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女性差別について思うこと:女性登用促進にまつわる平等/不平等

 これまでの日本社会が圧倒的に男性優位な社会であった事を否定する人はいないだろう。

 しかし、現在の積極的な女性採用/登用を推進する事によって、偏った犠牲が一定の世代やグループにおしつけられていないだろうか?

 この疑問について考えるためにも、日本社会における男性と女性の現状について確認するところから話をはじめていきたい。

既存のジェンダーロールはいつ一般化したのか

 一部上場企業の取締役数、大学の正規教員数、国会議員数など総じて男性が占める割合が圧倒的に高い。これらの事例は男性が女性より勤勉であり、優秀である事を証しているわけではない。単純に男性が女性よりも高等教育を受ける機会に恵まれ、就職においても、総合職採用への門戸が大きく開かれていただけの事だ。つまり、男性は外で働き、女性が家庭で専業主婦として家事育児を行うというジェンダーロール(性別役割分業)が強固に機能していたということだ。

 では、このようなジェンダーロールはいつ頃から一般化したのだろうか。

 そもそも、江戸時代やそれ以前は大半が農民・漁民であり、職住一体型(家の近くの田畑を耕す、家の近くの川や海で漁をする)のライフスタイルを取っていた。農業・漁業に関する技術が発展しておらず、男性女性ともに田畑を耕したり、草鞋を作るなどの内職を行なわないと、年貢(税)を収めることが出来ず、食べていくことも出来ないため、男女共働きが当たり前であった。当然ながら、裕福な豪農や武士は男女共働きではないが、その様な家庭には女中がおり、女性(妻)家事育児を専業とする主婦であったわけではなく、しかも、その様な家庭は人口全体の1割にも満たない存在であった。

 つまり、一部保守的な価値観を持つ男性・女性が述べる「男性は外で働き、女性が家庭で専業主婦として家事育児を行うという家庭が日本古来からの伝統だ」なとどいうのは世迷い言を並べているに過ぎない。

 正確には、男性は外で働き、女性が家庭で専業主婦として家事育児を行うというジェンダーロールは、高度経済成長期に一般化し、バブル期にピークを迎えるのだ。男性が収入の大半を稼ぎ、女性が専業主婦として家事育児を行うライフスタイルは、戦後の日本の発展と歩調を合わせる様に定着した事もあり、男性の一部が未だに強固なジェンダーロールを持つことの遠因ともなっている。

 また、共働き家庭において、家事育児介護負担が女性に偏るなど旧態依然としたジェンダーロール(ケア労働は女性がするべき/女性がむいている)はまだまだ強固に残存している。

ジェンダーロールに対する社会の変化

 しかし、昨今の少子高齢化による働き手の不足、長引く経済不況もあり、女性は高等教育を受けずに、結婚して専業主婦になれば良い、女性は総合職採用し男性の花嫁候補として一般職で採用などの旧態依然とした考えを持つ、男性・女性・企業は減少(壊滅)しつつある。

 男女の大学進学率の差異は高度経済成長期以前と比較すると大幅に縮小し、企業や大学は、女性の積極登用を推進し、能力業績が同じなら女性を採用する方向に舵を切っている。
 ここで、現状を整理しておくと、家庭や個人レベルにおいては、旧態依然としたジェンダーロールが強固に残存しているものの、社会的には、国の方針(男女共同参画社会)もあるだろうが、女性への就学就職への差別は解消する方向に向かっており、旧態依然としたジェンダーロールを持つ個人であっても、その事を対社会に向けて公表する事は憚られる雰囲気が出来つつある。

 男性優位の社会で理不尽に昇進や進学を阻まれた女性は少なくない事を考えるならば、企業や大学が数値目標を設定して、能力業績が同じなら女性を優先的に採用/登用する事に異論はない。女性の積極登用を推進し、達成する事(名ばかり管理職に女性をつけるなどの見苦しい小細工はあるにしろ)は、女性差別や旧態依然としたジェンダーロールを解消につながるだろう。

既得権を奪われる若い男性たち

 ここで疑問が湧き起こる。女性を優先的に採用/登用する事は裏を返せば、男性優位社会における男性の既得権(これまでは女性よりも優先して採用/登用)を奪う行為である。疑問に思うのは、既得権を奪われる男性がこれから採用/登用の選抜に挑む男性だけだということだ。数値目標を設定して、能力業績が同じなら女性を優先的に採用/登用する事を決めた男性は一切既得権を手放してはいないのだ。

 採用/登用する側にある男性も当然ながら男性優位社会の恩恵を多分に受けたはずである。日本の雇用慣行(年功序列)を考えれば、採用/登用の選抜に挑む男性と比べて年齢は高く、男性優位社会の恩恵は年齢の分だけ長く受けているはずである。

女性登用に隠された世代格差

 だが、採用/登用する側の男性は既得権を手放しているだろうか。採用/登用する側の男性が早期退職・辞職すれば取締役、教授、国会議員のポストや議席は空く。空いたポストや議席に能力業績が同じなら女性を優先的に採用/登用すれば、男女間の格差はより一層解消されるはずである。だが、そんな話は一切聞こえてこない。

 敢えて誤解を恐れずに言えば、採用/登用する側の老人(男性優位社会の恩恵をたっぷりと享受してきた)が自身の既得権は一切手放していないにも関わらず改革者を装って、採用/登用の選抜に挑む若者(男性優位社会の恩恵は老人ほど受けていない)の既得権を奪っているとは言えないか。
 このような現状は、既得権を奪われる若い男性の反発を呼び起こすだろう。彼らは老人世代の男性が男性優位社会の恩恵を享受してきたツケを払わされているとは感じないだろうか。何故、自身の世代から能力が同じなら女性が優先的に採用/登用されるのか? 理不尽だ!! とは感じないだろうか。

おわりに 

 私は、性別にかかわず、能力本位で個人が評価をうける事のできる社会を目指すべきだと考えている。当然ながら、男性の既得権を奪う事に反対しているわけでない。採用/登用される側の男性のみに偏ったかたちで既得権を奪う事に疑問を持っているのだ。女性の登用を推進したいなら、採用/登用する側の男性がまず身を切る(具体的には取締役、教授、国会議員などのポストについた男性の60歳での退職など)べきだろう。

 勿論、既得権を持つ側が簡単に既得権を手放さないことも重々承知している。だが、下の世代に対して、男性、女性の差別がない日本社会を作っていこうと心から思っているなら、男性優位社会で充分に恩恵を受けてきたことの贖罪として、自ら身を切る矜恃を見せる事が出来るはずである。

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