スウェーデン語の新たな代名詞「hen」が歩んだ道のり

 英語圏では2019年、三人称単数としての「they」がアメリカで代表的な新語に選ばれて話題になりました。「he(彼)」でも、「she(彼女)」でもない性アイデンティティーをもつ人を表す代名詞として使われるそうです。じつはスウェーデン語にはこれに相当する新たな代名詞がすでにあり、8年ほど前から大きく広まって、すっかり社会に定着しつつあります。
 その代名詞というのが「hen」。「hon(彼女)」でも「han(彼)」でもない、ジェンダーニュートラルな三人称単数代名詞です。

1960年代に登場

 もともと「hen」という言葉は、男性か女性かどちらかわからないとき、または特定したくないときに使える代名詞があれば便利なのに、という発想から生まれたものでした。スウェーデン語は英語と同じで、基本的に動詞にはかならず主語をつけなければならず、人称代名詞の出番が日本語よりはるかに多くなります。ですが、三人称単数の場合それが「彼」か「彼女」しかない、ということが以前から問題になっていました。たとえば次のような会話。

子: Jag var hos doktorn idag. 今日、お医者さんのところに行ってきたよ。
親: Åh, vad sa ●? へえ、(お医者さん=●)なんて言ってた?

 この場合、●にお医者さんを指す代名詞を入れなければならないのですが、性別が不明です。あるいは、こんな文。

Ett anonymt vittne berättar att ● sett tre gärningsmän springa från platsen.
匿名の目撃者は、(●が)犯人たち三人が現場から走り去るのを見たと語っている。

 この場合、「見た」の主語として、●にその目撃者を指す代名詞を入れなければなりません。が、せっかく匿名にしているのに、「彼」か「彼女」を入れなければならないとなったら、少なくとも性別は明らかになってしまいます。
 社会の公的な空間に女性があまり進出していなかった時代は、これらを自動的に「han(彼)」とすることに、だれもほとんど問題を感じていませんでしたが、公的空間での女性の存在感が増すにつれて、それではおかしいという声が上がるようになってきました。とはいえ、選択肢は「han(彼)」か「hon(彼女)」しかありません。han eller hon(hanまたはhon)としてみたり、han/hon としてみたり、h-n としてみたり、試行錯誤が続きますが、人々はどれもしっくりこないと感じていたようです。
 1966年、言語学者のロルフ・デュノースという人物がウプサラの地方紙に、この問題を扱ったコラムを寄せました。そして、こんなときのために「hen」という代名詞があったらいいのにと夢見ている、と記したのです。フィンランド語の性別を問わない三人称単数代名詞、発音も似ている「hän」が念頭にあったようです。これが、記録に残っている中では初めて「hen」に言及した文書だといわれています。

こちらのリンクで、そのコラムの写真が見られます。
https://www.unt.se/nyheter/uppsala/darfor-ar-vissa-radda-for-hen-4164741.aspx

 とはいえ、この言葉が社会に広く受け入れられるまでには、実に50年近くの年月を要することになります。1990年代にはまたべつの言語学者が全国紙のコラムで「hen」を提唱する、などの動きもあることにはありましたが、それを除けば「hen」はしばらく忘れ去られていましたし、けっして定着することはないだろうというのが言語学者たちの一致した意見でした。そう考える理由はいくつかありました。

1)スウェーデン語の代名詞というのは「閉ざされた品詞」であり、そう簡単に新語が入りこめるカテゴリーではない。新語のどんどん入ってくる「開かれた品詞」とは違う。
※「開かれた品詞」には、たとえば名詞や動詞などが含まれます。日本語でも「ONE TEAM」だの「タピる」だの、確かにどんどん新しい言葉が生まれますね。

2)「hen」はつまるところ抽象概念である。人の性別を明らかにしたくない/できないときにだけ使われる言葉であって、具体的なだれかを指すわけではない。そのため、人々の日常の話し言葉で使われることはあまりないだろう。

