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春、うらら

春ですね。

「春うらら」という言葉の字面と響きが好きで、春になるとつい頭の中でリピートしてしまうのがこの言葉。うらら。春うらら。

そんな心地よい春を離れて来週、ひさびさに海外へ行くことにしました。
なんと3年ぶり。
3年ってつまり1095日間まいにち「ああ旅がしたいなあ」と思っていたわけで、そう考えるとわたしは海の向こうがわに随分ながい片思いをしてしまったわけです。長かった。

しらないあいだに10年前につくったパスポートは切れていて、なんならたび重なる引越しにどこか無くしてしまって(結局段ボールの奥底からでてきた。)、「そういえば外貨の両替はどうやるんだっけな」とか「何の準備が必要なんだっけな」と頭の引き出しを開けてみてもからっぽで、びっくりしてしまった。

人間、日常から必要のないものはちゃんとわすれていくようにできている。
それが良いときもあるけれど、さすがに旅した記憶やそれに付随することは覚えておいてよね。

日本があたたかくなってきてお散歩したり恋をしたり、日向ぼっこをしたり長い冬をやっと超えて心待ちにしていた全てができるのに、ぜんぶぜんぶ置いて真夏のアジアにゆきます。

「何しにいくの?」と聞かれ
「深呼吸」と答えると、
それに朗らかに「超いいね」とわらってくれるひとが好きです。

かといってあからさまに不思議な顔をされるのも嫌いではないです。
おなじ地球に住んでいる、おたがい別ルールで生きている人種なだけです。
異文化交流みたいなものね。

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わたしにとって旅とはなんだろう?
と歳をかさねるたびに問うてきて、そのたびに出る答えはちがったりする。

3年前、最後に旅をしていた時はたしか
「人生に必要ないもの。だけれどあるとよりよくなるもの」だったし、
世界をぐるぐる旅をしていた20代のときは
「人生のスパイス」 だった。
それらはnearly equalな感じ。(nearly equalって言いたかっただけ)

そしてこうして3年経って、旅が自分の人生から遠ざかったいま改めて問われたら「生きる意味」と答える気がする。

旅をすることは生きる意味そのもの。
人間一度うしなうと、大切なものに気づくって本当だね。

前にはまっていた弱虫ペダルで、真波君が死に物狂いで走りながら「たまらなく生きてるって感じがするんだ!」と言っているのをみて、
「うわ〜....筋肉に負担かけて苦しい思いしてドMだな〜」と引いていたのだけれど、わたしの旅はきっと真波君にとって走ることなのだろうな。と思うとすごく腑におちた。

旅は時に苦しい。さみしい。お金もかかる。
それでも生きてる感じがする。

ということは、「深呼吸をしに旅にでます」を聞いて引く人がいるのも納得する。こういう感覚か。

春うららな世界に別れを告げて、旅にでます。
そう思うとこのうららかな空気感が余計に愛しい。
たくさん吸い込んで堪能しよう。
そして頼むからしずまってね花粉症。

ちなみに行き先は
「世界の扉がひらいたら何がなんでも最初にいく」と決めていた元マイホームです。
今回目的は特になく、本当に多分、いや〜ひさしぶり〜元気してた?な感覚で町に会いにいって帰ってきます。

まっててね。


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