「メイキングオブ:トラペジウム」レポ
(企画者様からの権利上の申し立てがあった場合は、こちらの記事はすみやかに削除いたします)
第11回新千歳空港国際アニメーション映画祭のプログラム「メイキングオブ:トラペジウム」に行ってきました。
以下では、お三方のお話を拝聴しながら取ったノートを頼りにレポートを記します。
プログラム概要
本プログラムは、2024年11月1日 (金) から11月5日 (火) にかけて新千歳空港内で開催されている、第11回新千歳空港国際アニメーション映画祭のプログラムの一つです。
ゲストとして、『トラペジウム』監督の篠原正寛さん、アニメーションプロデューサーの染野翔さん、プロデューサーの橋本渉さんがご登壇されました。
◯「メイキングオブ:トラペジウム」概要
◯第11回新千歳空港国際アニメーション映画祭ホームページ
◯映画『トラペジウム』公式サイト
さて、このプログラムはお三方によるトークと質疑応答からなり、前者は大まかに二つのセクションに分けることができます。一つ目は企画とシナリオについて、二つ目はデザインと美術についてです。以下ではそれぞれの内容を要約します (要約なので一部省略しております)。ただし、あくまで私個人のノートを頼りにしているため、情報の信頼性はその程度にとどまります。また、他のインタビュー等で何度か聞いたことのある・見たことのある情報は落としていることがあります。なので、文字起こしされている方がいましたらそちらの方が間違いなく網羅的だと思います。
セクション1: 企画とシナリオについて
このセクションでは橋本さんがMCとして進行しつつ、篠原さんと一緒に制作背景についてご解説されていました。主な話題は、企画の成り立ちとシナリオの方向性です。
1.1: 企画の成り立ち
お三方が今回一緒にお仕事されるようになったきっかけは、2018年に放送されたテレビアニメ『スロウスタート』で、当時アイドル (アイドルその人だけでなく、それに関わるさまざまな仕事も含めて) に関心をもちつつあった橋本さんがたまたま原作小説を手にしたのがきっかけだったそうです。橋本さんは原作小説に、なんとも言えない独特の魅力を感じたとおっしゃっていました。
監督依頼を受けた篠原さんは原作小説について、面白い要素はたくさん詰まっているものの、アニメとしてそのまま映像化するのは難しく、足したり引いたりする必要があると感じたとおっしゃっていました。他方、原作を大事にしたいという思いもあり、そこで高山さん (原作者) に「小説を書く上で、やりきれなかったこと」を尋ね、それを足すことしたそうです。それに対して高山さんは、四人が一緒に過ごして楽しんでいた時間 (友達としてもアイドルとしても) を書ききれなかったことが心残りだと応答しました。
さらに、篠原さんは原作小説の後半が駆け足になっていると感じ、そっくりそのまま映像化すると食い足りなくなってしまうと考え、東西南北 (仮) が崩壊してからゆうが立ち直るまでにある程度尺を割くようにしたそうです。
以上のような意見をすり合わせることによって、原作のシナリオに足し/引きを行って、アニメのシナリオが作られました。
1.2: シナリオ会議での主な争点
シナリオ会議では、東ゆうの話にするのか、それともメイン四人の群像劇にするかが主な争点になっていたそうです。
篠原さんとしては、原作小説は東ゆうの話としての印象が強かったことから、アニメでも東ゆうにスポットを当てようと思ったと話されていました。しかしその一方で、原作小説では東ゆうらしさが詰まっていた地の文・モノローグを極力使わないようにしたそうです (おそらくこれが上記の「引き」にも当たる)。その理由は、アニメなので絵で見せることができるものは絵や芝居で伝わるようにしたかったからだとおっしゃっていました。原作小説の地の文・モノローグに詰まっているゆうの毒っぽさやクセを画面で出すことを目指していたようです。
