#1 生理学ことはじめ

こんにちは、葦江祝里(あしえ のり)です。ここでは、言葉や身体感覚と結びついた生理学をお届けします。意識を広げ、生き生きした体の営みを体験すること、インスピレーションに満ちた言葉や動きを、手足の隅々にまで行き渡らせることができるような学びやワークを深めたいと思い、それについて綴っています。

心身の営みは、自分の世界観の通りに実現されている、とわたしは考えます。物質世界しか存在しないと思っていれば物理法則に従った体になるし、体が硬いと思っていればそうなるし、世界は敵だと思っていればそれを体験します。そんなことはない、自分の世界観は実現されていないと思えば、自分の内側と外側が引き裂かれている体験をします。

自分の世界観といっても、そのすべてを自覚できるほどわたしたちの個的な顕在意識や五感は広くありません。心の中に世界観なるものを探しにいくより、今、自分が体験して解釈している世界こそが自分の世界観を反映していて、喜びも葛藤も含めて自分の世界だととらえるほうが広がりを感じられるでしょう。

ここでいう「世界」とは、一番近いところでは自分の「体」があります。それから体と結びついて感情や思考を体験する「心」があります。体には空間的な属性が、心には時間的な属性があります。空間は三次元で見たり触れたりすることができ、時間は季節や一日の流れ、出来事、感情体験、または記憶として感じます。

この時空に、家、家族、友人、人々、公園、職場、街、山や海、大気、太陽や月などたくさんのもの存在しています。さらに概念として、絆、世間、日本国、外国、過去、未来、天国や地獄、幻想や夢があります。概念は、実体はないかもしれませんが、体験や観察ができるので実在しているといえます。体も心も物質も概念も、すべて「世界」です。

生者は三次元空間を占有しますが、時間そのものは見えません。死者は時間の流れや記憶の中に生活空間があり、いつでも「そこ」にいます。「そこ」という空間は見えません。つまり生者と死者の間には時空が反転した世界があるということです。こうした時空対称の検証や余剰次元は、素粒子物理学のテーマになっています。

古代より、ヒトの体とはマクロコスモスと照応したミクロコスモスである、という世界観があります。人の体は、古典的な化学や物理法則に従っているような機械的な肉体ではなく、目には見えないさまざまな力が働きかけて生命活動をしているという世界観です。

わたしはこうした世界観に親しみがあるので、扱いたい生理学も、ただ現象のメカニズムを知り、健康に役立てるという観点とはだいぶ異なります。

目には見えないさまざまな力が、肉体を含めた物理空間の隅々まで行き渡っている時、わたしは幸せを感じます。そうした世界をもっと体験したいと願っています。けれど、見える世界と見えない世界の間には時空反転があるのだとしたら、境界を超えようとする時、境界を超えたと感じる時には、何が橋渡しとなっているのでしょうか。また、世界の体験を終え、生涯の期間を終えるとき、わたしたちはどんな橋を超えていくのでしょうか。

体は小宇宙です。マクロコスモスと照応したミクロコスモスとしての生理学を見ていこうとする時、五感とは違う感覚が芽生え、新しいリアリティが育ちます。

言葉や身体感覚と結びついた生理学、スタートです。

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