の飲み会は2時間の間ずっと神田さんの話を聞き続けていた。

僕がその部門に異動して1年ほど経ち、悪戦苦闘しながらなんとか業務にも慣れてきたころ。会社の業績はふたたび下降線を辿っており、早期退職のパッケージが全社にアナウンスされた。そして、しばらくしてから同僚から神田さんがそのパッケージに応募することを決めたらしいと聞いた。

その噂を聞いた数日後。マネージャーから神田さんの退職が発表された。

外資系にいる人なら分かると思うけれど、マネージャー以上の管理職はリストラ目標の「達成」に責任を持つ。誰もはっきりと口にはしなかったけれど、神田さんがその対象になったであろうことはみな分かっていた。

いよいよ神田さんが退職する日が来た。最終出社日はチームみんなが集まって、退職する人に花束とプレゼントを渡すのが慣例になっていた。まず、マネージャーの杉村さん(仮名)が神田さんとの思い出を語った。彼がいかにチームのインフラ部分を支えていてくれたか、そして、まだマネージャーとして未熟な自分が彼をいかに頼りにしていたか、と。

マネージャーの挨拶のあと、きれいにアレンジされた花束とプレゼントが神田さんに手渡された。その瞬間、彼をまるで「父親」のように慕っていた同僚の久保さん(仮名)が突然泣き出した。

「神田さん辞めないでくださいよぉ」

彼女はまさに泣きじゃくり、体を静かに震わせながらこう繰り返した。神田さんは一瞬戸惑ったようだったけれど、いつものように大きく表情を変えることはなく、泣いている彼女のことを優しい雰囲気で見つめていた。

僕は久保さんがよく話していたことを思い出していた。

「神田さんとはねえ、あの大変な管理業務を一緒にゼロから作り上げたんですよ!」

「朝から晩まで隣の席に座って作業して。彼氏よりよっぽど長い時間一緒に過ごしてましたよ(笑)。しかも神田さん頑固だし!」

彼女の語り口から、神田さんとともに「形のあるもの」を作り出した記憶に対する愛着が伝わってきた。

神田さんが最後の挨拶をはじめた。

「入社して30年になりますが、最後にこの部門で仕事ができてよかったです」

「わたしは、つい没頭してしまうタイプでして。若くて優秀な杉村さんに助けてもらって、いい機会をもらえました。みなさんありがとうございます」

いつものように、ぼそぼそと、少し目線を下にそらしながら淡々と語る神田さん。語り終わると、部署のみんながあたたかく拍手をする。神田さんはちいさくお辞儀をして、その「お別れ会」は終わった。

神田さんが会社を辞めたあと、彼が担当していた仕事を僕が引き継ぐことになった。彼が残していったエクセルファイルを開いた時、正直言うと面食らった。わかりにくく入り組んだ関数が使われていて、プロセスの説明につけられている文章は冗長。最初は全てが支離滅裂に感じられた。

僕は焦った。このファイルを解読しなければ、売上数千億円の経営管理の肝となる、部門の重要な業務が滞ってしまう。とにかく一つ一つファイルに書かれている関数と文章を注意深く最初から読むことに決めた。

その作業に没頭し、オフィスにはもう数人しか残っていない夜遅く。僕は不思議な感覚を抱き始めていた。そのファイルから、神田さんが背中を丸めてモニターに顔を近づけながら作業していた、あの姿が浮かんでくるような気がしたのだ。そして、その少し支離滅裂に思えたプロセスを説明する彼の文章から、神田さんがその業務に注ぎ込んだ熱意や真剣さが伝わってきた。そこにはたしかに神田さんの「痕跡」があった。

まるでファイルを通じて彼と会話しているようだった。

「このプロセスはこう最適化すべきですよ。ここにリスクがあるから気をつけて下さいね」

普段の神田さんは無口だったけれど、そのファイルから聞こえてくる彼の「声」は饒舌で、親切で、そして温かった。

彼は生粋のエンジニアとして、自分が担当している仕事に強い責任感を持ち、それが問題なくいつも円滑に動くことに情熱を燃やしていたのだ。それはなかなか表面上は見えにくいし、僕も彼を少し誤解していた。ファイルを解読しながら神田さんの本当の思い、職人としての心意気に直接触れたような気がした。

神田さんが退職してから数ヶ月が経った頃、マネージャーの杉村さんとランチに行く機会があった。

「神田さんだけど、日系企業のシステム部門に転職したみたい。うまくやれてるといいけど」

彼女の話を聞きながら、僕はエクセルに残された神田さんの「痕跡」のことを思い出していた。直接彼と話していた時よりもはるかに雄弁で、熱のこもった彼の想いが詰まったあのファイルのことを。

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