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スマートウォッチはなくてもいい?

【「ガジェット」の変遷の中のスマートウォッチ】
「ガジェット」などという言葉が一般的になる前から、父親の影響もあってか「電子小物」は面白いおもちゃだった。加えて、大人になってからは技術者・研究者の道を歩んだので、さらにその「好き」は嵩じていた。数年前から、スマートウォッチはあれこれ触っていたが、最近はコロナで重症化したこともあって、AppleWatchのお世話になることになった。スマートフォンもかなりの数を2007年以降は仕事もあって使ったのだが、スマートフォンになにもかもが統合されてきたので、最近は「これ一つ」でなにかと用が足りるようになった。だから腕時計はフォーマルな場に出る以外はしなくなっていたのだが、コロナで事情が変わった、ということだ。「もしも」の時のことを考えて、スマートウォッチを使う様になって、色々試して見た。

【必要な機能はもう十分だけど】
そんな自分にとってのスマートウォッチだが、この(たった!)2年間ほどでスマートウォッチは数千円のモデルでも血中酸素飽和濃度(SpO2)が測れるものもたくさん出てきているし、数万円の高級機種である必要は「見栄」以外は、あまりなくなってきた。背広を着るようなシチュエーションでも、数千円のものでかなりしっかりしたものが出てきていて、すごく新しい、という意味はなくなった。タッチ決済が一部のスマートウォッチで使える、とはいうものの、そんな場面もそう多くはない。しかもスマホでそれはできる。

【充電が煩わしい】
みな充電式電池内蔵だから充電するものが増えていく、という煩わしさのほうが先に立つようになってきた。充電式の電池は数百回の充電で電池の容量が80%を切って、以降はどんどん劣化するから、毎日使っているとだいたい2年で電池交換が必要になる。そういう煩わしさも加わる。「あ、充電しなきゃ」という「常に気にかけて置かなければいけないこと」がさらに増えるのも、ちょっと辛く感じる。結局、スマートウォッチは、自分にとっては「ヒマなときのおもちゃ」という位置付けになってきた感じがしている。必要になった場面で、さっとかっこよく使えるもの、という意味での「ガジェット」というよりは、必要ないものに手間や時間をかけなければいけない、という感じのほうが時間とともに増えている感じがする。

【スマートフォンもスマートウォッチもインターネットがあるから】
自分自身はインターネットを日本に持ってくる仕事の端っこをしてインターネットのインフラを作ってきたのだが、それにぶら下がる機器は非常に増え、多くの人がそれを利用してくれているのは、とても喜ばしい、と考えている。多くの人は自分が作ってきたインフラのことなんか考えていなくて、この便利なしくみを使っているだろう。「インフラ屋」という「裏方」にとっては、自分の姿が普段は見えないほうが理想なのだから、それはそれで、ときどき思い出してくれればいいかな、とは思う。

【最近のスマートウォッチとスマートフォン】
「おもちゃ好き(ガジェット好き)」の持つおもちゃ、という一点に限ってのスマートウォッチはこの2年間ほどで「価格」「機能」「デザイン」ともに、かなり良いところまで来た。既に機能としては数千円のものと数万円のものはあまり差がない。価格の差は材料に高価なものを使っているかどうか?という話になってきた。スマートフォンも機能はどれもほぼ横並びで違いは細かいところにしかない。だから、デザインで選べるくらいになってきたが、そのデザインもなんだか均一化してきた。今どき、よほどのマニアではなく、ものが新品であれば、どれを買ってもほぼ満足が行くはずだ。「モノ」としての「ガジェット」にも、なんだか面白味が減ってきた、と、自分では思っている。

公の場で恥ずかしくない程度のスマートウォッチを探しているのだけど、なにかいいものはありませんかね?


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