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サン=テグジュペリ (著), 浅岡 夢二 (訳)『星の王子さま』 【基礎教養部】[20240925]

大学生の頃、私は早く大人になりたかった。第一志望の大学には入れず、行きたくもなかった大学に進学した私はその行きたくなかった大学の中で井の中の蛙になっていた。「自分は賢い、自分は能力がある人間だ」いつもそんなことを考えていた気がする。周りと馴染めないわけではなかった。一般的な「大学生」のイメージにあるようなことは人並みには経験したとは思う。しかし心のどこかにあったその「しこり」は日に日に大きくなっていき、いつしかその「しこり」は私の足を止めてしまうくらい大きくなっていた。自己の中だけでブクブク太り肥大した自己イメージは、自分を相対的に見る視力を鈍らせていく。気付けば留年もしていた。行きたくなかった大学の中で周りを下に見ていた自分が、いつの間にか学年が下になっていた。皮肉な話であるがそもそも大学にほとんど行ってもいなかったので留年して当然である。「難しいことを考えて賢くなった気になってる暇があったら大学に行かないと大学の進級はできないという簡単なことに目を向けろ」とタイムマシンがあったら当時の私にゲンコツの一つでもくれてやるところだが、つまり私はアカデミックな文脈での「学問」からは完全に落伍してしまっていた。
「自分」という存在から目を背け続けていた人間の当然の末路であるとは思う。どれだけ役に立つ情報や知識をコレクションしてもそこに自分が存在しなければ現実を動かしていくことはできない。なぜなら「現実」とは状態のことであって、自己の認識だけを変える情報をいくらインプットしてもそれは状態にはアプローチし得ないからである。

そんなわけで次に私が考えたのはこの落伍した世界からの「脱出」であった。つまり「社会に出たい」と考えたのである。「社会に出ることが大人になることである、私は早く大人になりたいんだ」現状からの逃げでしかないのだがそう言って自己の正当化をした私は日雇いバイトに精を出し始めた。日雇いバイトの世界は正に自分の知らない世界だった。初対面の私に開口一番怒鳴り散らすおじさん、歯がなくて何を言ってるか分からない現場リーダー、どう考えても非効率な人員配置、どれも当時の私からしたら理解不能な空間だった。

ただ、それが逆に心地良かった。

理不尽が朝から晩まで続くような空間ではあったが逆にその理不尽が当時の私の「しこり」を忘れさせてくれた。重いものを運びすぎて腕が痛かったがそれも「しこり」よりは全然マシだった。日雇いバイトですぐに入ってくるバイト代を見て「これくらい貰えれば食べていくだけなら生きていけるか」本気でそう思い親に大学を辞めたい意思を伝えたところ猛反対された。これに関しては今考えると親に感謝しかないのだが、当時の私はその猛反対に猛反発した。親子喧嘩の結果、仕方なく私は大学に残ることになり、その「しこり」と向き合わざるを得なくなった。ただ、今考えるとそれが良かったのだと思う。人間、「せざるを得ない」という状況になって初めてできることもあるのだろう。そこから私は自分のその「しこり」をとことん見ることにした。そして「見る」だけでは答えが出なかったので、様々な本を買い漁り、答えを出すために奔走した。それは以前の役に立つ情報や知識のコレクションとは一線を画していた。役に立つかどうかなんて考えていなかった。とにかく人生を前に進めるためにこの「しこり」をなんとかしたい。その一心だった。

結局私はその「しこり」を見定めることができ、人生を自分なりに前に進めることができた。今となっては第一志望の大学に入れずに行きたくなかった大学で挫折した自分自身を肯定している。

今の私が当時の私に一言だけアドバイスできるとしたらこう言いたい。「本当に君が大人になりたいのであれば今の行動じゃなれない。でも、大人になろうとする君を僕は肯定するよ」

もし今あなたが人生で躓いているとしたらこれだけは覚えておいてほしい。今を生きようとし続けている限りいつかどこかでそんな君を見てくれている星の王子様が、必ずいる。

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