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幸福な記憶

 昔私は、カップルが遊園地や駅前やフラワーガーデンで点灯されるイルミネーションを見にいく意味が分かりませんでした。大抵はクリスマスや年末で寒い時期なので、そんな時期に灯りを見に行って楽しいの? と思っていました。独身時代の12月、仕事の帰りにどこかの駅前で輝くイルミネーションを見ると、「う~~、寒い。早く帰って鍋つつきたい~」と考えていました。こういうものを見にいくカップルは寒いからこそ寄り添って、愛を深めるのかもしれないですが。

そんな私がイルミネーションの効果に開眼する出来事が起こりました。それは今年、2021年5月の母の日でした。その日一緒に過ごしたのは愛する夫・・・ではなく、娘です。

その日のフェイスブックに私はこんな風に書いています。

「娘とお寿司を食べに行き、本屋さんで好きな本を買い、夜にはすてきなアートフェスティバルに娘と行き・・・なんて楽しい母の日だったのだろう。今日のことは一生忘れない 」

なぜこんなにも幸せな記憶として残っているのだろうと考えた時、ふと思い当たったことがありました。私は2020年から2021年にかけて、『海馬を求めて潜水を』(ヒルデ&イルヴァ・オストビー作)という本を羽根由さんと共訳したのですが、本書にこんな風に載っていました。

「記憶は古くなるにつれ、つまり時間が経つにつれて、細かく分けられて脳の他の部分に保管されるのです。思い起こそうとすると、新たに組み立てなければなりません。海馬は思い出の背景の中にひとつひとつの要素を配置して、エピソード全体を構成する手助けをするのです。記憶は人の体験が集まった雲のようなものと考えるのが良いのではないでしょうか」

 本書に登場するイギリスの神経心理学者、エレノア・マグワイアによると、記憶のひとつひとつは自分がこれまでに培ってきた様々な体験が寄せ集められて、形成されるのだそうです。しかも単に寄せ集められるだけでは意味がなく、思い出の中にあるどこかの場所を背景として構成されて初めて記憶として成り立つのだそうです。

海馬を求めて潜水を書影

 私はその日、娘と一緒に食事に行き、本屋さんでそれぞれ本を買って(私の買った本は前にもこのNoteでご紹介した『ゴリランとわたし』です)カフェでのんびりと読み、その後イルミネーションがまさに異世界を作り上げている『光アート・春の宵』に行きました。

 つまり最後に光のアートを楽しむフェスティバルに行ったからこそ、この日がとても楽しく華やかな一日として、記憶に残っているのです。

 今後、あの日の楽しいイベントを思い起こすたびに、美しいイルミネーションの世界が背景として一緒によみがえってくるでしょう。

イルミネーションや夜景のような光がきらきらと輝く場所は、思い出を彩り、わくわく感を高め、その輝きを保ったまま記憶に残ります。そうして私たちがその光景を思い出すたびに、心を幸福で満たしてくれるのです。

 大好きな人、(恋人に限らず)家族や友達と過ごす時にキャンドルを灯すこと、クリスマスツリーを飾ること、誕生日にバルーンやペーパーデコレーションを飾ること、そして花火やイルミネーションを見にいくことにはちゃんと意味があるのですね。こういった光の効果は思い出を華やかにしてくれます。私たちはことあるごとに、ふと目の前に浮かぶきらきらした思い出を楽しむことができるのです。

『海馬を求めて潜水を』にはこんな文章もあります。

「もし生命があと数分しか残っていなくて、生涯を振り返るとしたら、どんなことを思い出すだろうか? どんな思い出が、きらりと輝くなににも代えがたい貴重な真珠のように記憶に残っているだろう? 世界でたったひとり、あなたにしかない記憶。それらが集まり、大切な思い出をつなげたネックレスができあがる。人生に別れを告げる時、あなたの海馬ではどんな思い出の蝶が乱舞しているだろう。あなたの手の平では、どんなオオカバマダラが羽を休めているのだろう。
『ワンダフルライフ』〔是枝裕和監督、 1999年公開〕という日本映画では、死者が集まり、天へ昇る前にひとつだけ人生の中で最も幸せな瞬間の思い出を選ぶ。死者たちは天国で、永遠にその思い出を繰り返し体験できるのだ。もしあなただったら、どんな思い出を選ぶだろうか」

もし私がこの映画のように、天国へ持っていける最も幸福な瞬間を選ぶとしたら、この娘と過ごした楽しい母の日も候補に挙げるでしょう。他にも幸福な瞬間はいろいろあるので、悩むとは思うのですが。

 みなさんが後から思い出して、何度でも楽しむことができるすてきな思い出を、今年もたくさん作ることができますように。

文責 中村冬美

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