また、篠原さんは人前/一人で家にいるとき、あるいは他人に対して/自分に対してで、その人の言葉遣いや姿勢は違っている・使い分けられると考えているみたいです。本作に関しては、上記の都合で東ゆうにスポットを当て続けていたので、たまたま彼女の両面が見えるようになったと分析されていました。
橋本さんは、東ゆうにスポットを当て続けることの効果について、彼女にとっては大きな物語である一方で、客観的には小さな物語に見えるとお話しされていました。
セクション2: デザインと美術について
このセクションでは、染野さんが資料を出しながら、お三方が制作当時の状況と背景についてお話されていました。
2.1: 基本デザイン
このセクションでは、染野さんがキャラクターデザインの資料を表示しながら、主に染野さんと篠原さんがそれぞれについてご解説されていました。映された資料の中には以下のようなものがありました (このリストはすべてを網羅できていません)。
東ゆうの表情資料
東ゆうの衣装資料
東ゆうのコーディネート資料
大河くるみの衣装資料
幼少期東ゆうの資料
東ゆうの
水着姿ボディライン資料各キャラクターの身長やシルエットを一覧できる資料
など
お二方は、『トラペジウム』では衣装にリアリティを持たせるようにしたとおっしゃっていました。本作は、春夏秋冬すべてのシーンがあるので、季節ごとに衣装が変わること・年頃の女の子だからまったく同じものを着続けることはないこと・とは言え高校生なので着回しはすることを意識して、さまざまな服とコーディネートを用意していたようです (こちらは篠原さんのディレクションらしい)。
例えばゆうがジャージの下に着るTシャツについては、(部屋着なので) 外には着ていけないような・家からコンビニに行くくらいのレベルのようなものにしようと意識して、あまり綺麗でない色を使うようにしたそうです (こちらは篠原さんから中島さん (色彩設計) への依頼だったとのこと)。
キャラクターデザインについては、アニメーションなのでデフォルメはしつつもスタイルは良くしすぎないようにして、「地方にいるかわいい子」になるようにしたとおっしゃっていました (こちらは篠原さんからりおさん (キャラクターデザイン・総作画監督) への依頼だったとのこと)。
さらに、りおさんはシルエットでキャラ感が伝わるように、脚の太さ (美嘉ちゃん!) や頭身 (くるみ!) など、パーツのデザインをキャラごとに意図的に変えて個性を出していたそうです。
また、高山さんも積極的に意見を出されていたようです。キャラクターの髪の毛の色については一緒に見ながら調整し、私服については各キャラに合うブランド (高山さんが用意した各キャラのプロフィールに含まれていた) を資料として提示し、ライブ衣装についてはりおさんと一緒になってデザインを描くこともあったそうです。特に高山さんは本職の人というのもあって、ライブ衣装の意見はとても参考になったとお話されていました。高山さんがかわいいと思った実際のアイドルの衣装の写真を資料としてもってくることもあったそうです。
2.2: 各シーンの美術 (ロケハンと美術ボード)
このセクションでは、染野さんが映像を流しながら一部シーンをピックアップして、美術について主に染野さんと篠原さんがご解説なさっていました。『トラペジウム』では美術に特に力を入れていたようです。
ロケハンを基にした美術ボードの例として、聖南テネリタス女学院 (神戸女学院大学)、西テクノ工業高等専門学校 (千葉大学)、本屋さんが挙げられていました。ロケーションのイメージは、最初の頃に高山さんと話してを考えていたそうです。また、ロケハンする頃にはシナリオはほぼできていて、篠原さんは動線などイメージしながら、絵コンテを描くときの資料のために自分で写真を撮っていたそうです。
神戸女学院大学に関しては、篠原さんは本当に創作物の中にいるような雰囲気だったとおっしゃっており、そっくりそのまま聖南テネリタス女学院として描いたそうです (作画の都合でアレンジを加えた部分もあり)。
