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切れるのもご縁、つながるのもご縁

職種柄、出会いは多いが、それをすべて育てられる訳ではないと見せつけられた最近。いや、もちろん知っていたけど、あんまりまじまじとは見たくなかった。

闇雲につながっているつもりはなくて、特にFacebookは会ったことがある人しかつながっていない。むしろ一瞬のご縁を後々にかけて育てたいつもりでいる。ただ、興味範囲が広いせいでつながりのクラスタは統一感がないし(我ながらないと思う)、興味を持ってフィードは見ているけどいつもいいねを押すとかでもないし、誘うのもいろいろ苦手だし、この人とつながっていることに意味はないと捉えられることもあるのだろう。
加えて私自身発信も増やしているから、その内容でも合わない、興味ないと思われて、離れてしまうのかもしれない。

一瞬でも近づいた人が通り過ぎていくのは、やはり悲しい。一度はお近づきになったご縁を、育てて行けないことを突きつけられるから。

とはいえ、誰しも時間やキャパシティは有限なので、どの人も何らかのポリシーを持っていて(持たざるを得なくて)、別の縁を守るためにコントロールしなければいけないこと、そのために不要な縁をある程度切り捨てないといけないことはわかっている。

自分自身も、出会った時とその後では全くは同じでないからな。そして会わないと、やっぱり気持ちは少なからず離れる。

ただ、おもしろいもので、一度はなくなりかけたご縁が年月経ってまたつながることもあった。きっとたまたま、なくなりそうだったその時は、別の縁を守らなければいけなかったんだろうなと思う。そしてまたつながったその時、私は少し変わっていたし、変わったことが伝わったのか、あの時よりはまだ、付き合いたいと思ってもらえたのかもしれない。

東京は、日本は、実は狭いんだなと。縁はインターネット上だけで育てるのではない。会わないのもまた、ご縁。また会えたその時に、つながっていてもいいと思えるような自分になっていたい。

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