深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

昨今、我々の?界隈では、ソフト指し問題で色々と騒がれています。言論の自由があると思うので、批難することはある程度の範囲でなら良いと思いますが、あまり度を過ぎたら良くないよということで。今回は、そんな疑いを持たれる側と持つ側の立場から考えてみました。

完全証明はほぼ不可能、だからこそ。

私にとって、ソフト指しの問題は疑われたら最後、無実を証明することが難しい問題だと考えている。例えば、これがスポーツのドーピングであれば尿検査で、飲酒運転であれば呼気に含まれるアルコールの基準値という明確な数値として有無を判断することができる。だが、ソフト指しにはそれがない。結局、ここが悩みの種なのである。

中には、将棋ソフトの立ち上げを検知するようにすればよいのではないか?という案もあるようだが、機能するとは思えないという意見が世の?大多数だ。私の意見としても今後テクノロジーの進化があってもソフト指しをしたか否かの証明することは不可能だと思う。本気で対策するなら、ペーパーテストのカンニング同様に、第三者が見張っていることでしか対応できないだろう。それもまた、やるかやらないかはさておいて第三者を買収する可能性があるために何とも言えないが。話をまとめると、ソフト指しの完全証明はほぼ不可能であろうと思われる。

一方で、ソフト指しと確定するのは難しいにせよ、そもそも疑われるという背景には、ある程度の根拠があるのも事実だ(でなければ、ただの言いがかりである)。だから、”李下に冠を正さず”ではないが、怪しいと思われてしまうような行動は可能な限り慎んだほうが良い。これは何よりも自分のためである。

ソフト指しを疑われらどうするべきか?

極端な話、普通のアマチュアならソフト指しを疑われるようなことはない。仮に、あったとしても本当にやっていないのであれば、これまで通り堂々としてればよい。そこであまりにも誹謗中傷がひどいのであれば、運営などに相談するのも一手だ。しかしながら、有名な人となると事情が異なる。当人にとっての不利益があまりに大きいと思われるからだ。なので、これに該当するような方々はある程度は負のイメージを払拭することに努めたほうが良いだろう。色々と方法はあると思うが、いくつか試し、それでもグチグチと言われるようであれば仕方ないと割り切るしかない。おそらく、そのような人はずっと貴方にとってそういう立場でいると思うし、それよりもほかの人と楽しくやったほうが幸せだと思う。

疑いをかけるなら礼儀は必要。

さて、立場は一転してソフト指しを疑う人にも一言いいたい。ニーチェの有名な言葉に”深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”というものがあるらしい。この言葉の解釈は色々とあるだろうが、私は人を試しているときは、自分も試されているという意味合いで受け取っている。つまり、人を批難するときは自分も批難されているということだ。決して自分は山の上から見下ろしてあれこれと勝手気ままに人を批難することはできない。これをよく考えてから、人に声をかけるべきであると思う。その上でも、言いたいのであれば感情的な思いは抑えつつ、事がはっきりするまでは礼節をもって対応するべきであろう。この手の話は、何度かnoteに記したが、それだけ大事だということを申し上げたい。

最後に。

基本的には、ソフト指しをやった・やってないという当事者間の争いは空しい水掛け論に終わる。私はネット将棋界というのは性善説で成り立っていると思うし、そうであってほしいと願う。

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