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次女の筆箱に限界鉛筆が詰まっているのは人生に無駄がない証明だ

小六次女は鉛筆をナイフで削る派。
鉛筆をナイフで削る派という派閥があるのかは知らないし、鉛筆削りを使う派との対立があるのかどうかもわからない。
けれど、少なくとも次女は自分をナイフで削る派だと言ってる。

次女が鉛筆をナイフで削るのは、父親である僕の影響だ。
僕も小六からずっと鉛筆をナイフで削っている。
なぜ僕が鉛筆をナイフで削っているかといえば、それは小六の時の担任の先生の影響だ。

担任の先生は鉛筆をナイフで削る派だった。
昭和60年度、京都市立N小学校の6年2組の児童は全員、担任にナイフを買わされた。
そして鉛筆をナイフで削っていた。

小学校の担任が児童にナイフを買わせる。平成でも令和でもありえないことだ。でも昭和60年にはあった。
僕はナイフを買わせたその担任が大嫌いだった。
担任は全体主義。クラス全員鉛筆はナイフで削りなさい、というのも全体主義の一つの現れだった。

だけど、僕に鉛筆をナイフで削れるようにしてくれことは感謝している。
次女は5歳から鉛筆をナイフで削ってる。
鉛筆削りに関しては、すでに父を超えているのだ。

こんな少数派で面白い子育てができるのも、大嫌いだった担任のおかげ。
担任の全体主義のおかげ。
嫌いな人から学べることもある。人生に無駄はない。

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