#2 鏡と言葉、色と空間

こんにちは、葦江祝里(あしえ のり)です。言葉や身体感覚と結びついた生理学をお届けします。前回の記事では、こんな問いかけを出しました。

見える世界と見えない世界の間には時空反転があるのだとしたら、境界を超えようとする時、境界を超えたと感じる時には、何が橋渡しとなっているのでしょうか。

境界を超える橋というと、能舞台の橋懸かりがありますね。

画像1

画像出典:コトバンク

本舞台、橋懸かり、五色の揚げ幕があり、その奥は鏡の間になっています。本舞台は、幽玄の世界が顕現する場であり、この世とあの世とをつなぐ通り道には、橋、色、鏡という装置があるわけです。

今日のテーマは、五色と言葉の関わりについて。

五色の揚げ幕は、中国の陰陽五行思想からきているという説があるようですが、もしそうであるなら、色の配列は、以下の順になるはずです。
緑(青)=木、
赤=火、
黄=土、
白=金、
紫(黒)=水

実際の揚げ幕は、赤と黄が逆で、緑、黄、赤、白、紫。これはどういうことでしょう?
いろんな宗教や思想は、各地や時代によって習合が繰り返されますが、揚げ幕の色の配列は、古神道に近いものがあるのではないでしょうか。橋懸かりに五色が配されるのも深い意味があり、揚げ幕の場所や形からして、五柱を象徴していると思われます。

では、五柱とは?
古神道の五柱とは、別天神五柱(ことあまつかみいつはしら)。
古事記の冒頭にある別天神五柱のことを、大石凝真素美(壮大な言語論、霊学を体系づけた国学者)は、こう読んでいます。

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神(訓高下天、云阿麻。下效此)、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時(流字以上十字以音)、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神(此神名以音)、次天之常立神(訓常云登許、訓立云多知。)此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。上件五柱神者、別天神。
神代が成り立つ時に、高天原になる神名は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
次に神産巣日神(かみむすびのかみ)
この三柱の神は 皆スに成りまし澄みきりたまふ。

次に国わかく、もろもろくらげなすただよへる時に、
葦牙なして萌え騰がるものによりて成る神名は
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)
この二柱の神もまた スに成りまし澄みきりたまふ。
かみのくだり五柱の神は、別天神(ことあまつかみ)。

「スに成りまし澄みきりたまふ」は大石凝真素美独自の読み下しであり、通常は「独神に成りまして身を隠したまひき」といいます。最初に大石凝の「スに成りまし澄みきりたまふ」を耳にした時、腰が抜けるほど驚きました。その驚き以来、古事記を紐解いては学び続けています。

スに成りましの「ス」って何でしょう?
「鏡の間」という、自己を映し幽玄の世界へと目を移す場において、「ス」は純粋意識(観察者)の音義を持ちます。万物が顕現する前の意識ただ一点が「ス」です。万物創造にすべてが流し込まれ、観察者の存在は消失し、ただ澄み切っているのです。

生理学において性別はとても大切なトピックだけれど、古事記では、人間が男女の生殖機能を獲得する過程で、先行して五柱の世界があると述べられています。だからこの別天神(ことあまつかみ)は、言葉や身体感覚の根っこと結びついた生理学の大切な要素だろうと思うわけです。

五柱は、言葉の側面からみると、母声五音「あおうゑい」という実際の発声として体験することができます。発声する口の中では、口蓋、舌、唇などを使って息をコントロールする発声力学が働いています。

発生力学には、粒子としては内から外へ膨張する/外から内へ圧縮する働きがあり、波としては陽へ/最大の陽/バランス/陰へ/最大の陰があり、陰陽五行に対応しています。五行の本質は、循環する波のリズムの質を表しています。ですから、五行の木火土金水は、別天神五柱とは内実が異なります。五柱は宇宙生成の要素です。要素の働きを示しているのが五行です。

FireShot Capture 059 - note生理学 - Google ドキュメント - docs.google.com

宇宙生成の要素は、身体感覚の側面から見ることができます。五要素は、光、熱(火)、水、地との四元素と、四元素をつなぐ結びの全五要素を表しています。二足歩行のヒトは、人体の頭部(光)、胸部(熱=火)、腹部(水)、四肢(地)、それらをつなぐ脊柱のライン(結)として五要素の身体空間を体験しています。下の表の母声は五要素の柱、父声とは形象を与える力で、多様な響きがあります。真ん中に「S」と「う柱」の組み合わせ、「ス」が純粋意識として澄みきり渡っています。

FireShot Capture 063 - note生理学 - Google ドキュメント - docs.google.com

身体と照応した五要素は、上から光、真空、熱=火、結、水、地とあります。これは物質だけを指しているものではなく、物質を物質たらしめているエネルギーの状態をさしています。ですから「地」といっても三次元の物質を指している場合もあれば、根の国(冥界)を指している場合もあります。

「布斗麻邇御霊」を宇宙生成と紐づけて体系化した山口志道は、火(陽)と水(陰)を発生原理とし、陰陽が凝り合わさって生まれたもののうち、軽いものは息(イキ)、重いものは下降して形(地)を成すとしました。言葉においては息は音となり、形は文字となります。

出口王仁三郎との関わりの深い中村孝道は、濁音、半濁音を含む日本語七十五音の言霊関係図である「真洲鏡」を使って、口腔での音の場所と働きと、万物の働きの質を示しました。
真洲鏡でも、スはど真ん中に配されています。
中村孝道の真洲鏡でいえば、地球の三次元空間に顕れているのは、地・中津・天であり、根の国と高天は、ヒトにとっては非物質の世界です。です。地球や日本を指して水火(みずほ)と呼ぶ由来はこの辺りにありそう。

