見出し画像

祖母への最後のキスと自分の死に際と

先日、僕が主宰しているオンラインサロンのNPO未来ラボと家入さんの寺子屋いえいりの合同定例会を大阪でしていたときに死に際の話をした。文脈は忘れてしまったんだけど、家入さんが「棺桶に一度入る体験をして、実際に死んでしまったらその景色は見えないんだけど、死ぬことのイメージが何かついた気がする」と話していた。

僕は祖母が亡くなった時のイメージがあって。僕の葬式には関わった元高校生たちがたくさんきてくれるイメージがある。教えた子や何か僕たちと関わりを持った子たちが「のりさん、死ぬまでも元気だったよな」「アホなことばっかり、挑戦し続けていたな」と話し合っている姿が浮かんでる。なくなる瞬間は孤独なんだろうなと思いつつ、意識がなくなっても孤独じゃないのかもしれない、と。祖母もきっとそうだったに違いない。

僕の世代はどれぐらいが平均寿命になるかわからない。実際に平均寿命が上がったとしても僕たちはいつまでに生きれるのか、そんな未来は誰にもわからない。とは思っても、「日々、全力で生きれよ」と僕は思わない。人生の小休止や休むこと、のんびり考えることも必要だし、僕個人にとっては誰にも理解されづらいかもしれないが、挑戦だって必要。10代の子たちのハブ、セーフティネットになるぞっていう強い思いがある。

生きることは死に近づくことと同時に未来を後世に託すことだと思う。死んだ後に託した人たちが想いを持って生きてほしい。死を考えるのに早い年齢などないと思うので、ちょっと書き記す。

※写真は去年、祖母が亡くなった時、家族で祖母を棺に入れた。祖母は安らかに眠っていた。僕は祖母の身体を持ち、棺にいれた。とても軽くなっていた。でも、顔の表情は眠っているようで僕は祖母の顔にキスをした。「おばあちゃん、おやすみ」と実家に帰ってくると僕は祖母にキスをしていたように、最後のキス。

D×Pへの寄付も嬉しい!  http://www.dreampossibility.com/be_our_supporter