翻訳者の労働条件
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今回の執筆者 久山葉子
専門言語 スウェーデン語・英語
居住地 スウェーデン
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前回の投稿で羽根由さんが書いてくださったように、8月21日~25日にストックホルムでスウェーデン語→日本語の翻訳者セミナーが行われました。
スウェーデンの文化庁(Kulturrådet)の主催によるもので、合計8人が日本とスウェーデンから集まりました。
セミナーの雰囲気については羽根さんの投稿を読んでいただければと思うのですが、今回はセミナーのプログラムの1つ、作家協会を訪問してスウェーデンの翻訳者の労働条件について教えてもらった時のことを書きたいと思います。
スウェーデンはどの業界でも労働組合(産業別組合)が力を持っていて、ブラック残業がほとんどないのもそのおかげだと思います。労働者が労働条件が守られていないと感じると、所属している労働組合に相談し、労働組合から会社に圧力がかかるのです。
作家・翻訳者の場合はフリーランスで働いている人が多いので、労働組合に所属して自分の身を守ることがなおさら重要になってきます。
今回お邪魔したFörfattarförbund(författare=作家、förbund=組合、連盟、協会)は日本語だと「作家組合」に相当します。
この作家組合の中に、支部のような感じで「翻訳者組合」というのがあり、そこの担当者さんにお話を伺いました。私たちの北欧書籍翻訳者の会では以前から日本での翻訳者の労働条件改善のために話し合いを重ねており、HPでもこのような希望を公表しています。他言語の皆さんにもぜひ交渉時にご活用いただければと思います。
日本では書籍の翻訳料は基本的に初版部数に応じた印税で払われますが、スウェーデンはいわゆる買い切りで支払われる仕組みです。
なので単純に日本とスウェーデンの労働条件を比較することはできないのですが、個人的に大きく違うなと思った点をまとめてみます。
・翻訳者はフリーランスとはいえ、スウェーデンでは組合が定める「標準条件」があって契約書形式に仕上がっており、事前に合意できていればあとは双方がサインすればいいだけになっています。
・翻訳者に仕事を依頼する出版社側も「出版社協会(
Förläggareföreningen)というグループを作っていて、条件の交渉は「翻訳者組合」と「出版社協会」の間で行われるため、翻訳者個人が毎回出版社と交渉しなくてよい。
・ただ近年は「出版社協会」と「翻訳者組合」の間で契約条件のアップデートの合意に至っておらず、2011年版の標準条件が任意で使用されている状況です。スウェーデンではここ5~10年くらいで急速にオーディオブックや電子書籍が広く普及し、そのあたりの支払条件でもめているようです。
・翻訳料の支払いは「印刷に回せる状態の原稿を提出してから14日以内」となっています。日本だと再校のゲラを戻してから、さらに刊行された翌月末の支払い、みたいな感じなので、少なくとも2,3カ月はかかりますね。最終的には支払われるとはいえ、期間が開くほど翻訳者のリスクは高くなります(あまりないかもしれませんがその期間内に出版社が倒産したり、私も1度経験ありですが出版が取りやめになったり)。
・有休がある! 翻訳料の12%が有休分として支払われます。たとえば2カ月間フルタイムで1冊の本を訳したとしたら、単純計算して2カ月実働40日x12%=4.8日の有休がいただけるということでしょうか。
・気になる翻訳料ですが、1000文字(スペースを含める)あたり〇スウェーデンクローネ、というのは契約書では空白になっていますので、交渉しないといけないようです。ただし最低保証金額(minimihonorar)が決まっていて131sekです(税金の制度も違うので単純には比較できませんが、A-skattといって源泉徴収後の額という感じです)。1000文字というのはワード数ではなく、語数(スペースを含める)です。絵本や詩などはまた別の規定があります。
以上、なんとなく違いをわかっていただけましたでしょうか。スウェーデンの条件が正しいと言いたいわけではありませんが、日本の労働条件のブラックなところは改善していければいいなと思っています。そのためには最低限、上記に記載した希望条件が守られることを望みます。
翻訳に限らず、スウェーデンの労働条件が(日本より)まっとうなのは、これまでに前の世代の方々が闘ってその権利を勝ち取ってきたからです。私が住む地方都市Sundsvallはスウェーデンで初めて大規模な労働者デモがあった街でもあり、その時に命を落とした人もいました。そうやって交渉して積み重ねた結果、今の私たちは人権に配慮した労働条件下で働くことができています。たとえば気軽に残業しないのは、過去の世代の人たちへのリスペクトでもあるはずなのです。
自分のことを振り返ると、駆け出しの翻訳者だった頃は何よりも実績が欲しくて、労働条件など気にしていませんでした。まあ最初は誰しもそれで仕方ないと思います。でもある程度ベテランの翻訳者になったら、働く私たちの側が「ノー」と言うことが業界全体の向上にもつながると思うのです。労働条件に対して不満を言うだけで終わらず、おかしいと思うことは交渉したり断ったりしてみるのも手だと思います。誰もその条件で仕事を引き受けなくなれば、雇う側も考え直すのではないでしょうか。
文責:久山葉子
1975年生。神戸女学院大学文学部英文学科卒。2010年よりスウェーデン在住。著書に『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』(東京創元社)。訳書に『影のない四十日間』(オリヴィエ・トリュック)、『こどもサピエンス史』(ベングト=エリック・エングホルム著、NHK出版)、『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』(フィルムアート社)、『許されざる者』(レイフ・GW・ペーション著、創元推理文庫)、『スマホ脳』『最強脳』『ストレス脳』『メンタル脳』(アンデシュ・ハンセン著、新潮新書)、『北欧式インテリア・スタイリングの法則』(共訳、フリーダ・ラムステッド著、フィルムアート社)、『にゃんこパワー』(新潮社)など。
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