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わたしたちは一体どこで間違ってしまったんだろう

美しい映像を目の前にしながら、頭の中にはそんな言葉が繰り返し何度も浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。

久々に映画を観た。
スカイ・ホピンカ監督の「モスニ 海へ岸へ:アメリカ先住民の魂」というチヌーク・ワワ語の長編作品。


アメリカ太平洋岸北西部のチヌーク族に伝わる死の神話の起源。自分たちを取り巻く自然や精神世界、心の奥深くをさまよう2人の先住民の若者、スウィートウォーター・サーメとジョーダン・メルシエ。2人は死後の世界、生まれ変わり、死について考え、別々の道を歩んでいく。自然への畏敬の念を画面いっぱいのビビッドな色にあふれさせながら、スカイ・ホピンカ監督はその2人の友人たちがネイティブ・アメリカンとしての過酷な人生を普通に生きる姿を、優しく、同時に厳しい目で捉える。語られるチヌーク・ワワ語(別名チヌーク・ジャーゴン)は、チヌーク語、フランス語、英語の混成語(クレオール)で、違う言語を話す先住民間の貿易語として、カナダから現アメリカ太平洋沿岸北西部で発達したが、現在流暢に話す人は数十人と言われている。言語学習の教科書に出てくるような短文で、大人になるまで自分たちの部族の言語を習えなかった彼らの現実を浮き彫りにしながら、かえって詩的だ。音楽も作るホピンカ監督の音や音楽の使い方は特に型破りで、実験的に見えるがそれぞれに意味が深い。地球や精神世界における人類の居場所を探るスカイ・ホピンカ監督の映画は、観客に様々なことを考えさせる。
http://unoportartfilms.org/ja/archives/5496

この映画は最初から知っていたわけではなくて、知り合いのお店が主催している映画祭でたまたま出会った。
何本かあったタイトルのうちから直感で選んで、ふらっと足を運んだ。
コーラとポテトとサーモンベーグルをお供に観たこの「モスニ」は、刺激的で、それでいて静かで、情熱的で、クールで、なんというかぐっときた。

地球や精神世界における人類の居場所を探るスカイ・ホピンカ監督の映画は、観客に様々なことを考えさせる。

まんまと私もスカイ・ポピンカワールドに誘われ、昔と今、私と他人のあいだをぐるぐる小判鮫みたいに周りながら、この映像作品に見入っていた。

この作品はタイトルにもあるように、アメリカ先住民にスポットライトを当てているのだけれど、彼らの歌や考え方、先住民達が大切にしている思いに触れていると、一体わたしは何をやっているのだろう。と思った。

昔は水も森も太陽も、きちんと人間と共にあって、常にその存在を感じていたはずなのに。
私ときたらすっかり対話を忘れて、人間界にどっぷりだ。

自分だけが正しい輪から外れている。
その輪に入ろうともせずに、入りたかったことさえも忘れてしまっている。

なんだか無性に悲しくなって、鼻の奥がつんとした。

こういう思いは何かのきっかけにやってきて、あと少しでつかみ取れるのに!と思ったところでするりと手のひらから抜けて行く。

そうして気づけばまた忘れて、元の生活に戻って行く。
なんとかならないのだろうか。

どうしたらあの精神状態にずっと身がおけるのだろう。
どうしたらずっと地球の輪の中に戻ることを諦めずにいられるのだろう。
わたしに今足りないのは何で、すべきことはなんなのだろう。

映画と旅と本はいつもこういう気持ちにさせるなあ。

久々に、ちゃんと五感が開く映画を観た気がする。

さぼらず定期的に触れよう。
じゃないと本当に、わたしは今間違っていることすら忘れてしまう。

せめてこうして、言葉にしておこう。

備忘録でした。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。