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メルカリ人間模様

※以下のは話はメルカリだけではなく、ヤフオクなど、他の同様のサイトでもある話なので、適当に読み替えて読んでいただければありがたいです。

【メルカリをやってみた】

メルカリを2年前くらいからやっている。買うこともあれば、出品することもある。手元にある自分で使わなくなったものを売ったり、ちょっと必要なPCパーツやアクセサリーを買う。Amazonで新品を買うとか、秋葉原でリアル店舗を巡ってなにか買う、というよりも、このコロナ禍では手軽で、安いものが眼の前のpcやスマホで見つかったりするので、重宝している。ただし、しょっちゅう出品や買い物をすることはなく、ときどき、という感じだ。自分の場合は、だが、年に数回くらい、という感じだ。額の大きなものは買わない。なにか手元のもので使わないものを売ってポイントにした後は、そのポイントで買える範囲内のものだけ買う、という、慎ましい、と自分では思っている使い方だ。金額も、高額なものは、まず出さないし、買わない。そして、基本、週末だけ使う。

【メルカリはゲーム】
メルカリに出品して思ったのは、必ず売れるものは分野が決まっている、ということだ。「クロウト」の商売をする人も混じっていて、場合によったらニセモノや、ちゃんと動かないものも多いので、買うときには注意が必要だが、逆に買うときはそれもまた面白い。自分の力が試されているような、ゲームの感覚がある。メルカリはゲームとして楽しむ、という側面がないでもない。ゲームだから、忙しいときはメルカリで買う、ってことはまずない。

【あるある:「中古品」だけど、あまり安くない?】
自分が出品するときは、中古品では、必ず定価より価格を下げて出す。メルカリ以前の物流の常識では「製品のパッケージを開けたら、中古品扱いで、定価の半額でしか売れない」だったが、メルカリは個人対個人の取引も多いから「開封したけど使っていないので新品同様だから、10%くらい定価から安いくらいでいいかな?あまり損したくないし」という人も増えてきていて、中古品の価格は全体的に上がってきているように、私からは見える。特に最近はその傾向は強いようだ。ときには定価かそれ以上で売っているものもあったりして、それでも売れていくものがある。それを良く見ればお店には品薄なものだったりする。

【あるある:値下げ交渉】
出品すると、かなり安いものでも「このくらいに下げられませんか?」という値下げ交渉のコメントが入ることがけっこうある。そのため「交渉」が必要になるが、それが面倒くさい、という人は説明欄に「値下げ交渉には応じません」などと書いてある。出品するほうは、いろいろ考え、メルカリでの他の出品者の同様の出品物の価格なども見て価格を決めるわけだが、こういうコメントは一生懸命考えて出した価格にケチをつけられたように感じてしまうことがなくはない。値下げ交渉は出品者の感情を害することがある。物事は「相手の立場に立って考えるとうまくいくことが多い」というのは、こういうことでもあるのだが、それが下手な人も多いなぁ、と思う。

【あるある:マウント取り値下げ?】
一方、買う側は数円でも安く、と考える「だけ」の人、あるいは「値下げされなくても買えるけど、相手を屈服させる楽しみがあるから(マウント取りだね)」と、値下げをコメントする人、など、様々な心理が見て取れて面白い。「少額の値下げなのになんで応じないんだ」とキレる人も中にはいる。自分の場合は交渉している時間が惜しいと思っているので、決めた価格の値下げ交渉には基本応じない。それでも、妥当な金額を自分としては考えているつもりだけれどね。(自分として)ロジカルに考えれば、商取引において「値下げ交渉(値切り)」そのものが「交渉時間の無駄」、と思ってしまう。それにかかる自分の人件費も、相手の人件費も、値下げ金額より高いのでは、値下げ交渉の意味はない、と思うのだが。自分としては、そこまで考えての出品のときの値付けにしているつもりではある。ましてや感情的な「キレる」などの行為はそれだけで時間の無駄=お金(人件費の無駄)、と思えてしまう。何事もそうだが、ビジネスにおいて、生活において、感情的なもので物事を考えるとロクなことがない、という場面は多い。「無い」とは言わないけれども。

【しかし、それでもメルカリ】
そういう「無駄」を楽しむ場が「メルカリ」というところだ、ということであれば、それはゲームをして楽しむのと同じだ。お金は使うけれども、満足感や充実感、ときには敗北感や、敗北からの復活、など、様々な人間ドラマをしばし楽しむ場。それがメルカリなのかもしれない。ただし「メルカリはゲームの場です」が、明確に提示されているわけではないので、そこをゲームの場として考える人もいれば、単なるビジネスの場と考える人、自分としては廃品と同じ扱いになってしまったものの効率の良い処理場、と考える人など、様々な人がいる。また、値下げ交渉をする人は、滅多に「値下げして欲しい事情」を語らないのが普通だが、ときどきそれを簡潔に語る人がいる。「最近出費が多くて、お金がありません。これ、欲しいんだけど、もっと安くなりませんか?」っていう人ね。そういう人は少ないし、その理由が本当であるかを問いただす、というのも「時間の無駄=人件費の無駄」だよなぁ、と思うので、特に答えることは、自分の場合はないのだが。買いたい人が自分の持っているお金の範囲で買えば良いのだ、と思うし、自分もそうしてきたからではある。

【感情は切り捨てない。楽しむ】
メルカリの場が面白いのは「感情」を一切排した取引だけではない、ゲームのような、時にはスリリングな「楽しみ」がある、ときには論理だけで処理するビジネスも必要、という場面もあったりする、そんな場で、様々な買い物のストーリーをしばし楽しむ、というところだろうな、と、最近は思う。出品するものの価格も「単なる廃品処理」なのか?、「ビジネス」なのか?、「感情を込めて、どこかで役に立って欲しい、と願っての出品」なのか?、など、場面は様々で、さらに、出品者と購買者の考えもまた違う。この「お金」というメデイアを通した「ゲーム」は、実世界の写像になるが、それがオンラインで完結する場、という、そんな感じがする。「買い物」は人と人とのコミュニケーション、ということだが、そういう時間も惜しい、という人もいる。メルカリでは様々な人が混じっているから、なおさらスムーズな取引には「相手はどんな人か?」を見きわめる必要がある。もともと、人間は様々で、同じではないからね。

【メルカリの場で「勝つ」には】
結局、メルカリというその場で「勝つ」には、自分のポリシーを決め、引けない一線を予め引いておき、戦闘中(出品中あるいは購買中)はその一線からは原則的に引かない、と決める。出品時の値決め、購買時の予算決めで最初の勝負を仕掛ける。そのときに既に(自分も相手も)値引き交渉に応じるかどうかも十分リサーチして置く。よほどのことがなければ、後でそれを覆さない。とは言うものの、その一線が不適切とわかれば、未練は持たずに、さっさと線を引くレベルを上げたり下げたりして調節する。出品したら、自分のコンディションを考慮し、相手の心の内を読み、取引成立の条件を整えて「戦場」に向かう(=出品する、購買行動する)。これが「メルカリ」を楽しむ「コツ」なんだろうな、と最近は思っている。もっとも、最近はそれを楽しむほどの時間はないのだが。

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