見出し画像

自分を大切にする。

森のピッコロようちえんの視察

3年ぶりの景色。空間。神様にホールドされた確かな育ちと学びの領域、そこに集う人々のありのままの姿が織りなす世界。ピッコロの敷地に足を一歩踏み入れて、深呼吸すると私の体の中が整った気がしました。数日前から私に届いている「自分を大切にする」というメッセージを胸にピッコロの視察に臨みました。
今日の視察の方は私を含め、5名。その方々と中島先生、保育のスタッフの方々との朝ミーティングが始まりました。こどもの今この時に本気で向き合う大人たちの伝えあう言葉はどの言葉を切り取っても全てが輝いていて魂が宿っているなぁ、そんな気持ちでその場にいる事が出来る自分、導いて下さった神様、愛犬を預かってくれる友人、有給を下さった職場、一緒に旅を楽しんでくれている友人…すべてに感謝が溢れました。ミーティングが終り、外でに出る頃には登園時間になっていて、少しずつ子ども達がやってきました。おはよう・おはようこざいます・おはよ!それぞれの挨拶、笑顔。視察の私達にも届けられる挨拶と笑顔。秋の澄み渡った空。好きな場所で走り回ったり、友だちと話し込んだりしてそれぞれの朝の始まりをそれぞれに楽しんでいたのに中島先生が朝の会の場所に移動するといつの間にか全員、朝の会のベンチに集まって、静かに時を待っています。視察の私達もベンチに腰掛けると朝の会が始まりました。
朝の会。みんなに伝えるテーマを何にするか?多数決で決めます。今日のニュースがいい人と好きな…がいい人と意見が分かれます。しばらく自分の気持ちを各々伝えあった後、どこからともなく○○でいいよ、○○にしよう、という声が自然と加わり発表するテーマが決まります。決まると順々に(順番を先生が決めなくても)発言します。誰かが話し始めると話している子に注目します。同時に話し始めるとどちらかがすぐに話をやめて待ちます。保育者が介入しなくても見事に一人一人が発表出来る場がありました。その後、今日はどこで遊ぶか?を話し合います。森?川?…意見が分かれていますが司会の子を中心に多数決で決める様子です。すると「ピッコロ」という可愛い声が聞こえました。森のようちえんピッコロは3歳・4歳・5歳が在籍しています。3歳クラスの子が森や川に行かず、ここで遊びたい、と言いました。すると5歳の女の子が「お客さん(視察)が来ている時はピッコロは選べないよ、と教えてくれました。3歳の子はその言葉を聞いて泣いてしまいました。強く言われたように感じたのです。周りの子が「強く言うから泣いちゃったよ。まだ3歳なのにさ、知らないのにさ。気持ちを切り替えるのはまだ難しいのだからパイン組(5歳児)が謝った方がいいよ」と言いました。でも5歳の女の子は強く言ってないから謝らない、といいました。そのやり取りから多数決で決まった川に移動するまで約40分?「子どもを信じて待つ保育」が始まったのです。(略)私はその様子を見て「自分を大切にする」経験を3歳の頃からしている子ども達がとてもたくましく思えました。感情に蓋をしない。心の声を無かったことにしない。大人は無理に説得しない。決めつけない。ジャッジしない。方向性を伝えつつも気持ちに寄り添うことを止めない。
その場にいる子ども達も保育者も見えないアンテナを張り、二人の行く末を優しく見守る。近くに来て身体をさすってあげる子、アドバイスをしながらなんとか気持ちを切り替えられるように根気強く伝えてくれる5歳の男の子。何も出来ないけれど側から離れようとしない子もいます。別の5歳の男の子たちは遠くで遊びながらも時に厳しい文言で5歳の女の子を責めるけれど、その様子に駄目だしする大人はいません。ダメ出しはしないけれど、強く言われて泣き出した女の子に声を掛け、泣いた気持ちの奥にあるものを外にだせるように手助けをしています。その様子を遠くから近くから子ども達は眺め感じ、学んでいくのです。
自分の気持ちを大切にすること、相手を思うこと、大人の見守り、誰も他人事にしていない、という事実を。そんな中でも絶妙なタイミングとチーム力で保育者達は子ども達を川へ導きます。「もう行きますよ、集まって下さい、時間が無いよ、などどいう指示出しは一切なくとも、子ども達は当たり前の様に集まり、川へ移動するのです。そして遊び始めます。泣いていた3歳の子はすぐに遊び始め、5歳の女の子は保育者と長い語り合いの末、遊び始めます。そして気持ちを自分で変えて納得した上で3歳の子に謝りました。幼児教育の現場では子ども達のトラブルの多くは「ごめんね」「いいよ」で短時間で終わらせます。