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茶の本 (岡倉 覚三)

 言うまでもなく岡倉覚三(天心)の代表作です。

 解説によると「当時外国にあった著者が、故国恋しさの思いを茶事の物語によせ、英文でニューヨークの1書店から出版したもの」とのこと。

 全体の構成は体系的とは言い難く、それぞれの章の筆も、淡々としているかと思えば第6章(「花」)のようにかなり昂ぶった書きぶりになっているところもあり変化に富んでいます。
 内容は、東洋(日本)文化を西洋社会に理解させたいという想いがひとつの柱となっています。

(p21-23より引用) いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。・・・新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。

 また、他方、以下のような芸術論を開陳しているところもあります。

(p27より引用) 茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。

 その他、芸術と道教・禅道との関わりを説いたり、

(p44より引用) 芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。

 以下のような挿話で「東洋的な美意識」を具体的に紹介したりしています。

 利休が子の紹安に庭の掃除をさせました。紹安が木の葉ひとつ落ちていないようにきれいに掃き清めたところ、利休は・・・、

(p55より引用) 「ばか者、路地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散り敷かせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。

 わずか100ページにも満たない著作ですが、不思議な感触の本でした。


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