西テクノの美術ボードは、『トラペジウム』の世界の色味を決める最初の基準ボードだったそうです。夏は鮮やかでハイコントラストに、冬は彩度を落とすように意識したとお話しされていました。
本屋については、まずは平積みになっている本のカットが取り上げられていました。ここで映った各本の表紙は、(表紙に写る) 人物の作画をわざわざ別で用意した上で、2Dワークでデザインを作ったそうです。本の胡散臭いタイトルなどは篠原さんが考えたらしく、篠原さんは電車の広告などが参考になったとおっしゃっていました。
また、本屋の美術ボードに関しては、染野さんと篠原さんが田村さん (美術監督) の職人技について語られていました。すなわち、本棚に飾られているポップなどの文字が、ズームすると読めないけど、引きで見ると文字っぽく見えるように描かれています (篠原さん曰く、これぞ美術の真骨頂!)。
西テクノについてお話しされている途中、機材トラブルがあり、復旧までの間では光の表現について篠原さんがご解説されていました (橋本さんのご提案!)。アニメでは順光影つけ (順光で綺麗にキャラに光がまわる方法) が基本で、特に昼間の屋外のカットなどはそのような表現になるそうです。これに対して篠原さんは、そこまで綺麗に人に光はまわらないと考え、『トラペジウム』では順光影つけを減らしたかったとおっしゃっていました。むしろ、光源を意識して影つけをすることによって、リアリティを出すようにしたそうです (場所によっては仕方なく順光影つけを使ったところもあったとのこと)。
2.3: 各シーンの美術 (作画や撮影について)
続いては、自転車を押す真司とゆうが夕日に照らされながら海岸を歩くシーンがピックアップされました。篠原さん曰くここの撮影が素晴らしく、夕日の光、海のキラキラ感、二人から見た海の反対側の暗さで綺麗な夕方感が出ているとおっしゃっていました。また、『トラペジウム』はA〜Dパートに分かれていて、ここはAパートの最後だったそうです。このシーンに関して、ゆうが他人に (特に真司に) 本音を打ち明けるシーンは大事にしたい、できるだけ早く出したいという考えがあり、入れる箇所と使う絵は気遣ったとおっしゃっていました。
工友祭の写真撮影シーンも取り上げられていました。真司のカメラのロゴの貼り込みが特に大変だったとのこと (動くので)。また、ゆうとサチが指切りをするシーンに関して、りおさんは特に手や手元の芝居にこだわっていたとおっしゃっていました (橋本さんは毎回ここのシーンで泣きそうになるらしい)。
東西南北 (仮) の活動が始まってからのシーンも作画が大変だったようです (雷門の中に立たせたり、東京タワーが出てきたり)。また、鴨川シーワールドのシャチのカットは仕上がったのがギリギリで、担当した方は自身を「日本で一番シャチを描ける」と言っていたらしいです (『トラペジウム』はシャチアニメ!?)。
また、ダンス練習の風景でわかりやすいように、鏡などによる反射も丁寧に描くようにしたとお話しされていました。ダンスについては、モーションキャプチャーをガイドに描いたそうです。そのためにダンサーにあえて下手に踊ってもらったものの、素人にはそれでも上手く見えてしまうので、そこからさらに初心者っぽく見えるように篠原さんから作画担当に調整してもらったとおっしゃっていました。
次に注目されたのはゆうのノートでした。上記の通り、アニメの『トラペジウム』ではモノローグを使わない分、その時々の地の文におけるゆうの感情やテンションを絵として簡潔に伝えるためにノートを使ったそうです。内容に関しては、高山さんにゆうが書きそうなことをチェックしてもらったと話されていました。「出口。私は」は高山さんが出したワードだそうです。
ゆうと真司の最後の作戦会議シーンもピックアップされました (篠原さん曰くここの真司がイケメン)。ここでBONのマスターが飾ったゆうのサインは篠原さんが描いたらしいです (練習していない不慣れな感じを出したかった)。喫茶BONの美術ボードでは3Dを使っていたようです。その上でゆうと真司の位置や画角を考えたとのこと。しかし3Dを使いつつも、例えば手すりの欠けなどを表現することで、手描きの味も出るようにしたそうです。
