見出し画像

広報初心者時代を振り返り、やっていてよかったこと

今月はこのテーマで書く。ノウハウというか、もはや思い出に近いけど。

正直、今は広報っぽいこと以外をやりすぎて、綺麗な学びが出てこない。企業価値向上を担務範囲としている意味では、広報っぽい仕事内容にとらわれず動くこと自体はあるべき姿だと思っているので誇りを持ってやっているが。また来月以降、広報っぽい仕事の学びを書き記したい。

私は2012年、上場企業のWEB担当から広報部門へ異動した。WEB担当も3年くらいはやっていたので、プレスリリースのコーポレートサイトへの実装を行いながら「なんでこういう文章になるんだろう。これはどういう意味をもたらすのか?」と気になり、広報の世界が知りたくなったのがきっかけだ。

異動当時、広報には数人のチームメンバーがいた。その前の担当者は、何年も同社でひとり広報をやっていたベテランだったが、お休みを取るにあたり新しくチームができたばかりだった。チームの経験値は今考えるとそこまで高くはなかったが、得意分野は明確で役割分担はできていた(私は取材時などの社内調整担当+時々文章担当)。上司である社長が広報を重視していて、期待値がはっきりしていたおかげでなんとか成立していたと思う。上場していたのでIR担当が別におり、そちらで情報マネジメントしている範囲があったのも大きかった。

前職の広報のことは、以下のnoteでもほんの少し書いている。

正直なところ、広報としてのキャリアは挑戦の日々で、経験を重ねた今でも「あのころは未熟だった」的に振り返る心の余裕などあまりない。(今でも未熟で焦燥感があるくらいだ)

ただ、私も知識真っ白で正真正銘の初心者だった時期があるわけで、それよりは今は知識はあるわけで。その時自分がやってきたことをただただ振り返り、書いてみてもいいのかも、とも思った。

最初の半年はチームで分業していたので(その後、チームメンバーの異動などで2ヶ月だけ一人広報を経験したが)やる範囲は狭く、いま一人広報で奮闘している人の方がよっぽどいろいろとやっているとは思う。役立つかあまり自信はないが、世に出回る情報の中の一つとして、ご参考いただければ幸いである。


プレスリリースの文章を長らく読んでいた

先述の通り、異動前から3年にわたって自社のプレスリリースをWEB化しており、プレスリリースに触れる機会は多かった。もちろん毎回中身は読んでいて、「何をいつ発信した」とか細かく覚えているタイプなのもあって、広報として会社のことを把握する時に大いに役立った。

また、これを踏まえ、他社の広報活動やプレスリリース、メディア側の事情を知ることで、広報活動の本質にも近づきやすかったと思う。

取材対応を経験し、メディアの事情に触れた

別担当がいたため取材獲得活動はほとんどしていないが、取材対応はメインで行っていたのでメディアがどういうロジックで動いているか理解できていた。プレスリリースはなぜこうなっているのかということも理解ができたし、社外の広報の方の学びや情報を疑似体験することができた。

やっていることを言語化し、ブログ等で発信した

基本の役割は社内調整担当で、リリース執筆担当は別にいたが、業務量が多い時のヘルプとして、toB商材のリリースや、社内活動をお知らせするブログを書くことはあった。
WEB担当だった時もページの文章は書いていたが、広報異動後は「書く」ではなく「届ける」発想に変わった。執筆メイン担当ではなかったので「黒子として」という心持ちはあったが、書いて届ける経験を少しでもしていたことは大きかった気がする。

書いたブログを見てメディアから取材依頼が舞い込んできたりなど、自社発信の意味を早々に感じることができた(さらに言うと、今は自社発信が当たり前なので、これを経験する必要性は高まっていると思う)。

社長が広報に期待していることを聞き取った

「社長のやりたいこと、経営で向かいたいことの実現のために広報がある」という意識で動けていたのは、ここが大きかったはず。

忙しい社長との定期ミーティングは基本タスク確認。とはいえ、飛ばされる指示には期待値が込められており、「何を実現したいからこれをやって」がはっきり見えた。

分業だったが、プレスリリースの一部、ブログの一部、社外担当などどんどん複数業務を兼務するようになることで、自分の仕事(作業)の幅からそれらに対するフィードバックと切り口が増えていった。総合することで、経営と広報のつながりにおいて解像度が高まった。

社内調整の経験後に、学びの場に出た

広報着任から半年。社外に出る役割だったメンバーが退職することになり、記者のコネクションを引き継ぎ、「会社の顔として」社外に出る役回りが与えられた。
正直、その役回りを与えられていなかったら、外に出ることもなかった。そういう役割は私には務まらないと思っていたから。

でも、「会社の顔として」社外に出るようになったからこそ、社外から学ぶことが増え、多大な影響を受けた。「初心者時代、スキルを得るのに苦労した」広報の先輩方の経験から運営されているコミュニティがあり、そこからの出会いがあり、SNSが普及してつながりを作っていけたからである。その延長に、このnoteがある。


未熟な時代を振り返って。「広報の意味を探求」していく意味

自分の広報キャリアスタートは分業であったことを考えると、「偶然に」色々な業務に関わることができたから、本質の探求まで向かうことができたのだろうと感じる。ありがたいことである。
そして、社内調整担当として、広報の自分は企業活動にどう貢献できるかを探求した後で「人に聞く」があったのは、今考えたらよかったのではと思う。

企業活動の中の広報がどうあるべきかを考えた後で先人の話を聞く意味とは、要は「広報の意味づけを人に決めてもらわない」ということである。
今は情報が溢れすぎている。企業が広報を置く流れから広報職の絶対人数も増えたし、コミュニティも増えた。少し手を伸ばせば広報の情報に辿り着きやすくなっている。それはそれで業界発展として素晴らしいことだが、なんだか少し、各論が踊りすぎている気がしてならない。

もちろん、私もひとりでここまでやって来れたわけではない。本やセミナーなどで周囲からの学びを得ることは大事だ。でもそれに流されてはいけないと思う。

きっと、正解なのかどうか見えなくて不安だから、何かに依ってしまうのだろう。

広報の人数をたくさんあてがえないから社内に分かり合える人がいないとか、広報と聞いた時のイメージとか、、自助努力だけではどうにもならない課題もたくさんあるからこうなっているのは承知の上で、これらを思っている。広報を現場仕事で終わらせると、広報という仕事の価値を証明することがどうにも難しくなってしまうので、そうならない未来を願っている。(この辺はまたnoteのネタになりそうな!)

現場仕事から脱却するために、皆「自分で」広報のことを意味づけようとするムーブメントが必要ではと思うし、そのような姿勢づくりに何らか貢献できるような、発信や活動をしていきたい。

#広報 #PR #PublicRelations #初心者広報 #広報育成 #キャリア #社内広報

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?