3)話し言葉で使われなければ、人々に広く知られることもない。会話になじむことなく、不自然な異物のままでありつづけるだろう。


LGBTQコミュニティーでは早くから知られていた「hen」

 1990年代ごろまでは、人間は男か女のどちらかであるという根本的な考えが疑問視されていませんでした。そのため上記のとおり、「hen」は机上で作られた抽象概念であり、具体的な現実のだれかを指す代名詞としては使われない、と思われていたわけです。ところが2000年代に入ると、この前提が揺らぎはじめました。男でも女でもない第三の性の存在、特定の性自認をもたない人々、ノンバイナリーの存在が広く知られるようになってきたからです。
 こうして、まずはLGBTQコミュニティーの中で「hen」が広まりはじめました。おそらく2005年前後から、特定のジェンダーに縛られたくない人たちが、自分を指す代名詞として「hen」を使ってほしい、と主張するようになったのです。「hon(彼女)」でも「han(彼)」でもしっくりこないと感じている人にとって、自分を指す代名詞があるということは、存在が可視化されている、受け入れられている、という感覚につながるものでした。
 もっとも、社会にはまだまだ浸透しておらず、「hen」とはなにかを知らない人々にいちいち説明しなければならない状況で、しかも「言いにくい」などと文句を言われることも多かったようですが。
 なにはともあれ、上に記した「hen」が浸透しないであろう理由のうち、理由その2の前提はこれで崩れたことになります。「hen」が具体的な人物を指す言葉として使われるようになったのです。


2012年、hen元年

 このように、かなり前から一部では使われていた「hen」ですが、この言葉が一般に広く知られるようになり、賛否両論の大議論が社会に巻き起こったのは、2012年、絵本『Kivi och monsterhund(キーヴィとかいぶつワンコ)』がきっかけでした。この本では、読者である子どもが男女・性的アイデンティティーを問わず感情移入できるよう、主人公キーヴィの性別は明らかにされておらず、キーヴィを指す代名詞は一貫して「hen」となっています。

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著:Jesper Lundqvist     絵:Bettina Johansson

 この本、トランスジェンダーやノンバイナリーをテーマにした絵本ではありません。キーヴィが犬を欲しがったら、怪物みたいな暴れん坊ワンコが家に来ちゃった、というお話で、「キーヴィが女の子か男の子かより、キーヴィがなにをするかのほうが重要だから」(版元まえがき)ということで「hen」が使われています。とはいえ全体的に、人間には男か女しかいないというジェンダー観をまぜっかえしてやろう、という意図を感じる作品ではあります。

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「ママ(mammor)」も「パパ(pappor)」も「おじさん(morbror)」も「おばさん(moster)」も出てきません。「マパ(mappor)」「パマ(pammor)」「おじばさん(morbroster)」なのです


 版元は Olika förlag。olikaは「さまざまな」という意味で、förlagは出版社。多様性を強く意識して本を作っている、主に児童書専門の小さな会社です。発行責任者のカーリン・サルムソンは、そろそろ「hen」が本棚に並ぶべき時代だと考えた、とインタビューで語りました。

「自分をhanともhonとも思えない人たちにとっては、大きな意味のあることだと思うんです」
「そういう人たちは、とても少数派ですよね」
「でも、その人たちだって社会の一員ではありませんか」

 この本がマスコミに注目され、大きな議論を巻き起こしました。当初、一般の人々のあいだでは、「hen」が使われているのをたいへん不自然だと感じる人が多かったようです。それまで見かけなかった言葉がいきなり現れたわけですから無理もありません。
「hen」反対派の主張は、そこまでやるなんてポリティカル・コレクトネスの暴走だ、というものでした。人類は男女で構成されているのが自然の摂理である、「hen」などという人工的な新しい言葉を使って、性的アイデンティティーのない人間をつくる実験でもするつもりか? 子どもがかわいそう、等々。「ほんとうに自然の摂理なら、言葉ひとつで揺らいだりしないのでは?」とつっこみたくなる主張ですが、要するに、変化を恐れる反対派がけっこうたくさんいたのです。

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キーヴィが眠ってワンコを夢見ている場面。右上にhenがあるの見えますか?


