製造時CO2をカウントする事の本質的な意味について

誰も言わないから言いますが、製造時CO2をカウントするという考え方は、これまで私たちが「温暖化問題」と呼んできたものの根底を覆すほどのゲームチェンジです。

これまで、京都議定書、パリ協定などで知られるCOP会議などの国際交渉で、「○○%削減」などと国毎に数値目標を定め、それを条約で約束するというやり方できたわけですが、全ての根底には、1992年に締結されたUNFCCC(気候変動枠組条約)があり、COPとはこの条約締約国の会議という意味です。

この条約の考え方は、各国がその国における排出量を削減することに責任を持つというもので、つまりエネルギーであれば「最終消費者に排出責任が帰属する」というものです。

これだけ聞くと当たり前に感じますが、このルールが意味することは、例えば石炭を掘る人や自動車を買う人、まして売る人は、温室効果ガスの排出責任はないということになります。ここが重要です。

この条約では「共通だが差異のある責任」といって、国を先進国と途上国に分け、先進国が強く削減義務を負います。当時は、エネルギー産出国の多くが途上国で、温暖化問題はいわゆる南北問題の資金・技術移転の側面があり、概ねこの考えで問題ありませんでした。例外的に、先進国で産油国の米国やカナダは利益相反が大きく、両国は京都議定書を離脱したことが象徴的です。しかし、その後韓国や中国など、途上国に分類されていた国が大きく成長してしまい、この枠組の意味は次第に喪失します。そこで、分類をしないが罰則のないパリ協定が生まれたわけです。

というか、京都議定書までは日本さえカモにできればそれで良かったんですよね。

しかし、この考えではより約束の緩い途上国に製造拠点が移転するという現象が起きるだけという問題があります(カーボンリーケージ)。

製造時もカウントすることは、排出量だけでなく、その排出に伴って製造した商品の販売にもペナルティを負うことになり、これは排出責任のダブルカウントですが、「カーボンリーケージ」を防ぐという正義の名の下に正当化されているわけです。

しかも、投資の際の要件として排出量公開を強制することで、欧州などの先行企業を差別化できる上、排出量監査業務が増えるので、金融や会計監査で儲けたい欧州財界にはウハウハな話。ほんと無茶苦茶やりおります。

ただし、輸入時に炭素税のようなものを課せば、WTOの精神に反します(EUはWTO改革を目論んでいる)。21世紀は新たな種類の保護貿易競争に突入するとも言えます。

また、このやり方だと、輸出品の製造業分野だけ脱炭素して、他の経済活動は排出するという責任移転を行えば、当面乗り切れるという歪みを生みかねないわけですが、、、。

だからなんだということなんですが、つまりそれくらいルールが変わりつつあることに気づきましょうということです。

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