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夏至のメッセージ 2022 #22

2022年7月12日 井戸に浮かぶ人


目覚めるとお味噌汁の匂いがした、みかんさんは朝ご飯の支度をしています。

名人のお婆ちゃんのおかげでしょうか、体調は元に戻り、すっきりとしています。頭の中のおもたさも消えていました。

「お水と榊は替えておきました、お顔を洗ってご飯にしてくださいな」

顔を洗って席に着くと、ご飯とお味噌汁とお漬物、茹でた山菜の麹みそあえが並んでいました。

「みかんさんは食べないのですか」

「私たちは食べることに重きを置きません、身体を纏った時に脱ぐ時までに必要なエネルギーはほとんどチャージしてきました。ですからほんの少しの光のような食べ物やフルーツのようなものを摂れば十分です。あとは先生との食事を楽しむときに一緒の物を食べるくらいかな」

「光のような食べ物とは何ですか?」

「そこに出ているよな発酵食品、吸収しやすいから少しの量で十分です」

なるほどな、現代の人たちは食べることにこだわり過ぎているかもしれません、あれが美味しいとか、これが健康にいいとか、挙句にいつも食糧危機に恐れをなしている、餓鬼の世界はこんな感じかもしれません。

「おいしい?」

「うん、美味しい」

「さすがお婆ちゃんのお漬物とお味噌だな」

「えっ、お婆ちゃんが作ったの?」

「私ではこうはゆきません。それとね、宮司さんが聖なる井戸に行って水面に自分を映して観てくださいと言ってみえました」

そういえば本殿の裏に井戸がありました、ここで使う水はそこから引いてあるので普段は見ることはありません。

朝ご飯を終えて本殿の裏へ行きました。井戸の蓋をとって覗き込みます、綺麗な青空が映り込んでいますが、私の姿は影のようにシルエットが映っているだけです。

しばらく覗き込んでいると、そのシルエットが立体的になって私の横に立ちました。

横に立った彼は、少し疲れているようでした、背の高さからすれば私でしょう。少し猫背で服装も覇気がありません、どんな服も着こなしてきたけれど彼の服装には輝きがありませんでした。

「どうしたんだ、何か助けが必要かい?」

彼からの返答はありません、私の方へ顔を向けることもありません。彼の姿に軽いショックを受けました。

「私を見て見窄らしく思ったかい、軽くショックを受けただろう」

「いや、そんなことはないが」

「心配をするな、私ではなく今の自分を見ろ。手を前に出して見ろ、自信が、エネルギーが感じられるだろう。自分の姿は見ることはできないが、未来が掴める確信があるだろう」

確かに彼を見た時、信じたくなかった、私ではないと思いたかった。自分には確固とした成功のビジョンがあった、なのにこれか、また夢は消えるのかと落胆した。

「私は今までのお前だ、不安の中で死に物狂いで努力し、能力がないから眠ることを否定して人の倍時間をかけた、それしか方法を知らなかった。周りを見て自分より上がいないことを喜び上を見ることをしなかった。もう2度と私を見るな、未来を掴める感覚だけを信じろ、お前とは今日でお別れだ、2度と振り向くなgoodbye」

と言って彼は消えた。

祭壇の鏡にも姿が映らなくなった、井戸の水面にもシルエットしか映らなくなった。虚像の自分を見る必要がないということだろうか。

社務所に戻って、みかんさんに聖なる井戸でおこったことを話しました。


「先生の成功ってさ、何なの?すごく若くて、すごく綺麗で、有能なお嫁さんをもらうこと?、時間に縛れられずに自由に仕事をすること?目に見えないものたちと交流を深めること?ぜーんぶ持ってるよね、三次元と四次元にそれぞれ素敵な家族と家庭を持ってるのよ、わかってる?先生はすごいんだよ、とびっきりなんだよ、その上ですることがあるの」

「うーん、まさしくそうだね。みかんさんありがとう」

「わかれば、よろしい。今日もこちらに泊まるからね」

「えっ」

「だって新婚だし、心配だし、ね」


いつの間にか、周りとの比較でしか自分の幸せを確認できなくなっていたのだろうか、幸せの度合いは持ち物の比較で判断されるのだろうか。

社会は疫病や戦争や災害、数々の危機で不安を不安で煽っておいて、小さな幸せで洗脳しようとしているかのようです。


幸せという言葉は誰もが知っているけれど、何が幸せか解っている人が誰もいない。解らないから物質的、数値的比較でしか確認できない。なんと貧しい知性と感性でしょう。

霊体を伴わない身体や嘘がまかり通る言葉や文字という交信手段しか持たない人々は、進化に伴う次元上昇にどれだけ対応できるのでしょうか。

この数年で私の周りから多くの人が消えました、機械や流通を使う交流手段では消息すら分かりません、分からなくても何も困ることがありませんでした。
かえって自分の時間は増え煩わしい付き合いも無くなりました。親友というカテゴリーの人たちも会う回数が減ると友人や知人、機会があれば思い出す人になりました。

多くの人が消えた分、人間の形ではないもの、これまで交信することが無かったものたちが現れて来ました。これは新しいスタンダードになるのでしょうか。


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