親子で見る『14歳の栞』

子どもに読んで欲しい本は、そっと本棚に入れている。
いつか手に取ってくれたらいいな、と思って。

その中の一冊が、重松清さんの書いた「きみの友だち」だ。
思春期にありがちなクラスカーストを、いろんな子の視点で描いている。

でも、今のところ娘(10歳)の手に取られる様子はない。どの本も。
友だち関係で悩んでいたときにさりげなくすすめてみたけれど、
「字が小さくて無理」
と、言われて終わった。

じゃあ、映画ならどうだろうか。
「一緒に見に行かない?」と娘を誘ったのが映画『14歳の栞』である。

公立中学校の2年6組、35人全員に密着した青春ドキュメンタリー映画。
陰キャだ、陽キャだと人や自分をラベリングする娘に、
何かしら一石を投じたかった、というのが親心だ。

10歳と39歳で『14歳の栞』を語り合う

映画館を出たあと、ピザを食べながら、
互いの感想を語り合ったのだが、これがとても面白かった。

同じものを見ているはずなのに、着眼点がまるで違う。

私は、本音を隠して、自分のキャラクターを作り上げて周囲に合わせてきた女の子の「自分のキャラ設定をやり直したい」という言葉が苦しかった。自分の14歳の頃の、不器用さと不自由さを掛け算した息苦しさが思い出されて切ない。大人の自由を知ってしまったら、あの頃に戻りたいとは思えない。

では、娘は?
14歳を経験していない10歳の娘はこの映画をどう見るのだろうか。
娘の第一声は、これだ。

「こんな楽しい中学生になれたらいいな、と思った」

好きな男の子に告白したり、されたり。友だちとプリクラ撮りに行ったり。薄暗い中でも子どもだけで遊びに行けたり。彼氏とアイスを買って食べたり。そういう一つひとつが、とてもキラキラして見えたらしい。

「中学生になったら、部活の帰りに薄暗くなってもちょっと遊んで帰ってきていいんでしょ?」
と、期待を絵に描いたような目で聞かれる。

いやぁ、そうだよね!と、心の中で爆笑してしまった。
大人は、自分の経験を振り返って教育を語りがち。でも、子ども側はいつだって「未経験」だ。

娘の感想で、息苦しかった14歳の断片だけではなく、友だちと交換日記したり、ポケベルに変な文字打ち込んでしまって翌日に大爆笑したりしていた、楽しかった思い出もよみがえってきた。

人の感想によって、14歳の自分の色んな面が照らされていく。何とも不思議な経験だ。

愛のまなざしにあふれている

この映画は、分かりやすいメッセージを出さない。「みんな違ってみんないい」も「努力は報われる」も「正義は勝つ」も何もない。主題歌になっている、クリープハイプの『栞』の歌詞どおり、簡単なあらすじにはまとまらないのである。

でも、映画全体に愛があふれている。これが「公開」されている、という事実が、何よりの愛の証だ。

自分の娘がこの映画に出演していたことを想像してみる。恋愛模様や、友だち同士の微妙な関係が、全国公開されることを、どういう心境になったら、OKを出すだろうなぁと想像する。また、子どもたち自身が、どういう気持ちになったら「映画、公開していいよ!」と胸を張って言えるだろうか、と想像する。

その背景を知りたくて、ネットサーフィンしている中で、制作チームのこんなツイートを見つけた。

完成品は、35人の物語が1つにまとまっているが、その前には、35人、一人ひとりの短編映画があったのである。

35分の1の自分ではなく、自分だけの物語に耳を傾けてもらった経験は、生徒にとってかけがえのないものだったのではないだろうか。親にとっても、我が子が、世界でたった一人のかけがえのない人間なのだと、実感できる経験だったのではないだろうか。

親や先生、そして、子ども自身も「自分(我が子)は自分(我が子)でいいのだ」と思えないと、それを残しておきたいと思えないし、公開したいとも思えないだろう。

制作チームの並々ならぬ労力と、愛を感じるし、その愛を受け取ったからこそ、親や子供たちが公開していいよ、と言えたんじゃないかなぁと思うのだ。

その裏側に流れるストーリーを思うと、思わず涙ぐんでしまうし、もう1回見たいなぁと思わされる。

さて、この映画を見え終えた今、陰キャも陽キャもアホくさいと思うけど、いったん全部経験しておいで、というのが、娘に対する今の心情だ。経験しないと分からないから。

14歳になったとき、もう一回、『14歳の栞』の感想を、娘に聞いてみたい。


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