 こうして、「hen」を使うことはラディカルな政治的主張である、とみなされる時期がやってきました。スウェーデン最大の日刊紙『ダーゲンス・ニューヘーテル』の記者が、匿名の人物の発言を引用するのに便利だからというだけで「hen」を使ったところ、その点を攻撃する大量のコメントがついた、などということもありました。「hen」を使うということはすなわち、男性・女性で成り立つ社会秩序を覆そうという試みである、と受け止められたわけです。
 政治家も口出しを始めました。当時ジェンダー平等大臣だったニャムコ・サブニ氏が「hen」を使うことに賛意を示す一方で、同じ連立政権内にいた中央党のモード・オロフソン元党首は「子どものアイデンティティー形成を危うくしかねない」と懸念を表明。右翼ポピュリスト政党のスウェーデン民主党はもちろん反対の立場で、「ジェンダー平等に関しては、henについて議論するよりもっと重要な問題がある、たとえば(イスラム社会の一部で行われている)名誉殺人の問題とか」と、ちゃっかり移民への反感を煽ろうとするコメントを出しました。こうした状況を受けて、『ダーゲンス・ニューヘーテル』紙の上層部は社内メールで「慎重に使うように」との指示を出しましたが、それがまたニュースになって、賛否両論の議論を呼ぶはめになったりもしています。

 転機のひとつとなったのが、テレビの討論番組だったと言われています。「hen」擁護派の言語学者が、こう主張しました――「hen」という代名詞を使った絵本があることで、自分にも居場所がある、自分を投影できる物語がある、と思えるノンバイナリーの子どもがひとりでもいるなら、それだけでも価値があるのではないか。このように、少数派だからといって無視はできない、という主張に、多くの人が賛同したのです。
 いずれにせよ、マスコミに注目されて大々的に報道されたことで、「hen」は賛成反対にかかわらず、だれもが知っている言葉になりました。こうして、上に述べた「hen」が広まらない理由その3、「henは広く知られていないからなじまない」の前提も、あっけなく崩れていくことになります。

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『Nöjesguiden』の「hen」号、2012年


「hen」の意味合いを気に入り、使いはじめる人が出てきました。2012年が終わらないうちに早くも、若者向けのエンタメ系フリー誌『Nöjesguiden』が、代名詞をすべて「hen」にした号を刊行。「hen」を使うことはだんだん、LGBTQへの連帯、ジェンダー平等への意識の高さなどを示す、モダンで最先端なイメージになってきたのです。
 そうなると横並び意識が発揮され、周囲が使っているならうちも……となるのが人間の性。「エネルギー庁が報告書でhenを使ったらしいよ、うちも使おう」というような感じでどんどん浸透していきました。統計によれば2014年の時点で、3割の人たちが「hen」を肯定的にとらえていたそうです。
 ここまでくると、「hen」が広まらない理由その1、「閉ざされた品詞」云々はなんだったんだろう、と思わされますね。2015年にはスウェーデンアカデミーの発行する単語集に「hen」が登場。2016年にはスウェーデンを代表する通信社TTが、報道記事に「hen」を使って問題ないという方針を打ち出しました。

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『ダーゲンス・ニューヘーテル』紙の記事(2020年1月)。下から3行目にhenが使われています。とある殺人事件で逮捕された被疑者(匿名)を指す代名詞


Hen現在の用法

 こうして社会に浸透していくにつれて、「hen」のイメージはだんだん変わってきたといえるでしょう。話題になりはじめたころの政治的な意味合いは薄れ、中立的な言葉として理解されるようになってきたのです。2018年には、既述のとおりかつて「hen」に反対するコメントを出していた右翼ポピュリスト政党、スウェーデン民主党のジミー・オーケソン党首が、インタビューで「hen」を使ったというので話題になったりもしました(性別を明らかにしたくない匿名の人物を指す代名詞として使っていました)。いまでは、反対派がまったくいないわけではないにしても、新聞記事や公的機関の文書、日常の会話でも、「hen」はふつうに使われる言葉となっています。
 現在、henはトランスジェンダーやノンバイナリーの人を指す言葉としても使われますが、用法としてそれよりも圧倒的に多いのは、性別を特定できない/したくないケース。つまり、1966年にロルフ・デュノースが、こんなときのために「hen」という代名詞があったらいいなと書いた、その夢がまさに実現したわけです。

