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正月は めでたくもあり めでたくもなし

あまり、家族で仲良く年末年始を、という家庭では育っていないため、毎年大晦日に、実家に形式的に数時間顔を出すだけだが、今年はコロナを口実に実家に堂々と帰らなくて済むので、ストレスは普段の年末年始よりも軽減傾向。
おかげで1人でゆっくり紅白とガキ使を見れた。(洋ちゃんは案の定ひとクセあるデザインのジャケットを着ていた。Diorらしいが。だけど今年のいや歴代の紅白のベストドレッサー賞は、間違いなく、ジェンダーレスな衣装を選んだ二階堂ふみちゃんだろう。こういう場では女性はドレスや着物を着て華を飾るというジェンダーバイアスをひょいっと軽々と越えていた。そして特に思い入れのなかった嵐に案外感動したのだった。余談。)

昨年は、コロナ禍によって会いたい人に会えない辛さが大多数の心の中にはあったけど、会いたくない人に会わなくていい口実にもなってくれて救われる気持ちになる人も、少数だろうけどいるんだろうなぁと自分と重ねて願うように思ったりする。
実家のとても近くに住んでいるのに私は長いこと家族の顔を見ていないのだが、弟のLINEによるとみんな健康らしいのでまあ良かった。

幸せで明るい家庭に育っている人は、こういうお正月などのイベントは節目節目でちゃんと家族で迎えているのだろうなあと思うこともあったが、羨ましく思う気持ちは別にない。家族だからと言って気が合う、心を許せるとは限らないのだから、私はこれでいいのだと思っている。
それでも、私の家族の中で唯一、幼少期に親代わりに育ててくれた祖母とはとても気が合ったし大好きだった。
祖母が生きていた頃の年末年始は、毎年毎年、祖母の家で二人で楽しく過ごす時間がかけがえのないものだったなあと思うと少し胸がぎゅうっとする。6年前、祖母が亡くなった前年の大晦日ですら、紅白を見ながら来年もこうして二人で新年を迎えたいと心から願っていた。
私にとってはあれこそが家族の団らんであり、温かい家だったのだなあと思う。
こたつに入って2人きりで紅白を見ながら、私が祖母に若い歌手の説明をしたり、祖母が小声で演歌を口ずさんだり、祖母がサブちゃんやアッコを妙に嫌って顔をそむけたり。みかんを剥きながら、年越しうどんを食べながら(そばアレルギーのため)。
もう2度と「おばあちゃん」と呼びかけてみかんを渡しあって紅白を見る大晦日は来ないのだなぁと、紅白を見ながら今年もそれを確認してやっぱり胸がぎゅうっとする。
まあ、何とか46とか、ジャニーズが多過ぎて今や若者の歌手の見分けが全くつかなくなったお年頃の私には、どっちにしてももう説明してあげられないのだけど。
だけど祖母の大好きだった氷川くんが、あの頃とは違って、色んなことから解き放たれて本当の自分をさらけ出している姿を一緒に見ながら、どういうことか祖母に分かるように私なりに説明してあげたいなぁとは思う。

正月になるといつも思い出すのが、子供の頃に見たアニメ「一休さん」のお正月の回。多分、本当に正月近くに放送されて見たのだと記憶している。何度目かの再放送だったと思うけど、誰か覚えていないかなあ。
強烈に印象が残っていて、この話を思い出さない正月はない。
子供の頃にこれを見たせいで私がナナメな大人になってしまったのか、ナナメなガキだったからこのエピソードが強く記憶に残っているのか分からないけど(多分後者)、今、私の記憶に残っているあの一休さんのエピソードについて紹介したい。