2.4: 各シーンの美術 (終盤の意図)
最後の丘でのアカペラシーンについては篠原さんと染野さんがご解説されていました。マジックアワーっぽくなるようにピンクと紫を強調してキャラに被せるようにしたそうです。ここは後に未来に繋がっていくシーンなので、あえて嘘っぽくていいから幻想的にして、綺麗さを優先したとおっしゃっていました (他のシーンでのあの丘の上はリアリティを優先している・あの丘の上だけでも10種類以上の美術ボードがある!)。なお、あの丘の上は実在しないようです。
Dパートでの真司の個展について染野さんは、あれは本物の写真家となった真司によるものなので、緩くならないように本物を追求したかったとおっしゃっていました。そこでKAGAYAさんに依頼したようです。なお、高山さんはKAGAYAさんのファンで、それもあっての依頼だったみたいです。
真司の個展では入り口から写真を並べる順番にも意味が考えられていて、最初は館山周辺の写真、その次は日本規模の写真、その次は世界規模の写真 (「テカポ」!) と広がっていくようになっているそうです。KAGAYAさんは写真をただ提供しただけでなく、補足情報を入れたり、KAGAYAさんの中での工藤真司のストーリーを考えていたりと、とても協力的で篠原さんは感謝と同時に驚きも感じたとおっしゃっていました。
ゆうのモノローグによる締めについて篠原さんは、横山さん (音楽) の「方位自身」のイントロの入れ方が渾身の一撃だったと語られていました (『トラペジウム』ではフィルムスコアリングを採用)。橋本さん曰く、横山さん自身も音楽を仮はめしたときに「『トラペジウム』、これ勝ったんじゃないかなあ?」と自画自賛していたそうです。
セクション3: 質疑応答
このセクションでは、事前に集められた五つ質問への応答と、会場で挙げられた三つの質問への応答がなされました。なお、質問内容と回答はコピーではなく、私が聞いて残した荒いメモをもとに再構成したものなので、正確ではありません。
3.1: 事前質問
Q1: 綺麗な空は『トラペジウム』の魅力の一つだと思いますが、どのようなこだわりがありましたか?また、篠原さんにとってお気に入りの空はどのシーンですか?
篠原さんによるA:
綺麗に光が入ってくることを意識すると、自然と太陽の位置を気にするようになりました。
空についても、雲の形、色の鮮やかさ、彩度、コントラストで季節感を出して、説明せずとも「一年回っている」感が出るよう意識しました。
お気に入りは、サチのリクエストがラジオで読まれた後の星空です。星の光り方や、どの星を目立たせるかなど、美術や撮影に細かく口出しした記憶があります。
Q2: ライブシーンではアイドルだけでなく、カメラマンやスタジオ全体も映していましたが、どんな狙いがあったのでしょうか?
篠原さんによるA: あくまで「アイドル」は一つの要素に過ぎないと考えていて、東ゆうのお話だということを強調するためにも、客観的なカメラになるように、げそいくおさんにオーダーを出しました。
Q3: サントラにはフルがある一方で、本編では一部しか流れなかった劇中歌についてはどのようなこだわりがありますか?
篠原さんによるA:
テネリタス校歌の歌詞に特に意味はなく、舛成さん (スーパーバイザー) が適当に口ずさんだフレーズが耳に残って、そのまま (その場のノリで!) 使いました。
アイドルの楽曲については、ゆうがアイドル好きなので流行りの曲だけでなく昔っぽい曲 (「キャンディ・ストライプ」) も入れて「好きなだけでなく、勉強もしています」感を出そうとしました。そのために横山さんには、今っぽい曲も昔っぽい曲も欲しいとオーダーしました。
Q4: 原作最後の真司の台詞をカットして、ゆうのモノローグで終えたことについて、どのような意図がありますか?