子どもの気持ちに寄り添う、というよりも感情に蓋をして「無かったこと」にして次の活動へと切り替えてしまう。我慢を強いている事に保育者は気が付かず、まとめることが保育者としての腕力であるかの如く、強いリーダーシップを発揮して群れを率いて従わせます。感情を拾うよりも羊飼いや牛飼いの様にまとめて動かす、ことに注力を注ぎます。なぜならそんな風に自分自身も育ってきたからです。自分の気持ちで相手に合わせるのではなく「調整することを尊しとする」という経験で集団の中の一人として波風立てずにやり過ごしてきました。そうやって育ってきた大人達が作り上げた社会の現状は、どうでしょうか。自分を大切にするよりも周りの人の意見に合わせる事を大切にしながら大人になった私達は金魚が酸素を求めて口をぱくぱくさせているように苦しさと共に生きています。自分を大切にして自分を満たしているからこそ、人にも優しく出来るのに、自分を大切にする心地良さを知らないまま他人に合わせ続けて大人になった私達は苦しいのです。ピッコロの子ども達は、私達とは違う経験をしながら毎日、ありのままに生きています。自分の気持ちを大切にする事は我儘なんかじゃなくそこが「始まり」であり、自分を知ることが他人を知ることであり、社会の中で生きていく上で自分を大切にするということこそ最も大切なことです。子どもは何もしらない真っ白な存在ではなく、私たち大人が忘れてしまっている事を知っています。見えないものを感じることも誰からも教わって無くとも出来るのです。子どもってすごい!を知っている大人達が子どもの心と体、魂をまるっと信頼して共に過ごしているようちえんがピッコロなのです。本当にすばらしくて尊い最先端の学びをしているのだなぁと思いました。
視察前から私に届いている「自分を大切にする」というメッセージを子ども達が教えてくれたと思っています。自然が豊富だから出来る事だよね、ピッコロは理想だよね、と言う保育者もいます。でも私はピッコロの保育の本質は豊かな自然がもたらすものではなく保育者の在り方が為せる主体性を大切にする保育です。この場にいる保育者がそして保護者が全員、本気で保育の質の向上がよりよい未来を創造すると信じて真剣に学び合っているからこそ、子ども達が育つのです。都会で園庭が狭いから、企業が運営する保育だから、社会福祉法人の昔からある保育園だから、園長と意見が合わないから出来ないのではなく、本気で取り組む姿勢が無いから出来ないのです。私はピッコロの保育が日本を変えると本気で思っています。子育て中の方、子どもに関わる職業の方(教育者だけではなく医療従事者の方もすべて)、そして昔は子どもだった全ての大人の方に視察してほしいと思います。こんな世界があることを知ってほしいのです。子どもの世界を、子どもの能力を、わかった風に語らないでほしいのです。2度目の視察も本当に素晴らしかった…ご一緒した視察のメンバーも素晴らしい方ばかりでした。特に男子大学生の感性は純粋で彼の発する言葉に宿る真実が心に響きました。人生は出会いによって導かれ、花開きます。ピッコロとの出会い、中島先生との出会いは間違いなく私の人生を変えました。そして出会う皆さんによって私は生かされているのだなぁと改めて思いました。ついこないだ知り合ったばかりだというのに、もうずっと昔から友だちのような気がする普段は同じく園長先生をしている友人の可愛い寝顔を見ながら帰りの電車の中で、全ての出来事に感謝しました。

ミラクルな数日間を過ごしました。

見た目は何も変わっていませんが
頭の中と心の中は違っています。

中島先生・視察でご一緒した皆さま、
無償の愛で私を見守って下さっている皆様
いつも本当にありがとうございます。

群れの保育。
豊かな自然。
写真からも伝わると思います。

そして興味が湧いたら
視察に訪れて下さい。

https://mori-piccolo.jp/

自分を大切にすること。
子どもの頃に出来なかったことを
体験出来ます。すると
日常が変わります。確実に♡

私もまた必ず訪れます!

告知があります!
ピッコロの保育を感じることが出来る
映画の上映会が都内で開催されます。
なんと!中島久美子先生の講演も
あります!なんとなんと場所も川崎♡
まだお席があるそうです。

◎12月6日(火) 
映画「Lifeライフ ピッコロと森のかみさま」
上映会&中島先生&筒井監督トーク@川崎

◎12月16日(金) 映画「Lifeライフ ピッコロと森のかみさま」上映会&中島先生ご出演・語り合い@川崎

申し込み先↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?