見出し画像

バカボンとバクマンと柿の実の、これでいいのだ。

先週のオンライン講座にて、みんなで「柿の木の瞑想」というものをやり、子房が実になるって、ものすごく動物的な働きですよね、という話になった。

中学校一年生の理科の教科書で、花にはおしべ、めしべ(子房)があって、おしべの葯(花粉)がめしべにつくのが受粉・受精、そうして実がなり、新しい種子ができる、といった記述を読んで、絶望的な気分になったことを今でも覚えている。
それ以来、一度も生物の教科書を開いたことはなかったのに、今になって、これほど真剣に生物を学んでいるのはなんでだろう。

その答えが、『天使たち 妖精たち』という本の中に書いてある。

植物学者たちによる「おしべ・めしべの結婚」という解釈を、ゲーテがひどく怒ったという記述に、中一のわたしはたいそう慰められる。

唯物的な解釈だけではなく、四大霊が大地と水と光と熱を、どう植物に運び込んでいるのか、運び込まれたエネルギーを、四大霊たちがどのように知覚し、応答するのか、その仕事ぶりがこの本には生き生きと描かれている。

柿の実はふくらんだ母の腹ではなく、凝縮した宇宙の熱。
こないだ福島の柿をいただいて、手にとって食べてみると、ほんとうに熱の味がする。

見える世界だけを扱って、何かを「治療」しようとしたり、役に立つ情報なり商品なりを提供したりしようとすると、自分に元気がなくなっていく。

facebookのタイムラインで、いろんな人が旅行したり美味しいものを食べたり物を欲しがったり誰かと会ったり遊んだりするのを横目で眺める。

それに比べて、この数年は海外にも行ってないし、ひたすら何かを学んでいるか、施術しているか、暗記してそれを体で覚えることに時間を費やしているか、なかなか体が変わらなくて打ちのめされているか、あふれかえっている情報やタスクが整理しきれなくてストレスを抱えているか、マインドはそんなふうに彷徨っている。

それでもやっぱり、「これでいいのだ、バカボン」という宇宙の熱をつかむ瞬間がある。
ものごとの内実に触れられたような感覚が生まれる。
その内実とは、何か真実とか概念のような抽象的なものではなく、食べた果実が栄養になっていくような具体性がある。
その具体的な栄養吸収のプロセスは、その後の現実で、ある種の体験となって現れてくる。

バクマンという、漫画家の頂点を目指す少年たちを描いたアニメを一気見して、「世の楽しみ」を投げ打って漫画を描き続けている若者たちに、おおいに慰められた。

今なら「絶望することはない、君は間違っていない」と子どもの頃の自分に言える。
人と違っていていいし、その違いを形にするには、まだ全然中途半端で、しかし進む方向は、これでいいのだ。

今夜は、生理学のnoteの続きをまとめよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?