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アンドロイドは焙煎珈琲の夢を見るか

 以前「スタビライザー的思考操縦法」という記事を投稿した。

《記事より》
『スタビライザー』は、揺れの激しさを抑えるために器具同士を支える安定化装置だ。

僕は、自分の感情を見つめる時に、スタビライザーが自分の身体を支えているような想像をする。身体を動かす時も、中にバネが入っているような感覚を頭に浮かべながら、振りを大きく、かつゆっくりと丁寧に動かすようにしている。

これも不思議な事に、思考の安定化を大きく助けてくれる。

言わば「ヴィパッサナー瞑想」の自分流アレンジなのだが、ここ最近、この思考操縦具合がより度を越してきており、自分でもびっくりしている。

極端に言うと、一日の中で何かをするたびに「整っているか?」の意識が絶えず働きまくる。姿勢が歪んでくるとすぐに正し、心が上の空になりかけるとすぐに引き戻す。秒単位で「気づく」事が多くなり、いちいち細部までメスを入れるようになった。

まさに「今この瞬間」的な領域へ向かいつつあるのではないか…?と、ほくそ笑む時もある。まだまだなのは充分わかっていても。


 ただ、これ自体は悪い事ではないのだが、所作や思考にいちいち振り返りをしまくっていると、比例してどんどん自分の見た目もおかしくなっていく。

自動運転に任せずできるだけ手動運転に切り替えることで、歩いている時も「逃走者」のハンターもしくは「マトリックス」のエージェントのような、絶えず手足や頭の動きに独特の癖が生じたモーションになってしまい、側から見るときっと気味悪いに違いない。

 そんなリスクもある思考操縦法だが、クセになると本当にやめられない。

これを続けていると、仮に街中のゴミゴミした喧騒の中でも関係なく無風状態を保ち頭のリセットができるので、目の前の事に対し冷静な判断ができるようになる。無駄な緊張や焦りがなくなるので、思考領域に本来の余裕が芽生え、適切に Yes、No を言えたり、臆せず議論ができたりする。

もう一つのメリットとして大きいのが、例えば「暴飲暴食」とか「酒をしこたま飲む」といった風に、一時的な情動の昂りによる "わかっちゃいるけどヤメられない" 的行動を、気持ちの中庸さの勝利によって抑えることもできる。

その結果、"自律性がアップ!" "誠実性がアップ!" という、まるでロマサガみたいなレベルアップ感覚をリアルに得る事ができる。

ASIMO みたくなってしまう見た目のデメリットは、逆に言うとその程度のもので、それに勝るメリットの方が大きい事もあり、気にせず僕はしばらくはこの方向性を探り続けて生きるだろう。

果てはレプリカントかスペシャリストか。
淹れたてのコーヒーを飲もう。

今日はこんなところで。

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