早朝のさんぽ
そういえば、先日久しぶりに早朝に散歩をした。
歩数計アプリを確認したら8/3に早朝に散歩したことが分かる。
4676歩だそうだ。まあまあかな。5000歩は超えたかったな。
4時に目が覚めた。昨夜いつに寝たのか思い出そうするけど、確か12時ごろではなかったか。あんまり寝てないな、マズイな。
こんな内面のルーティンはいい加減、慣れて来た。慣れたくないな。
ぐっすり、眠りたいよ。
ふと、散歩しようと思い立つ。思う前に体は動いていた気がする。
早朝のさんぽはひさしぶりだ。ぐうたらではないよ、ただ、もっとより行動療法が進んでるってこと。
早朝にさんぽを始めたのは5月12日(日)だと歩数計アプリは教えてくれる。その時は6時台にさんぽしてる。3608歩。
偉大なる第一歩のはじまり、だったな。
それまでは、何度か行動療法として、体力づくりとして試みたかことがあった。でも、続かなかった。色んなネガティブな感情が浮かんでしまうのだ、歩いていると。音楽は聴けなかったし、ポッドキャストを聴いたんだけど、喋られる言葉によって、私の内なる何かが反応し、想念がどこからともなくやってくる。それは大抵ネガティブなものだ。やがてそれは自己嫌悪へと変質していく。悪い時はもっと、悪いものへと化ける。
でも、例えばそれまでも外出していた。
当然必要となる、通院。それと、週に1回、妻に付き添う食材の買い出しだ。近所に大きな地方都市らしい全国にあるチェーンが2つある。でも、妻はそこでも買うことはあるが、主な食材はこの土地に根差したスーパー(ここもこの地域では名のあるチェーン系だが)を好んだ。それは私も同意する。安く、空間が広々としてきれい。陳列もきれい。オリジナルブランドの品質が高い。刺身が新鮮で美味しい。などなど、いいこと尽くし。何より、パンが美味しい。これはある程度都内や京都の有名パンを食べて来た私たちが認める美味さ。
そんなことで、妻はこの主にスーパーで食材を購入する。2か所ある。それぞれ、方角は真逆だが、マンションからはほぼ等しい距離。なので、気まぐれに交互に選んだ。
そこまでの距離は、歩いてゆっくり歩いて30分くらい。普通にあるけば25分くらい。自転車だと10分ぐらいか。
私が、まだ行動療法にも至らず、地を這うかのような日々を過ごしていた時期、私にとって、それは数少ない外出・運動することを担っていた。
それが約5か月近く、続いた。
敢えて歩いて、ふたりで歩いて、スーパーへ向かった。
今日はあっちの店、今日はむこうの店。
私が調子が良ければ色んな話をしながら、歩いた。
あの家、すごいね。わ、こんな古い家、誰か住んでるのかな。見て、あの山、すごいね。用水路でもこんな水がきれだね。あと、私がハマっていたゲームのことを熱く語ったこともあったな。サッカーの話も沢山した。
悪い時は無言で歩いた。
途中で引き返すこともあった。あったなあ、そんなことも…。
関東にいた頃はよく散歩をした。
本屋や古書店をの目的地にして、あえて、途中の駅で降りて歩く、名付けて「ロングさんぽ」。そんなことを、沢山楽しんだ。その名残を感じたかったのかもしれない。
それでも、今思うと、あえて自転車ではなく、歩いてスーパーへ行っていた意味はあったと思う。
そんな日々のことすごく遠く感じることもあるし、間近に感じることもある。仕事をしていた頃なんて、もうすごく遠く感じる。
会社との繋がりは通院した後に送る、経過報告だけ。返信は簡潔なもの。
なんだか不思議な感じなんだよね、今は。取り残されたような、何処にも存在していないような。誰でもないような。
メンタルは昨日はちょっとマズイ方向に行ってしまったけど、でもここ数年の中では一番、軽やかだ。健やかだ。自由だ。
でも、体が追い付かない。精神と体がまだ一致していない感覚。
だから、知らず知らずのうちに無理をしているのか、突然落ちる。
でもね、あの頃に比べたら全然マシなんだ。
だから、落ちたとしても引きずり込まれることはない、と最近は強く思えるようになってきた。大きな進歩。成長とも言えるかな。
よく、生まれ変わった、って表現を使われることがあるけど、実際そう感じることもあるんだ。本当は違うんだけどね。
多分、自分らしさとは何か、ということに気づいた、ということなのかな。
自分が無理せず、生きていけるこころの在りよう、というものが。
これから、どうしようかな。途方に暮れそうになるけど、前向きでもあるし、何もこわくないと思えることもある。
不思議な感覚なんだ。分かって貰えるかな。この感じ。
マンションから出たら、まだ薄暗い。ちょっと寒いかな。
昼間は死の危険を感じるほど暑いのにね。
ひさしぶりだ。早朝さんぽ。
今日は音楽を聴きながら行こうと思っていた。ところがプレイボタンを押すと「Battery low」とイヤホンから女性的な音声が聴こえた。
しまった。どうしよう。何も聴かずに歩くのは、ちょっと不安だ。
でも私の身体は、意思とは関係なく既に歩き始めていた。
歩けるだろ、今の自分なら。
イヤホンを外して、少しだけを意を決した私は、買ったばかりの歩きやすいシューズで歩く。靴が変わるだけでこんなにも歩くことが変わるんだなと、あらためて嚙みしめながら、歩く。
誰もいない町を歩くことは、本当に気持ちいい。
車もほとんどまだ走っていない。
だから、あえて車道の真ん中を両手を広げて歩いたり。
音楽があれば最高だったな、なんて思いながらも。
自分の歩く音が聞こえる。
どこからか虫の音が聞こえる。
階段を上る音が聞こえる。
色んな音がは溢れている。
それはまだ、町が起きてないからだ。
公園に行くと、また色んな音がハーモニーとなって聞こえてくる。
まだ涼しいから、尚更、気持ちがいい。
一歩一歩、公園の歩道に目を向けながら歩く。
できるだけ小さな虫を踏みつぶさないように。
そこには色んな死が転がっていた。
そこに群がる虫もいた。
色んな何か葉の欠片が落ちている。
途中から、前を向いて歩いた。
空を見上げながら歩いた。
ひょっとしたら、命を踏みつけてしまっているかもしれない。
そんな矛盾と感じつつも私は歩いた。
一歩一歩、踏みしめながら歩いた。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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