お正月で、人々が「あけましておめでとう」と言い合う賑やかな京都の町を、一休さんが静かに笠をかぶって杖をついて歩いている。
えらいおとなしく神妙な雰囲気の一休さん。
杖の上に白い何かがくっついていて、「え?何?何?」と人々が見てびっくり。
ドクロがくっついている。
どこから持ってきたんや、誰の骨や、という謎は置いておいて、「えー、何でめでたい正月にそんな不吉なものを掲げて歩いているのか?」と町の人はザワザワ、顔をしかめる。「何こいつ?」「縁起でもない」と噂されても、一休さんは、「気をつけなさい」「用心しなさい」と言って歩き続ける。
新年のおめでたムードを台無しにされた町の人が、「出ていけ!」と一休さんに石を投げる。
それでも一休さんは血と涙を流しながら、雪の中をドクロを持って歩き続ける…。そしてめちゃくちゃ暗いBGM。


(私の脳内変換、解釈あり)

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確かこんなエピソードだったと思う。
一休さんの悲壮感がえぐすぎた。
子供時代の私はいつもの「すきすきすきすきすきっすき!」と陽気に歌う一休さんと、あまりにもテイストが違っていて驚いた。
これもとんちなのだろうか。
ならば子供にはブラックとんち過ぎる。子供時代に刺激が強過ぎるアニメを見せることには気をつけた方がいい。鬼滅の刃とかも。見たことないから知らんけど。
一休さんは、「お正月と言っても死に近づく日だ、気をつけろよ」と言いたかったのだろうなぁと解釈して子供心に刻んだ。

今、「一休さん 正月 ドクロ」で調べたら色々出てきたので、いくつか目を通した。このエピソードの前半は、戦争難民になった人たちが、行き場をなくし食べるものもなくて一休さんのお寺にやってきた。しかし結局、ご飯を食べるために戦争をまた手伝う選択をして、寺から難民みんなが去った、という流れがあったようだ。
そのどうしようもなさから、一休さんがドクロを持って歩くということに繋がったらしい。ドクロのインパクトが強烈過ぎて、前半は全く覚えていなかった。
そして、一休さんのモデルになった一休宗純が詠んだ句。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

新年を迎えるということは1年歳をとり、死に近づくということ。めでたいようでめでたくない。
なるほど。
私は、正月にあまり正月らしいことをしないので、お雑煮も家で食べたことがないし(職場の昼ごはんで初めてお雑煮というものを知って食べた気がする)、白味噌がどうとか、家は何味?とかの会話にいつも入れない。おせち料理は食卓にあったけど、あまり好きではなかった。
それよりも祖母と食べるみかんと年越しうどんと紅白こそが大晦日だし、しめちゃんと家の裏にあるお寺で甘酒飲んで除夜の鐘をつくだけついてすぐ解散し(2020年は出来なかった)、録画したテレビ番組をひたすら消化するただの休日だったり、空いている電車に乗って仕事に行くのが正月や三ヶ日だったりする。
当たり前にいた人がいなくなることについて思いを馳せたり、自分も含めて今生きている人がいずれ誰もいなくなるのだなぁと考えてしまうのが私にとってのお正月。
「暗いお正月」だと感じる人もいるかも知れないが、私にとっては正月がめでたいと思わないのと同じくらい、死を考えることは全然暗いものでもない。
新年の抱負や目標、今年やりたいことなど聞かれると、うげーっと思うし、決めないし、取り立てて考えない。
そういうのは私は好きじゃないし、目標を立てるのは向いていない。まあ面倒くさいだけかも知れないけど。それに「痩せる」という毎月の目標はいつまで経っても達成していないし。
それより、その時にいる人を大事にしたり、その時にやりたいと思いついたことをやっていければそれでいいやといつも思っている。
だから、正月もあくまでただの月初めの「ついたち」だという気分。
私は、心にいつもひっそりとドクロを抱いて、明日からもそんな感じで生きようと思う。
一休さんと違ってわざわざドクロを掲げて歩かないし、石を投げてこられてもうまく避けるけど。
そして、今年も、少し後ろにずらして正月休みを取っているから、早く正月が終わってほしいと願う。

写真は、死者の日。メキシコシティのソカロにて。
ドクロを掲げて歩くどころか、ドクロがパーカー着て踊ったりするんだからメキシコってやつは全く…大好きや。

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