手のひらから、零れゆくもの
「今までできていたことが、できなくなりました」
成長曲線の下り坂に入り始めたとき、それを直視することは、とてつもなくつらい事なんだろうと、若かりし頃の私はいつかくる老いへの恐怖を想像していました。
こんな言葉を使うときの私は、きっと自信を失い、失望し、未来への希望が見えなくなるのだと思っていた。
思っていたよりもずっと早く私はこの言葉を使うことになりました。
今まで当たり前のように出来ていたことが、突如として、できなくなってしまったのだ。
以前の私といえば、自分で言うのもなんだけど、物覚えもよくマルチタスクがあたりまえの、器用なタイプだった。
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために自宅で過ごすことが余儀なくされた数か月の間私のライフスタイルは大きく変わりそれに伴い価値観が変わり本来の自分がどんどん前面にでてくるようになっていった。
本当の私は、マルチタスクなんて大嫌いでゆっくり過ごしたいタイプなんだと気が付いた。
予定さえなければ、一日中家にいて何もしないことだって、余裕でできてしまうほどのんびりした人間だったのだ。
思い返せば、幼少時代、何をするにも、時間がかかって、同級生のすることには、常に遅れをとるようなタイプだったことを思い出した。
そのころに感じた、強い劣等感を子供のころの私は、払拭したかったのだろうと思う。
一生懸命、精一杯、人の基準にあわせようと出来ることを増やして必死に人生を積み重ねたんだと思う
誰よりも早く、誰よりも正確に必死にそういう自分になりたかったんだと思う。
必死につかんでいた、霞のような何かからこの自粛期間と呼ばれた期間に手を放してしまった。
今までできていたことができない自分目標も立てなければ、それに向かうプロセスだって立てない。
あるがままに、今日という日を穏やかに暮らしている
そんな自分は、以前の自分に比べたら出来ることは少ないし外から見たら、大したことのない人間なんだと思う。
それでも、恐れていたような自信喪失や、未来への失望とは正反対の穏やかな、優しさに包まれている気分を味わっている。
きっと人の幸せというのは自分が自分のサイズで、自分らしく生きることを自分が誰よりも認められたときに感じられるのだと思う。
私は、多くのものを手のひらから零し僅かに残った、自分のかけらとようやく出会えた気がしている 。
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