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夫と高校野球。

高校野球。記念すべき第100回の大会。

高校野球が大好きな夫と、甲子園へ試合を観に行った。

"高校野球"や"甲子園"という言葉とは無縁の人生を過ごしてきた私の、ちいさな気づきと思い出。


夫は、三度の飯より"高校野球"

夫は小学1年から学生のあいだ、ずっと野球をやっていたそうだ。それはそれは野球が好きで、高校野球はとくべつに大好きだと話す。

夫とまだお付き合いをしていた頃の話。

夏休みをお互い別々の日程でとっていた。付き合いたてということもあり、私が働いている間に夫はなにをしているのだろう。女の子と遊んでいたりするのだろうか。などと初々しい心配をしていたが、そんな心配を知らず夫は家でテレビにかじりつき高校野球を見ていた。

仕事中に定期的に届く「いいプレイ!」「逆転!!」などの実況が、私の心配を消していったのを覚えている。

「試合に夢中になりすぎて、ごはんを食べるのを忘れてた」とメッセージが来たときはさすがに心配になった。

いつまでも子供にさせる世界

夫はプロ野球の試合を観ていては、「この選手は、この高校にいて、甲子園ではこんな活躍をして」と、どこから仕入れてくるのか、どこまで記憶しているのかわからない野球の情報を、たくさん教えてくれる。

(それはそれはたくさんの情報で、私はあまり覚えられていないのが申し訳ない。)

そんなに好きなのならと、去年に引き続いて今年の記念すべき100回大会にも行こうという話になった。(夫の誕生日がちょうど試合の日程に重なる)

球場に向かうまでの道のりで、「間に合うかな、間に合うかな」と電車でそわそわとしている様子は、近くに座っている野球帽をかぶった小さな男の子と重なった。

そしてふと、こんなことを思う。

さながら私は、男の子の横に座っているお父さんと一緒。つい早くなる夫の足取りに、パタパタと思わず駆けだしそうになる。

これまでの重みと、これから

「熱闘甲子園」という、高校野球の大会が行われている間に放映されている特集番組がある。

決勝戦の夜、最後の放映日に夫はなにも言わず、じんわり目に涙をためながら、真剣に番組を見ていた。

ああ、迂闊に入ってはいけないな、と思った。

最近は便利なもので、Twitterなどでいろんな意見が飛び交う。あまりに極端な意見も多く、つい「こういう意見もあるけれどどう思う?」と聞いてしまう。

そのたび夫は、「そうか、そう思う人もいるんだね。やってる側は、そんなこと気にしたこともない」「そんな気持ちで野球はやってない」と笑った。

甲子園にいくと、すぐそこで球児たちが戦っている。憧れの地である甲子園で、泥まみれになって、汗だくになった高校生を見て、「がんばれ」以外は私はなにも言えなかった。

たくさんの意見があるのはいいことだと思う。けれど、中心にはいつだって「球児たち」がいる。迂闊に自分の意見をぶつけて、球児たちやそこに関わる人を傷つけてはいけない。

これまで彼らが過ごしてきた重みをどうか少しだけ想像して、見守ること。私たちにできるのはそれだけだ。


人生の中で無縁だった高校野球、夫と出会ってたくさんの物語を知った。

大人もしゃんとしていこう、と少しだけ背筋が伸びる。


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