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Re:僕が昆虫博士をやめた日

僕がこどもの頃は、かなり尖った昆虫マニアでした。

どれくらい"尖っていたか"と言うと、児童用の虫図鑑に記録された大半の虫の生態系や学名まで覚える変態で、夏休みの工作では山程の標本と観察日記を提出していました。

『ファーブル昆虫記』を愛読し、博士が過ごしたような田舎小屋で趣味と実益を兼ねたハイブリッドなスローライフを過ごすのが夢であり目標でした。

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将来の夢を自ら断つ儀式

当時、過ぎた探究心が災いしてかなり周辺の友人や近隣住民に気味悪がられていたことを覚えています。今の時代のスタンダードはわかりませんが、周りに趣味や行動を"同調"さねば、僕のような多動症のこどもは親子ぐるみで地域のコミュニティーに虐められたりすることもありました。虫なんて気持ち悪いものを追い回して収集している奇人と言われます。学校の先生にすら「ゴキブリも好きなのか?」と嘲笑される、そんな世界です。

全てが環境のせいではないですが、僕は本気で目指していた昆虫博士の夢を最後まで貫くことができず、紛れもない自分の意志で断ちました。『昆虫記』の作中で博士が直面した同様の困難に向き合うことができませんでした。この経験は後悔こそ残りますが、情景は消えず現在に生きています。

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博物学者とデザイナーの類似性

いつの間にか時が過ぎて僕は大人になり、幼き日の探究心と行動原理が自己として成熟した時、広義の「デザイナー」という仕事に対してイメージしていた昆虫博士と共通のやりがいを見つけることができました。

僕にとってのデザイナーは、モノ・コト・ヒトの行為を科学的・論理的に観察・観測・設計する職能を意味します。

僕がデザイナーとして志す偶発的なキッカケとなったのは、ある人物の作品が大きく関わっています。金沢21世紀美術館の展示物で、ふと上を見上げると目に入ってくる、空の下でたたずむ像。作品名は「雲を測る男」です。

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その男は何を成そうとしているのか

作者は「ヤン・ファーブル」、誰もが知る昆虫学者「ジャン・アンリ・ファーブル」の子孫にあたります。これを知った時に衝撃的なエモさを感じました。

僕自身はヤン・ファーブル氏のことは見知った人物ではありませんが、自分のルーツや祖先をリスペクトするアーティストだと言うことは理解しています。ぼやっとした自分のデザイナーとしての方向性を固めてくれたのは紛れもなく「雲を測る男」であり、あの頃に憧れた「昆虫博士」そのものでした。

作品の着想となった「終身犯」のエピソードもさることながら、今にも霧散しそうな課題や事象を発見し、次なる行動を想起させる。その男が何を成そうとしているのか想像するとワクワクします。芸術作品の後発的な解釈は人それぞれですが、僕の中のデザイナーの理想像を何となくこの像が体現しているような気がしてならないのです。

世界はまだまだ発見に満ちています。『Bruno Munari's ABC 』より。

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僕の中のファーブル博士

ファーブル博士は昆虫の行動研究の先駆者であり、優れた学校の教師であり、詩人です。 彼の著書である『ファーブル昆虫記』は単なる科学書ではなく、文学的な読み物としても評価を残しています。まさに好きなコトをとことん追求し、タフに生業を拡張していくスタイルですね。

改めてファーブル博士が過ごしたような田舎小屋でハイブリッドなスローライフを過ごすのが幼き頃の僕の夢でしたが、一周回って近づいてきています。UXデザインの研究対象のユーザーが昆虫から人間寄りに変わっただけだったのかもしれません。もはや「昆虫博士」は概念で、自然科学と詩的な領域の狭間に息づいてます。

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最後に: 僕らも昆虫博士になろう

昔の僕の時代はインターネットが成熟しない閉ざされた世界でしたが、現在の僕の時代は、WebやVRを介してありとあらゆる情報にアクセスでき、共感できる人と繋がれます。

そんなデジタルな時代ですがフィールドワークに出ることでしか得られない発見がまだまだ多いです。

つらつらとポエムを描きましたが、このマガジンでやりたかった昆虫採取シリーズの開放します。『気まぐれディスカバリー』では趣味趣向に対して自重しないことにしました。実は昆虫好き、造形が好き、ミステリアスなとこが好きetc.. 昆虫好きの人、ぜひ繋がりましょう。

次回もお楽しみに。@norinity1103 でした。



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