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~山上容疑者の悲劇と1999年の民法の「成年後見制度」改正について想う~

 神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。
 一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。

 本日のブログは、一人の弁護士として、一人の人間として、
  “山上容疑者の悲劇と1999年の民法の「成年後見制度」改正について想う” です。 

 現在騒がれている安倍元首相襲撃事件の山上容疑者の不幸と過去の民法改正の関係について、思い浮かんだことを、つぶやきたいとおもいます。

 事件の捜査が進むにつれて、犯人である山上容疑者が本件犯行に至った経緯が明らかになりつつあります。
 
 山上容疑者の母親が、旧統一教会にのめり込んで、子供達の教育費や生活費を顧みることもなく1億円を超える多額の献金を行い、遂にはカードローンも重ねて、自己破産に至ったこと。
 山上容疑者の伯父さんである弁護士が、旧統一教会から5000万円を返還させたものの、そのお金も、結局母親は、献金してしまったこと。
 山上容疑者は、これらにより、大学への進学を諦め、家族の生活も困窮し、自衛隊に入隊したものの、そこで、自殺未遂を図ったこと等。

 まだまだ、これから明らかになることもあるのかもしれませんが、現在、上記のような内容が、山上容疑者の旧統一教会への強い怨みの理由として、報道されているところです。

 上記のような状況に追い込まれている“宗教二世”と呼ばれている方達はたくさんいるとのことです。
 このような状況を放置しておいて良いわけがなく、対策のための法整備を検討することは必須というべきでしょう。

 ところで、山上容疑者(や、同時期に被害に遭っている方達)には、かなり運が悪かった、と考えざるを得ない、民法の改正が過去になされています。

 それは、1999年に行われた民法の「成年後見制度」の改正です。
 このときの改正が、現行の「成年後見制度」となっています。

 ご存知の方も多いとおもいますが、現在の「成年後見制度」は、物事を正確に認知・判断する能力が失われたり、大きく低下した常況にある当事者を、その程度に応じて、「成年被後見人」「被保佐人」「被補助人」のいずれかとし、それぞれ、成年後見人、保佐人、補助人をつけて、法律行為をするにあたって、適切にサポートし、必要な場合には取り消す等することができるようにして、本人を保護するための制度です。 

 これに対して、改正前の民法の成年後見制度では、サポート側の呼び名は、
   「成年後見人」「保佐人」
でしたが、対応する本人の呼び名は、
   「禁治産者」「準禁治産者」
というものでした。
 当時の条文を、以下で抜粋します。
 「第7条 心神喪失ノ常況ニ在ル者ニ付イテは……禁治産ノ宣告ヲ為スコトヲ得
  第8条 禁治産者ハ之ヲ後見ニ付ス
  ………
  第11条 心神耗弱者及ヒ浪費者ハ準禁治産者トシテ之ニ保佐人ヲ附スルコトヲ得
  第12条 準禁治産者カ左ニ掲ケタル行為ヲ為スニハ其保佐人ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス……
  ………
  五 贈与、和解………」

1999年改正前の民法の条文(一部抜粋)

 
 このような条文にある「禁治産」(「財産を治めることを禁ず」という意を持つ)という呼び名が差別的であることや、その他諸々の理由もあり、本人の自己決定権の尊重を重視し、きめ細かいサポートができるように、ということで、1999年の改正に至ったようです(私は、この当時、まだ、司法試験受験生でした)。

 さて、私が、昔の条文と改正を思い出した理由というのは。

 上記の1999年の民法の成年後見制度改正の時期と、報道で伝わってくる山上容疑者の母親が旧統一教会への献金にのめり込んで破綻に至る時期とが、丁度重なっているなと思い至ったからです。
 改正前の制度では、上記の

 「第11条 心神耗弱者及ヒ浪費者ハ準禁治産者トシテ之ニ保佐人ヲ附スルコトヲ得」

という条文からわかるとおり、「浪費者」もまた、準禁治産宣告をされる事由とされていました。
 そして、この「浪費者」として宣告がされた場合には、前記の第12条により、例えば、金銭の贈与のような重要な法律行為を行うには、保佐人の同意が必要とすることとされていたのです。

 山上容疑者らの家族も、この「浪費者」も宣告対象とする成年後見制度の下だったら、伝わってくる報道内容を前提としても、例えば、弁護士の伯父さんが旧統一教会から5000万円を取り返す段階で、母親を「浪費者」として準禁治産宣告して、伯父さんが母親の保佐人になっておれば、その後の献金を防いだり、少なくとも取り戻した5000万円を母親が再度献金してしまうのを防ぐことができ、子供達3人の生活や進学への悪影響をかなり緩和することができていたのではないか、と思わずにはおられませんでした。

 ところが、この「浪費者」については、本人の自己決定権の尊重の観点から問題があるということで、1999年に改正された現行の成年後見制度では、宣告の対象から外れてしまったのです。
 山上容疑者(の母親)のことをおもうと、改正時期がせめて5年後であったなら、などとも考えてしまうところです。

 確かに、本人の自己決定権の尊重という観点からは、悪用もされかねない「浪費者」の準禁治産宣告には、問題もあったとおもわれます。
 しかし、他方で、本件の山上容疑者の母親のような、正真正銘、この「浪費者」のによる準禁治産宣告しなくては家族が破滅するといったようなケースをどのように対処するか、については、改正にあたっての議論が充分ではなかったのではないかと想わずにはおられません。
 今回のケースで、自衛隊で自殺未遂に至る前に、山上容疑者がどうすればよかったのか?という問いに、真正面から的確に答えられる法制度がないのです。もし、「浪費者」が宣告対象として残っていれば、これが答えだったのですが。
 その常況で、20年以上が経過してしまったことになります。

 今回の件を受けて、宗教団体への献金のあり方についても議論される方向になるとおもわれます。
 山上容疑者のような被害者は多数いることもうかがえます。
 同じような被害者が出ないような仕組み作りが、今回を機になされるように、今後の推移を見守っていきたいと想います。 
(終)

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