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足助のおばさんと教育 10

祝勝会

昨夜、夫の同級生で、なおかつ子どもたちも同じ年の受験生だったという3家族で「受験祝勝会」を持ちました。息子が「受験生は出ないの?」と聞くので、「あんたはたくさんお祝いもらったでしょ」と理屈にならぬ理屈で押し切って出かけました。
場所は「井筒亀」という、足助きっての料理屋さんで旬の味を肴に九時過ぎまで、私はここで帰ったのですが、他のメンバーは12時まで居酒屋でカラオケを楽しんだそうです。
もともとこの3家族に加えて、かなり遅れて子どもができたご夫婦の4家族では、春はイチゴ狩り、冬はスキーと散々遊びまくったものでした。子どもたちが保育園から小学生の頃までです。その時は4家族目のご夫婦には子どもがなかったので、気楽といえば気楽だったでしょうが、よく付き合ってくれたものだと感謝しています。
子どもたちが大きくなって、だんだん出かける機会も減ってきましたが、久しぶりに会ってみれば、お互いに子どもたちを赤ちゃんのころから知っているので、皆お互いに文字通りわが子のように喜び合いました。こんな密な関係は、小説の中でもなければありえないと思っていましたが、そこが足助という土地柄なんですねえ。足助町内には3つのサークルKがあるのですが、だれそれちゃんはどこのマルKでバイトしてるということが全部ばればれです。それを嫌って都会へ出て行く子もあるのですが、鵜飼の鵜のように元はしっかり握られてます。
ま、それも20年も住んでいれば心地良いものになってくるから怖いです。( ̄△ ̄;)(2007年5月5日 記)

武者幟

昨日はこどもの日でした。我が家では息子が小学生だった頃まで、こいのぼりと武者幟を立てていました。
「武者幟」と言ってイメージがわきますか?時代劇などで戦場で立てていたり、今では相撲部屋くらいでしかお目にかかれないのでは、と思いますが、この辺では男の子が生まれると、お母さんの実家から武者幟と五月人形を贈ってくるのが慣例です。と言ってもこの10年ほどでめっきり見られなくなってしまいましたが。
息子が生まれる前、近所に3人目にして長男の授かった(要するに、娘が二人いてその弟という悠君のような)お家があって、初節句に武者幟が立てられました。その時はこの辺では期せずして4人、男の子の誕生があったのですが、武者幟を立てたのはその家だけで、他はこいのぼりだけだったので、既にすたれかけた慣習であったのかもしれません。ですが、我が家はその家が武者幟なら、家にも武者幟がほしいと言葉にならないプレッシャーをかけられていたので、私は息子が生まれる時、初節句にはどうしても武者幟がほしいと言っておきました。お金持ちの家に嫁ぐと実家の負担も大変だとは、足助に来るまで知りませんでした。(結婚式が派手だというのは噂で知っていましたが、その後々まで大変なのです。)
この武者幟、基本的には昔の合戦の絵柄で、上に当家の家紋とその下に赤く実家の家紋を染め抜きます。家紋なんて見たことも聞いたこともなかったのですが、私の父が言うには「違い鷹の羽」と言って、鷹の羽がX印になっているものなんですが、右が上か、左が上かでも違ってくるそうなんですね。でもそこまではめんどくさくて、どっちにしたか記憶にありません。
で、家を継ぐのは男子ばかりとは限らなくて、女の子しかいなかった場合には婿養子をとるということも普通に行われています。なので、女性の方の姓を名乗る場合ももしかしたら都会より多いかも知れません。その場合武者幟は赤い家紋が上で、お婿さんの家紋が下になります。あくまで跡取りが大切なわけです。( ̄△ ̄;)(2007年5月6日 記)

(元ブログ 祝勝会: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)武者幟: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com) 

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