TheBazaarExpress111、『ペテン師と天才~佐村河内事件の全貌』、第二章2013年の軋轢、その1~不協和音

・なぜ撮影に協力しないんだ

2013年の正月から2月にかけて、大久保家には一つの憂鬱が蔓延していた。

それまでずっといい関係を築いてきていた佐村河内の周囲から、不穏な話が伝わるようになってきたからだ。

―――みっくんがなぜ撮影に協力してくれないのか、佐村河内さんはかなり怒っている。

遠回しないい方であっても、そのような意味のことを、例えばNHKの撮影スタッフや周囲の音楽関係者が、何気ない会話の中で囁くようになった。

そう言われても困ってしまう―――。

大久保父母もみっくんも、この雰囲気には当惑する以外になかった。

遡ること半年以上前、佐村河内からこんな意味のメールが来た。

「今度『NHKスペシャル』で取り上げられることになりました。撮影などがあると思うけれど、守さんに協力してくださいね」

これに対して父は、「『Nスペ』とは凄いですね。喜んで協力させてもらいます」という内容のメールを返していた。

これまでも、佐村河内はいろいろな番組で取り上げられてきた。そこではしばしばみっくんの登場シーンも要求された。そのたびにまずは佐村河内から大久保家にこのようなメールが来て、次に撮影を担当するディレクターやプロデューサーから取材依頼があり、具体的なスケジュールを詰めるというのがいつものパターンだった。

その中で、大久保家には一つの不文律があった。

―――娘を絶対に見せ物にはしない。

大久保父も母も、娘がテレビや新聞、雑誌などに出ても、それだけで嬉しいと思ったことは一度もなかった。むしろ取材を受けることを決めた瞬間から、「どんな内容なのか、障害をどう描こうとしているのか、絶対に見せ物にだけはさせない」という心配と不安のほうが先に立つ。それは、娘の持つ障害と、ヴァイオリンという楽器、あるいはクラシック音楽が持つある種の「魔力」の間でバランスを取りながら生きる一家が持つようになった、「防衛本能」といってもいいのかもしれない。

大久保家は、音楽界や芸能界のプロの表現者たちとは違う、ごく平凡な生活を営んできた。

父は大手鉄工会社に勤めるサラリーマン、母は二人の子どもをヴァイオリン教室に通わせ家事を守る専業主婦。二人は故郷の西宮で学生時代に出会い、恋愛し、そのまま一直線に結ばれた。細面の父と丸顔で小柄な母。みっくんは父親似で、まんまんは母親そっくりの丸顔だ。こんなにわかりやすい家族もない。住んでいるのは千葉県某市にある一棟借り上げの社宅マンションの3LDK。子ども二人が通うのは公立の小中学校。大久保父母は、いまも家族でワゴン車で出かけ夕食を食べる段になると、どちらが帰路の運転をするか(つまりどちらがビールを飲めるか)、ジャンケンして決める仲のよさだ。盆と正月には父は決まって何日かの休暇をとり、家族4人で深夜の東名高速と名神高速をひた走りに走って二人の故郷を目指す。母方の祖父母はすでに他界しているが、二人の実家を行き来しながら、父方の祖父母や母方の親戚と水入らずの温かい一時を過ごす。毎年決まったように同じスケジュールをくり返す幸せを、二人は知っている。

二人には若いころから音楽の素養はない。みっくんがヴァイオリンを習い始めたのは、その誕生時に障害を知った父方の祖母が、「この子は将来絶対にヴァイオリンが弾けるようになる」という、夢にも近い思いを抱いた末に楽器をプレゼントしてくれたからだ。4歳のころに筋電義手という、筋肉を流れる微弱な電流を感知して指先が動く最先端の義手と出会った時、父母は1歳の誕生日にもらった祖母のヴァイオリンのことを思い出した。

「やってみるかい?」

そう問うと、右手でモノがつかめるということに興奮していたみっくんは、はっきりとこう答えた。

「やってみたい」

それがヴァイオリンという楽器であることもわからない段階で、義手でのボーイング(弓使い)がどんなに難しいか両親とともに想像もつかない中で、見よう見まねで弓で弦をこすり始め、間もなく近くにいい先生が見つかって、週に一度のレッスンが始まった。

この時母はこう思った。

「ヴァイオリンなんてそんなハイソなものうちには縁がないと思ってたけど、でも、飾っておいたらかっこええやん」

そんなスタートだったのだ。だから音楽的な野心とか、将来娘をプロのヴァイオリニストにさせたいとか、そういう上昇志向や夢とも無縁だった。

むしろヴァイオリンを続けさせたのは、みっくんが生まれた時に二人で決めた、もう一つのルールの方が大きかったのかもしれない。

ここから先は

14,354字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?