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マルメ市ホームページより(2019年12月更新)。太字部分の3行目に「hen」があります。就学準備プログラムの案内。4〜6歳のお子さんがいて、その子が学校に上がる準備をさせたい親御さんは、申し込みをすることができます、という内容


 いまのところ、「hen」が浸透したとはいえ、一部の人が懸念していたように、「han(彼)」や「hon(彼女)」が消える気配はありません。マジョリティーの性自認が男性あるいは女性であることは変わっていませんし、おそらく今後もそうなのでしょう。それでも、「hen」という便利な言葉ひとつで、マイノリティーに居場所ができたことは事実です。10年ほど前とは違って、「代名詞はhenを使ってほしい」という要求は、なんの説明も要らず、自然に受け入れられるようになったのですから。

翻訳ではどうするか

 さて、スウェーデン語を日本語に訳す翻訳者としては、こうした言語の変化がどう翻訳に反映されていくかを考えずにはいられません。
「hen」の用法には、上記のとおり(1)性別を特定できない/したくないときに使う場合と、(2)トランスジェンダーやノンバイナリーなど、男か女かというジェンダー枠に縛られない人を指して使う場合があります。じつをいうと、この(1)のほうは、日本語への翻訳ではあまり問題になりません。日本語はもともと「彼」「彼女」を多用する言語ではないし、しかもスウェーデン語と違って主語を省ける言語なので、省いてしまえばすっきり解決ということが多いのです。
 たとえば、最初に挙げた例文。そもそも「彼」「彼女」を使う必要がまったくありませんよね。

子: Jag var hos doktorn idag. 今日、お医者さんのところに行ってきたよ。
親: Åh, vad sa hen? へえ、先生、なんて言ってた?

 とはいえ、じゃあなにも考えなくていいのかといったらそうでもなくて……たとえば、この会話が小説の一部だったとします。もしこの小説が2012〜13年以前に出たものだったら、「henを使っているこの親は、ジェンダー平等の問題にひじょうに敏感である」というシグナルになると思います。そういうキャラクター設定の親である、ということが伝わるように訳さなければなりません。この会話でむりやり「hen」を訳出するのは不自然だから、ここは諦めたとしても、ほかの箇所の訳しかたを工夫して、キャラクター設定が伝わるようにできないだろうか……などといったことを考えます。
 現在、2020年に出た小説だったら、べつにそこまで深く考える必要はないかもしれません。

(2)の用法のほうが、翻訳は難しいですね。たとえば、小説の登場人物が自己紹介をする際に、「私を指す代名詞はhenを使ってください」と言った場合。そもそも「彼」「彼女」からして日本語には馴染みきらない言葉ですから、その代わりにべつの言葉を使ってね、と言われても……違和感しかありません。なにか新しい言葉を生み出すか(「彼人」とか?)、ルビや訳注でどうにかするか、文脈が許せば「私のことは男とも女とも限定しないでください」みたいに意訳してしまうか? このあたりどうするか、三人称単数のtheyに取り組むことになるであろう英語の翻訳者さんとも、ぜひ語りあってみたいものです。

 以上、スウェーデン語のジェンダーニュートラルな代名詞「hen」のお話でした。言語は社会の反映であると同時に、社会を変えていく道具でもあること、そして人々の議論によって言語や社会が変わっていくことを示した、顕著な例だと思います。


参考:
この記事を書くにあたっては、スウェーデンラジオで2018年に放送されたドキュメンタリー「Språket dokumentär: Striden om hen」を主に参考にしました。
https://sverigesradio.se/sida/avsnitt/1205636?programid=411

そのほかの参考記事は以下のとおり。
http://blog.svd.se/kultur/2012/03/08/”hen”-foreslogs-av-sprakforskare-redan-1994-–-i-svd/
https://spraktidningen.se/artiklar/2007/11/hen-kan-fylla-spraklig-lucka
https://spraktidningen.se/blogg/tre-av-tio-gor-tummen-upp-hen
https://spraktidningen.se/artiklar/2017/08/hen-hjalpte-henne
https://spraktidningen.se/blogg/hen-fortsatte-att-oka-under-2019
https://ng.se/artiklar/faq-hen-numret
https://www.gp.se/nyheter/sverige/så-började-debatten-om-hen-1.699718


(文責:ヘレンハルメ美穂)



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