大石凝真素美はこれらを継承しつつ独自の宇宙観を展開して、七十五音の言霊関係図を「八咫鏡」と名づけました。結びを除いた四元素は、物質世界においては人体もそうであるように陰陽の顕れとして表現されるので、陰陽×四元素の八咫鏡となるわけです。

この四元素は、布斗麻邇(ふとまに)とも呼ばれます。布(ふ)=息、斗=地、麻=火、邇=水に対応しています。息は天の氣であり、古神道の占術である天津金木では、天・地・火・水と呼びます。

FireShot Capture 066 - note生理学 - Google ドキュメント - docs.google.com

話が深くなりましたが、能舞台の揚げ幕の五色と関連づけられるとすれば、どういう色合いになるでしょうか。
布斗麻邇と天津金木のカラーシステムでは、次のようになります。
天=青、
地=黄、
火=赤、
水=緑、
結=紫

揚げ幕五色は、緑、黄、赤、白、紫ですが、日本は緑を「あを」と呼び、、水は緑のほか黒でも白でも表現されます。揚げ幕五色は、わたしの目には、布斗麻邇の四色と結びの紫、合わせて「布斗麻邇御霊」の五色と映ります。この配色は、神社の拝殿や真榊の五色絹にも見ることができます。

ほかにも、母声五音のさまざまな音図と色彩の組み合わせがあります。また五行との習合もあり、中国大陸と海洋国日本では、方位の感覚も季節感も異なるので、色や方位の設定に違いがあります。どのカラーシステムを採用しているのかを意識すると、混乱が少ないかなと思います。

ここまできて、
・頭部(光=天)、胸部(熱=火)、脊柱(結)、腹部(水)、四肢(地)の身体空間
・言葉の母声「あおうゑい」の五柱
・発生力学を5柱×5坐のマトリックスで組み合わせた「鏡」
・布斗麻邇と天津金木のカラーシステム

が出揃いました。

生理学では、同化(物質代謝)と異化(エネルギー代謝)の生化学反応を見ていくことがとても大切で、天地火水の布斗麻邇原理では、天地が右旋・左旋の螺旋運動をなすエネルギーの流れ、火水が物質構造をなす経度・緯度の方向、そこに対して奥に入る・火に入る・水に入るといった空間座標が生じます。

物理的な言い方をすれば、空間のxyz座標とエネルギーの電荷(−+)、発生時間tを掛け算していくと、世界が誕生します。
世界には体も心も含まれていて、わたしたちは世界を言葉で名指しします。

「見える世界と見えない世界の間には時空反転があるのだとしたら、その境界を超えるには、何が橋渡しになってくれるのでしょうか」の問いかけに対して、身体空間の要素、母声五柱、世界の発生力学を表す鏡、色のシステムを見てきました。

舞台空間を行き来する色柱をもつ能舞台は、まさにそれを見事な装置として実感することができます。
また八咫鏡には、世界生成のすべての要素をミニマムな情報空間として見てとることができます。

わたしたちは、これら要素のどこからでも入ることができます。体の声を聞く。目が映すものを観る。心を澄ます。言葉とつながり直す。この場合の言葉とは、意味以前の、発声する口の形や音の響きが作り出す気分や感覚から始まります。

口の形が息(イキ)の流れをどう制御しているか、そこから生まれる音の響きはどんな気分や働きをもつのか。
言葉そのもののエネルギーに立ち返ると、内臓に働きかけている力にも出会うことができます。人体のミクロコスモスに対して、惑星や恒星のマクロコスモスが働きかけています。

「舞ひ」という身体操作で天や地とのつながりを見出していくこと。
人体を、水火=地球という物質の神秘の体現であるととらえていくこと。
芸術と生理学との接点を、この二つに見出しています。

ヨーロッパで、大石凝真素美と同時代に、言葉のエネルギーやマクロコスモスとの照応を体系化した神秘学者にルドルフ・シュタイナーがいます。

今日の記事の終わりに、シュタイナー研究者、高橋巌先生の言葉を引用します。これから向かう新しい時代にわたしたちがどう関わっていくのか。橋懸かりを超えていくような生き方に、勇気をもらえる気持ちになります。

社会芸術ーオイリュトミーのために/高橋巌
現実社会の中で
”まったく別様に生きる”ために
われわれには芸術という、
想像力を自由に展開できる感覚ー超感覚的な
美的假象の世界が与えられている。
もしこの芸術が、現実社会の
単なる再現行為の中に終始してしまったら
それは芸術の自殺行為でしかない。
一方、教育は今日、
まさにこの現実社会の集約として存在している。
教師も父母も子供たち自身も
その教育環境の中で一切の社会問題を
抑圧と管理と貧困と差別を、集約的に再生産している。
しかしルドルフ・シュタイナーは
社会問題をかかえたこの教育こそ
芸術にならなければいけないのだというー
「教育というこの偉大な人生芸術に必要な感情の火は
大宇宙に観入し、大宇宙と人間との関連を感得することなしには
決して点火されることがないのです」

葦江祝里の連載シリーズ「言葉や身体感覚と結びついた生理学」は、心身に生き生きとした感情の火を灯すこと、大宇宙に観入し、人間との関連を感得するというのはどういうことかを、実際の生理的な人体の営みに照らしつつ、実感し、自分のものにしていけるような読み物になっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?