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私とRadiohead、いや私のRadiohead

金曜と土曜とFUJI ROCK FESTIVALのYouTube配信があってかじりついて見ていた。日曜もあるので、またかじりつく予定だ。
本当なら今頃苗場のテントの中だが、ベッドでnoteを書いている。土曜は最後のRadioheadを見るために見続けていた。忌野清志郎が格好良かった。
そして、22時台に、私が見た2012年のRadioheadのライブ映像を2曲流してくれた。かじりついて見た。
あの2曲では物足りなくて「in rainbows」を今、聴いている。

私は洋楽が好きでブリティッシュロックやパンク、グランジ、スカ、まあ色々なジャンルを聴く。例外はヒップホップとレゲエ、ラップ、ジャズ、クラシックでそれ以外のジャンルを主に聴く。特にUKだ。少し影のある、どんよりした空が浮かぶ音楽の方が好みなこともあって、アメリカよりイギリスびいきだ。タイムスリップと生まれ変わりを同時に行えるなら90年代のイギリスでイギリス人として生きたい。それくらい最高の時代で好きな音楽に溢れている。あそこがビートルズ以降で初めて大きく音楽の歴史が動きまくっていた時代だと思う。
中でも、1番愛している唯一無二の特別なバンドなのは、ビートルズでもOASISでもレッチリでもニルヴァーナでもなく(みーんな大好きだよ)、Radiohead。
今時の言葉で言うなら「Radioheadしか勝たん」だ。
単独のライブは、94年の初来日と95年の2回目をのぞいて、98年以降は来日したライブは全大阪公演を欠かさず参戦している。
振り返って整理したくなったので、私のRadioheadライブ遍歴を書いてみた。


●1998 厚生年金ホール
OK computerのツアーで全曲痺れた。21歳で出会えて本当に幸運だったと思っている。トムのルックスがまだいしだ壱成の時代。

●2001 大阪城ホール
行ったはずだがなぜかあんまり記憶にない。城ホールは昔からどのアーティストのライブもいい思い出がなくて好きではない。

●2003 サマーソニック
まだWTCでやっていた時代で当時働いていた職場の鬱病の患者さんが見に来ていて、彼女の心にも届けと願って隠れて聞いた思い出。


●2004 インテックス大阪
田舎の祖父のお葬式を終えて、先に大阪に戻り、一人で見たライブ。とても私的な意味合いを持つライブとなった。

●2008 中央体育館
トムヨークがエコに目覚めた頃だと思う。グッズで水筒を買った。セットが長くてやたらと多いLEDの蛍光灯たちが印象的過ぎた。青の残像が残っている。この頃のトムのルックスが1番好きだ。

2012 フジロック 
一人参戦したフジロック。この時のライブが私のRadiohead人生の中で最高だったと思う。ユニオンジャックの旗があちこちでたなびいていて、周りをイギリス人に囲まれて見た。井上陽水とエルビス・コステロを見た後の暗闇の森の中のRadioheadは演奏も含めて完璧だった。ちなみにこの頃からトムは仙人のルックスに変幻。

2016 サマーソニック
もうすっかり仙人のおじいさんになったトムだった。直前に演ったサカナクションの一郎くんが観客に紛れて見てた。前回のフジロックもだけどサマソニ史上最多のオーディエンスだったんじゃないかと思う。

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こうやって並べて書くと4年に一度は見ていることになる。オリンピック周期で来日してくれていたRadioheadに感謝したい。そして来年あたりまた来てくれないかなと願う。

私がなぜRadioheadだけを特別に愛しているかと言うと、それを伝えるのに3万字くらいになるだろうしタナソウもびっくりすると思うので長々とは書かないでおく。全部を伝えられないし伝えたくない。でもちょっとだけ書く。とは言え、分かるはずがない、と思っている。
なのにおかしいことに、
2012年のフジロックや2016年のサマソニでRadioheadは最大級規模の動員数を叩き出している。
どういうこと?私は何故だかさっぱり分からない。
いや地球規模で売れているバンドだってことは分かっているし、ブラピがプライベートジェットでライブを見に行くくらいの価値のあるライブだ。分かってはいるけど、2010年代の時代の日本の若者、中でも夏フェス好きのアクティブな若者が好む音楽とは思えないから、みんな実は鬱なのかい?と問いかけたくなる。