篠原さんによるA: 群像劇にするなら原作通りにしたかもしれませんが、あくまで東ゆうスポットの話なのであのようにしました。
Q5: 東ちゃんの部屋にあるアザラシのキャラクターの成り立ちについて教えていただきたいです。
篠原さんによるA:
アザラシのキャラクターは美術を作っているときに田村さんが入れたもので、「幼い頃に家族で近くにある鴨川シーワールドに行って、そこで買ってもらったぬいぐるみを置いている」という文脈が意図されています。
ゆうの部屋は生活感を出すためにあえてゴチャゴチャさせました。
設定上、ゆうには姉がいて、進学・就職で家を出ていることになっています。そのため本編のゆうは二人分の部屋を使っていることになります。学習机が二つ繋げられていたり、ベット横の仕切りカーテン奥の段ボールには姉の私物が入っていたりします。
Q5: エンドロールに千葉県立柏南高等学校の名前がありましたが、どのシーンのモデルになっているのでしょうか?
篠原さんによるA:
柏南高校さんには、舞台としてモデルにしたと言うより、ロボコンについて取材させていただきました。普段の練習風景や使う機材、資料 (くるみが南さんの家で広げているファイルなど) について調査するためにご協力していただきました。
やるからにはロボコン要素の取材もちゃんとやりたかったので、ご協力をお願いしました。
ほんの少しですが舞台としてもモデルにしていて、くるみが使用している部室は、柏南高校ロボコン部さんの部室をアレンジしたものになっています。
3.2: 会場質問
Q1: ①OP映像の意味が一見ではわからなかった (音声ガイドを頼りに理解できた) のですが、どのような考えがあったのかお尋ねしたいです。②作品を通してキャラクターの顔が変わることがあり、特にシリアスなシーンでのけろりらさん (総作画監督) の絵が印象的だったのですが、キャラクターデザインの打ち合わせはどのようになっていたのでしょうか?
篠原さんによるA:
①あの瞬間で何か感じてもらえたら、見終わった後に思い出して何か感じてもらえたら嬉しいと考えていたくらいで、あくまで本編にちょっと補足をする程度です。なので、必ずしも何回も見てもらうことを意図、強要していたわけではないです。
②確かに、シリアスなシーンでもけろりらカラーが強く、ふわっとした感じがあったかもしれませんが、逆に印象に残って良いかもしれないですね。
染野さんによるA: ②あそこは芝居の良さ、アニメーションの良さを追求するところでした。あのシーンについてけろりらさんが描いた芝居・アニメーションが完璧で、りおさんが修正を入れなかった (篠原さんと染野さんも) という理由であのようになりました。もしあれに修正を入れてしまうと、良さが崩れて新たに作画を再構成する必要が生じたと思います。
橋本さんによるA: ①グッとくるOPですよね。スタート時点のゆうの崖っぷち感、オーディションに落ちて否定され続けて、アイドルになれないという状況とそこでの心情を垣間見ることができます。しかし、それでもラストカットではゆうはズンズンと前に進む姿を見せるので、勇ましさを感じることができて素晴らしいと思います。
Q2: ①ティザービジュアルのキャッチコピー「わたし一人では、アイドルになれないんだって。」は本編には登場しませんが、それをキャッチコピーとした意図と、②ティザービジュアルを涙が上に流れるようなデザインにした意図について伺いたいです。
橋本さんによるA:
①ゆうがここまでどんな人生を歩んできたのかは本編で語っていなく、それを伝えるためのティザービジュアルとキャッチコピーにしました。
②こちらはりおさんのアイデアです。
篠原さんのA: ②悲しいとも嬉しいともどっちともとれる絵にしたいと思っていました。もし涙が下に流れると悲しさが強くなるので、あえてイメージを変えるようにしました。そこで、涙が上がっているようにも落ちているようにも見えるようにしようと思いました。
Q3: 時系列について、くるみは二年生であるにもかかわらず、「毎年文化祭は休んでたの」や「受験生なのに?」という台詞があるのはミスですか?
