映画『ミッシング』やナミビアの砂漠のこと
ここ数日、調子が悪すぎる。全く行動療法ができない。
唯一、ポーペンというK-POPのコミュニティページに投稿するだけだ。
あとは、寝たきり状態が多い。今朝なんてちょっと初期症状に近い状態になり、正直すごくこわくなった。マズイなあ。困った。
妻は丁度、生理でしんどいはずなのに、明るくいてくれているのが本当に助かっている。
昨日も今日も予定が全部上手くいかず、出かける準備をしてさあ、という段階で、気力がなくなる。それが二日連続。
だんだんと沈んでいくように。胸の中心が苦しい感じになり、とにかくすべてのやる気スイッチが消えていく。
どこに行った、俺のやる気スイッチは。
そんなもん、なかったか。最初から。
今は寺尾紗穂『しゅー・しゃいん』を聴きながら書いている。
午前中はベッドで横になり、「三人称の雑談」を聴きながら、いつの間にか寝ていた。
それから、家事を手伝う。久しぶりに掃除機をかけた。
タナソウさんのサインポッドキャストを聴きながら。
それが終わったら、妻に「散歩がてらお米を買いに行く」と伝えて外出した。
少し遠くのスーパーまで、ポッドキャストの続きを聴きながら歩いた。
今日はとても気持ち良い天気だった。秋らしい天気。
風が心地よい。
でも、足取りが重い。ポッドキャストは映画『ナミビアの砂漠』を題材に話をしている。
ていか、世の中みんな河合優美が好き過ぎだろ。とひとり毒づく。
私も若い頃、映画を志したから分かる気がする。
彼女は、「撮りたくなる人」だ。そんな意図も見える気がするから、いやだ。だって、彼女を撮れば、それなりに見えるから。
いや、知らんけど。あの映画は観てないし。多分、観ない。
恋愛映画が苦手だ。それがどれだけ重い、真摯なものだとしても。
特に性愛に重点を於いたものであれば、尚更。
人間にとって性愛なんてものは、幻想に過ぎず、生殖本能そのもの。
それ以上の意味はない、と思っている。
そこに意味を見出そうとするからこそ、人は軋轢を生む。
オトコは感情がなくたって、セックスはできる。
私はそう思っている。でも、私はしない。世間でいう浮気とされるもの。
面倒くさいから。その後のなんやかんやが。
愛あるセックスなんて、嘘だと思っている。
そう思わせるセックスはあるかもね。あれは、そう脳内の何かがそう思わせてくれているだけだと思っている。
愛とは、何だろうね。私は、思いやり、だと思っている。
それしか、人としての営みの素晴らしさはないだろう。そうじゃない?
まあ、いいや。だから恋愛映画も観たいとは思わない。
男、女、LGBTQなんでもいい。色恋沙汰が若い頃から、苦手だったなあ。
ニシーさんに占って貰った時に言われたけど、周囲から愛される、らしい。
でも、私がそのつもりでもなくても、「裏切る」ことがある、らしい。
確かに、人間関係のリセット癖がずっとある。
どれだけ、親切にしてくれた恩ある人に対しても、私は平気でリセットする。
何の話をしてるのだ、私は。一体、何を話している?
まあ、いいや、これは私の場所。
そう言えば先日、映画『ミッシング』を観たよ。
吉田恵輔監督作品は、好きだなあやっぱり。
あと、噂通り、石原さとみが素晴らしかった。
夫役の青木崇高も良かったなあ。
キャストみんな良かった。
吉田監督に出た役者は有名無名問わず、剥き出しにされる。
確かに重い、映画かもしれないけど、私は重いとは思わず、
メンタルがすごい落ちている時に、こういう映画を観たくなる。
答えがないのが辛いし、だからこそ、余韻がいつまでも残る。
現実があまりにも残酷じゃない?今の時代がさ、あまりにもあんまりじゃない?だからさ、恋愛映画なんて観てられないんですよ。
いやね、映画『ナミビアの砂漠』の話をタナソウさんのポッドキャストで聴いてたんだけど、無性に腹が立ってきたんですわ。
何か、話していることがどうでもいい、ってなっちゃった。
こんなこと思ったの初めてだった。
すごい暴論だと自分でも思っている。
知るか、と思ってしまった。どれだけ鋭い表現をしてようが、どれだけ素晴らしい編集だろうが、素晴らしい演技をしてようが。
そんなのどうでもいいわ、と心底思ってしまった。
恋愛なんて不条理なものだろうし、そりゃ色々あるわね。
でも、わざわざ2,000円近く払わされて、わざわざ観たくもないよ。
そんなことより、現実の方がよほど酷いし、残酷だろ?
そんな思いがむくむくと湧き上がって無性に腹が立ってしまった。
こんなの初めてのことだ。
アフリカの砂漠と日本の若者の現実との対比?
だから、なんだっていうの。
そんなの描いて何を感じれと?
全く、酷い考え方だと我ながら思う。
観た上で文句あるなら言うべきよね。でもここは私の場所。
『ミッシング』はね、決定的なものは描かない。
ただ、その周辺をひとが、ただ、うろたえている様を執拗に描く。
胸がキリキリする。でもそこに映し出されるのは現実、だ。
子供が行方不明になった夫婦の現実。
それを追う、マスコミも現実。
そこに群がる悪意も現実。
関わる人たちの現実。
ただ、現実を映画の中に落とし込もうとする軋轢が在る。
それが映画としての力となり、私たちのこころを動かす。
私たちの現実を凌駕せんと迫ってくる。
それが映画の力だ。そんな映画を観たいのだ。
若者の恋愛は、まぼろし、だ。
だからこそ、変なリアリティなんて描くな。
そんなもの私たちが嫌というほど見ている。
そんなものに、金を払わすな。
恋愛を描くのであれば、徹底的に夢を観させてくれ。
分かってるよ。随分と乱暴だよね。
でも、これが私の本音だ。
でも、ごめんね。
もし、何かの気の迷いで『ナミビアの砂漠』を観たりして、それで、すごい良い映画だなんて記事を書いたりしたら。
いや、それはないな。多分、ない。
私なりに映画を愛しているから。
だから、多分ない。
多分ね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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