トムヨークの作り出す世界は、ネガティブで、屈折していて、躁鬱的で、厭世的で、難解で、とにかく鬱で、美しい。そんな世界が野外フェスに似合うはずがない。
と思いつつ、苗場では暗くなって暗黒に近い森の緑とRadioheadのシンプルなステージセットと、トムの美しく伸びる声がベストマッチしていた。よく似合う。グラストンベリーなどのフェスでも見てみたい。
あとトムのくねくねダンスが好きだ。ロックバンドのボーカルが手で美しく表現するのに見惚れる性癖が私にはあるのだが、トムのダンスは一見コミカルだけどステップが綺麗で「暗黒盆踊り」と名付けられているのに納得してしまう。

私とRadioheadについて振り返るなら「OK computer」との出会いに尽きるかも知れない。アルバム「OK computer」に私が20歳の頃に出会えたことは財産だし、感謝してもしきれない。
43歳の今初めて出会っていたとしても聴かなかったし響かなかったと思う。多感な時期に出会えたのが幸運だった。
23年前の曲なのに、何度聞いても最先端だし、死ぬ直前に聴きたいアルバムベスト1だ。
辛い時、悲しい時、訳もなく鬱がやってくる時、頭痛薬を飲んで布団をかぶってこのアルバムを大音量で聴いて私は20代、30代の辛い日々を生きてきた。辛くない時はアルバムを仕舞い込んで、ポップでロックなアーティスト達を聞いて過ごした。ギターロックな「KID A」やその後のシンセな作品ももちろん好きだがそれらは元気な時に聴いても似合う。ハッピーな時に聴くお気に入りの音楽は山のようにあるが、鬱が入る時に聴くのはRadioheadの「OK computer」しかない。Radioheadを聴かなくても済むハッピーな人生なら良かったと思うが、Radioheadの音楽のない世界は私の場合、考えにくい。このバンドがいる時代に生きて生で見られたことで十分ハッピーな人生だ。「OK computer」を聴いていると落ちるところまで落ちられる。励ましなどない。絶望的に悲しくさせるくらいに美しくて、それがカタルシスとなる。

「There There」のイントロが好きで、携帯の着信メロディに使っていたが、6年前に祖母が亡くなった夜中に鳴った電話のショックが大きくて、「There There」を聴くのは今も辛い。他にも、痛みを感じる曲たちがいくつもあって、そういういくつかの辛い私のエポックメイキング的な出来事となぜか結びついてしまっているアーティストなので、とても私的な意味を持ってしまっている。
トムが村上春樹の本が好きで、村上春樹もRadioheadが好きだというところもいい。春樹の小説に出てくる音楽を聴きながら春樹を読むという楽しみ方を時々するハルキストだが、Radioheadはよく合う。「海辺のカフカ」を読む時は「KID A」を聴くし、「ねじまき鳥クロニクル」を読む時は、逆にこの本に影響を受けて作られたアルバム「Hail to the thief」を聴く。

好きな曲も書き並べたいが、「Karma police」「paranoid andoroid」「ノーサプ」「lotus flower」「2+2=5」「nice dream」ライブの時の「idioteque」などなど、キリがなくて挙げていくとそれは5時間くらいかかるのでこの辺でやめておく。
土曜の夜は、Radioheadのおかげでネガティブな気持ちが蘇って聴き続けていたら朝になった(今)くらいだが、それすら愛しくて好きだ。
今から眠って、日曜のフジロック配信を待つ。ジョーストラマーとレッチリとオエイシス(OASIS)を目当てに見るから、心が沸き踊る日曜日の夜になりそうだ。
Radioheadの配信が土曜日で本当に良かった。




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