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「わかりやすい」には「ウソ」がある

【世の中とは複雜なもの】
世の中というのは、何につけ、複雜なものだ。この大前提をまず認める必要がある。複雜でなければ、なぜ私達は日々悩み、日々わからないことを多く抱え、日々苦しむのか?それは「わかりやすいこと」が「わかりにくくなっているから」ではない。わかりにくいことこそが「真実」だからだ。私達の頭に入っているのは「わかりやすいもの」で「わかりやすいもの」は「わかりにくい真実」を適切に説明していないからだ。

【わかりにくいことをわかりやすくするとウソになる?】
とは言うものの、テレビとか、新聞とか、あるいはネットでの解説を書いている記事とか。世の中がわかりにくいから「わかりやすくする解説」がいっぱいある。しかし、物事がもともと複雜なものだから、わかりやすくするには「わかりにくい真実」のどこかを削ぎ落とす。結果として、削ぎ落とすところが多くて、わかりやすくなればなるほど、そこには「ウソ」が交じる。例えて言えば、世の中の物事ってのは「ラッキョウ」とか「たまねぎ」のようなものだ。わかりやすく、簡単にするために、真実と思えるものの周りを削ぎ落としているうちに、なにも「本当のこと」は、なくなってしまう。

【でも人間はわかりにくいものを嫌うから】
そうは言っても、人間というのは、何もかも、世の中にあることを頭の中に入れておけるほど、脳の容量が無い。人間の頭に入れる前に、どこかで簡単にして、それから頭の中に入れる、ということに、私達は慣れている。例えば科学でもビジネスでもよくやる「モデル化」は、その方法の1つだ。「A」という事実と、「B」という事実に「共通点」を見出し「A」も「B」もどちらも同じものだ、と言うことにして、A&Bの2つを頭に入れる代わりに「AとBの共通するもの」を頭に入れ、「AもBもわかったつもりになる」というやり方だ。実際に、AもBも同じものであるかどうか?は、本当はわからない。後になって「違うものだ」ということがわかって、慌てたりする。

【頭の良い人・頭の悪い人の違い】
人の「脳」は容量が限られている。だから、脳に入れる前に、複雜なものを簡略化し、多くのものを少なくしてから、頭に入れる。結局、脳の容量が大きい人ほど、多くのことを頭に入れられるが、そうでない人は多くのことを単純化してわかったことにする。人の「頭の良い・悪い」というのは、そういうことが1つの面としてある。

【しかし事実は複雜で膨大なんですよね】
人間がいくら頑張っても、「本当のこと」は「複雜で膨大」である、という事実は変わらない。だから、人が思ったようなことが事実では起きないことが多い。「あれ?あの人はXXをすると思ったんだけど、なぜXXではないことをしたんだろう?」ということはよくあることだ。反対に「あの人はXXをすると思ったら、やっぱりやった」と言う場面があったとしたら、それは「あなたが考えるその人を頭に入れるときの簡略化が適切だった」ということになる。人とは都合の良いもので、多く前者より後者のほうを覚えているものだ。そして、自分のやっていること、考えることが間違っていない、ということを確認する。しかし、世の中はそれに輪をかけて複雜なものだから、その確認をした後に、その確認したことが崩れるような事実を、次の瞬間に目の前にしたりする。

「絶対に落ちない飛行機」を自身満々で設計して作っても「落ちた」ことがあるのは、誰でも知っている。

【だから「わかりやすい」は、警戒しよう】
テレビでもなんでも「わかりにくい事実を簡単に見えるようにして、提示すること」は、多くの人が望むことなので、それ自身がビジネスになる。しかし「わかりやすい」ということは「どこか抜けている」わけで、その「抜けているところ」に大切なことがあるのかも知れない、ということでもある。結果として「わかりやすい」ものは「ウソ」になりやすい。「わかりやすいこと」は、常に警戒して、疑って聞こう。

と、話が長くなってわかりにくくなるといけないから、この話はここまでにしよう。←は?


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