篠原さんによるA: 後者は台詞の相手が蘭子だからだと思うので、特に意図はありません (おそらく、質問者さんは東西南北 (仮) デビュー前のシーンでの台詞を指している一方で、篠原さんは最後の丘のシーンでの「受験は?」に言及しているように思われます)。前者についてはそのように言うと考えていましたが、確かにあのような場面では「去年は〜」と言うこともありますね。
内容の要約は以上となります。
感想など
せっかくのレポートなので、参加した私の感想も書きます。今回は『トラペジウム』の上映と「メイキングオブ:トラペジウム」の両方に参加しました。
まず上映についてですが、前回からおよそ4ヶ月ぶりの視聴だったので、当時とはまた違った心持ちで、落ち着いて見ることができました。しかしそれでも感想は変わらず、自意識、他者の眼差し、他者との相互作用が密接に絡み合って魅力的に描かれているあの人間関係に感動しました。確かに、特にこの作品に関しては人によって見え方が変わるというのは私も同意しますが、ある程度の回数を見た分、自分の中では見え方が収束してきているように気がします。
他方、久しぶりに見たので改めて認知負荷の高い作品だと実感しました。篠原さんたちのお話にもあった通り、『トラペジウム』は東ちゃんにスポットを当てるお話でありつつも、東ちゃんの主観には寄り添わずに客観的なカメラから眼差すように作られていて、かつリアリティを追求しているので、心情や意図に関して一切の説明もありません。しかも絵や芝居、演出でわかりやすく (半ば説明的に) 示唆しているわけでもないので、認識可能なのは人物たちの言動そのものだけです。つまりそこから (まさに私たちが実際に行う他者認識のように!) 人物たちに向き合うことが要請されます。そしてその過程の中で、(まさに作中の東ちゃんたちのように!) 鑑賞者の自意識や他者についての考え方もまた露呈されることになります。なので、作品それ自体も、鑑賞体験も非常に多様な側面をもっているのだと思います。
というように色々と書いていますが、私自身早起きと電車酔いと人混みにより体調が優れない中での上映だったので、実のところ今回は十分に集中して見ることができませんでした。体調が良ければまた違った感想を抱いていたのかもしれません。
「メイキングオブ:トラペジウム」に関しては、終始目から鱗でした。お三方のお話を聞いて、作品に対する自分の解像度が上がったのはもちろん、作り手の側も私たちと同じように、あるいはそれ以上に、『トラペジウム』に熱狂していることが伝わりました。特に橋本さんはわかりやすく「東ゆうに脳を灼かれた人」のような発言をずっとしていました。
また、上記の要約からもわかる通り、この作品はとにかく絵 (作画もデザインも美術も撮影も含めて) がこだわり抜かれているので、アニメファンとしても目を離せない、とても勉強になる作品の一つだと思います。
「メイキングオブ:トラペジウム」は60分間しかなく、聞き手としてももっといろいろなお話をお伺いしたかったのはもちろん、話し手のお三方もまだ話したいことのほんの1%しか話せていないとおっしゃっていました。実際、今回お話しされた以上に作り込まれているだろうし、まだ明かされていない多くの設定があると思うので、是非ともまたお話を伺う機会が欲しいですね。私としては、やはり高山さんが事前に用意されていた各キャラクターのプロフィールが気になります。他にも、今回はあまり触れられなかった、さまざまなカットにおけるレイアウトとその意図の話も聞いてみたいと思いました。
質疑に関しても、メモを取るのに集中して質問する体力が残っていなかったのが心残りでした。上記のレイアウトの話や、動線と空間の意識についての話、大人になった四人のデザイン・芝居と四人が高校生だったときのそれらとの差異、原作小説における「あとがき」とアニメ版との関連など、質問したいことは山ほどありましたが、それをお尋ねする文を考える余力が当時の私には残されていませんでした (そもそも事前質問として提出しておけという話ではありますが)。
最後に、『トラペジウム』に限らず、各地で展開されているアニメーション創作が一点に集結するという貴重な機会を、都心ではなく北海道でいただけるというのはとても喜ばしいことだと思います。私は今回が初めての新千歳空港国際アニメーション映画祭でしたが、来年からも参加してみたいと思いました。また、それと同時に、このような祭典がさまざまな地域で行われ、アニメーションに関心のある人たち同士のインタラクションが各地でより活性化されることを願います。
以下宣伝。