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はらはらと舞い散る雨の様にそっと、そっと

気づけば雨が降ってきたので、こんな日は日記を書かなければ、とnoteを開きました。ふーっと体の芯が深いところから呼吸を繰り返すような。この感覚は寒い日に、バンホーテンのココアを飲んだときとよく似ているような気がする。

「いい天気」と聞くと、きっとどうしても頭を覆うのは、つるっとした真っ青な空と、もくもく美味しそうな雲と、全力で笑う太陽だけれど。  

わたしのいい天気は、俄然雨の日で。
お布団にくるりと丸まり「よし、今日はここから出ないぞ」と決めた瞬間、外からパラパラと音が聴こえ始めると、何だか喉のところがムズムズしてきて、嬉しさでにんまり飛び出してしまう。  

部屋からそっと眺めているのも好きだし、水たまりの中を長靴でえいと切り込むのも好き。傘に当たる雨の音に、そっと目を閉じているのも好き。
なのでみんなが嫌う梅雨なんて、正直大好物だ。

ずっと側にぴったり寄り添って、いつまでもいつまでも、その存在に包まれていたくなってしまう。

私の中には、人間にも「天気」がある。
だからと言って「この人は晴れ。この人は曇り。」という決定的な何か基準があるわけではない。(無理やり言語化することはできるかもしれない。でもそれが全てではない気もしてる)。  

それはものすごく、感覚的なものでしかなくて。
だけれど、雨の色を持ったひとに出会うと、頭の中にサーっと静かな音が突然振り始める。
それは時雨だったり、白雨だったり、霖雨だったり。
種類は様々だけれど、音になったり、色になったりしながら、そっと、そっと、私の中に降り注いでくる。  

そうしてそんなサラサラと、粉砂糖のように振りまく人間の雨に触れていると、知らぬ間に、もう目が離せなくなっている。

それは時に、何でも話せる親友になる。
それは時に、片時も離れたくないような愛にもなる。
それは時に、泣きたいほど苦しい恋になったりもする。

降り注ぐ雨は静かなはずなのに、私の心には大嵐が巻き起こるのだ。  

だからこそ迂闊に近づいてはいけないことを、無邪気に、レインコートも長靴も脱ぎ捨て、飛び込んでいってはいけないことを、少しずる賢くなってしまった29歳の私は、もう知っている。

きちんと傘をさして。
長靴を履いて。
そっと、そっと、慎重に。
決して濡れない様に。

傘を閉じるのか、さして過ぎ去るのか、覚悟が決まるまで。

あの日。
もう二度とこちらを振り向くことすらしなかったあの雨は、今、誰の傘を濡らしているのだろう。

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。