『時をかける少女』を観て ~Time waits for no one~

仙台にいたりする。画像1

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夏が終わり、台風の季節に移ってきた。九州ほか各地、また台風来るから、どうか無事でありますように。

今、『時をかける少女』を観てるのですが、ラスト20分を前にどうしても書きたくなったので、こうして書いている。

ここからラスト20分は、

さりげない日常がどれだけ奇跡的でかけがえのない瞬間に満ちていて、それを本当に感じることができたときに人は話すべきことを話し、するべきことを決意できる

ということを見せてくれている、そう感じる、まだ見ていないけど(笑)。

何日か前、自転車で走っていて、カーブで柵にペダルが当たって思い切り転倒した。人差し指の付け根がどす黒くなり、右の胸もハンドルが当たったためになんだか腫れてきた。

それで思い出したことがあった。メスの豹がサバンナでサバイブしているドキュメンタリーを観たときに、オスの豹に獲物を横取りされてケガを負って、ケガしたためにその後獲物をとれずに何も食べない数日間を過ごしていく場面を思い出した。そのまま獲物が獲れずに衰弱すれば、なおのこと生き残れない。

僕は難しいことを言葉でしゃべったりするが、自分のことを本当のところは野生動物的だと思っている。僕ら人間も、自然そのもので宇宙そのものですべてが全体最適としての最善の中に生きているのではないかと思っている。

僕はこのケガについても、自転車の転倒についても、ただそのままそうだったと思っている。こうして転ぶんだなとか、自分の指の具合、胸の具合を確認してこれは放置しておいて大丈夫だろうとか、そんなことは思っているが、それだけのことだ。

日常は奇跡に満ちている。そう感じる。世界が与えるままに進んでみれば、それでいいんじゃないかと思っている。やれることはやろうと思う。想いが溢れてきて、いてもたってもいられないなら、行動すればいいと思っている。

僕が『組織変容コンパス』のことを何日か前に書いた。それが素晴らしいアイディアなのか、どうでもいいものなのか、それはわからない。だけど、思いついたことは素晴らしいことだと思う。

僕はこれが出てきたとき、いろんな人たちと話したら、きっといいものになるかもしれないし、誰かをインスパイアしてもっともっと本当のものや役に立つものにもなるかもしれないとワクワクした。だから書いてみたし、実際にいろんな人に協力してもらって、話をしてみることにもした。

そんな僕だから、『時をかける少女』を観ても、こんなことを思うのだろう。

さりげない日常がどれだけ奇跡的でかけがえのない瞬間に満ちていて、それを本当に感じることができたときに人は話すべきことを話し、するべきことを決意できる。

生命の限り、精一杯、生きてみたい。人生がどこに連れていこうとも、それを自分の意思として生きる。

語録
「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのが、あなたでしょ」
「前見て走れ」
「帰らなければいけなかったのに、いつのまにか夏が来てた。お前らといるのがあんまりに楽しくてさ」

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