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1番なりたくなかった「会社員」に1ヵ月半なった話《後編》


こんにちは!ゆりあです。


先日
1番なりたくなかった「会社員」に1ヵ月半なった話《前編》
という記事をあげまして、今回はその後編です。

①1ヵ月半の会社員生活で何が見えたのか。
②そもそも1番なりたくなかったものになって精神的苦痛はなかったのか。
③会社員というものに対する印象の変化はあったのか。
④会社員になりたくないと思っていたもう一つの理由とは。

について触れていきたいと思います。



①1ヵ月半の会社員生活で何が見えたのか。


結論からいうと、「会社勤めでも結局は人と人とのやりとり」だということ。です。
「お仕事関係の悩みの大半は人間関係である」という話を聞いたことがありますが、これがスッと腑に落ちました。

私はどちらかというと職人気質で、1つの物事を進める際とことん突き詰めたくなるタイプです。(要するに完璧主義)
だから、いつまでたっても作業に取り掛からず仕事に関係のない話をしている人とかを見てるともうイライラして仕方ありませんでした。

会社員生活を始めた最初の1週間くらいがまさにそれで、出勤の度にイライラしていたのですが、ある日気付きました。

「あれ?イライラしてるのって、もしかして私だけ…??」

そう、社員さんもバイトの方も、誰一人としてイライラしている様子がなかったんです。
むしろ皆さん毎日楽しそうに過ごしているように見えました。

それに気付いた瞬間、なんかもうイライラしていることが馬鹿らしくなって、何かがポキッと折れた音がしました。多分、外を出歩くとき無意識に装着している「仮面」が折れたのだと思います。

外に出るとき、他人と話すとき、仕事をしているとき、多くの人は「素」で過ごさず、必ずといっていいほど外用の「仮面」を付けているのではないでしょうか。自分が傷つかないようにするための自衛用、もしくは少し背伸びした自分を演出して他人に良く見られようとする為だと思います。

私が外の世界で真面目な人だと思われやすいのは、この仮面を否が応でも外さない為です。
臆病で、仮面を取った自分の脆さを知っているから。

あんまり書くと長くなるので割愛しますが、とにかくこの仮面にパキッとヒビが入った瞬間、一気に肩の力が抜けました。
お堅い内容の仕事でも、気張って働いている人ばかりではないということ。
そしてやはりお仕事というのは結果が求められるので、成果や結果をきちんとお渡ししていれば私が思っていた以上に自由なのだということ。

前編で書いたエレベーターの例えを使うとすれば、途中の階に降りてお茶をしている人もいれば、エレベーターの中を誕生日会の時のように飾り付ける人もいるということ。

どこにいようと誰といようと、どんな仕事をしようとどんな肩書であろうと

人はいつでも「自由」だし、「自由」の定義は自分で決められる。

サボってもいいし間違えてもいい。
会社員だから○○。自営業だから○○。
そんな区別はどこにもなくて、何をしてても自分らしくいられることが1番大切なのだと思います。

仕事を蔑ろにしていいというわけではもちろんありません。
でも、決められた範囲の中で自分が自分らしく居られるための環境を“自分で”作り出していくことはとても大切だと思います。

仮面にヒビが入ってから、私は自ら隣の席の人に話しかけるようになり、廊下ですれ違った人と話をするようになり、どこのだれかもわからない人と同じベンチでお弁当を食べたりしました。

あれだけなりたくなかった職に就いたというのに、段々と仕事が楽しくなってゆき、そして最終的には「うちで正式に働かないか?」というお誘いまで受けるようになりました。

元々期間限定での契約ということで丁重にお断りしましたが、私の会社員に対する概念を180度変えてくれたあの企業様には心から感謝しています。あのようなホワイト企業が存在するとは正直思っていませんでいした…。

目の前の人と協力して1つのお仕事に取り組む。
これは会社勤めでも舞台づくりでも同じこと。
だから、どこにいても自分でいることが軸になる
その軸がブレなければどこにいてもやっていける。
そんなことを思いました。

今までの自分に対してツッコミを入れたいのは

「かしこまり過ぎていても何も得られないぞ」

ということ。
せっかくアホなのだから、もっと活かしていきたいですね。



②そもそも1番なりたくなかったものになって精神的苦痛はなかったのか。

正直いうと苦痛でした。(正直)
でも会社員に「なりたい」というより、会社員を「知りたい」という動機で働き始めたので、会社員になったことへの苦痛というより毎日8時間デスクに向き合う行為自体が苦痛でした。やっぱり事務的なことより創造的なことに携わっているときの方が自分らしくいられるような気がする。
あと、意外に動いている方が楽なタイプだということがわかりました。



③会社員というものに対する印象の変化はあったのか。

①で書いちゃったので割愛◎


④会社員になりたくないと思っていたもう一つの理由とは。

結論、「自分が何者でもないことを内心わかっていたから」なのだと思います。

最初は、会社員になりたくないというより、分母の大きいものの1部になりたくなかったんです。
大勢の中の1人。いくらでも変わりがいる内の1人。
なんかそういうのに対して凄く寂しさを感じていました。

でも結局、役者だって何人いるのって話で、それはもう全員と知り合いになるのは無理ってくらい沢山「自分は役者です」と名乗る人がいて、私が居たいと思える業界の中でも結局私はその中の1部でしかない。

その中から抜きん出る人は、きっとどこで働いていても抜きん出る人。
お芝居をするという行為自体が個性的なのではなくて、自分自身としてその場に居られている人はどこにいても魅力的で、お芝居は自分自身を使うのでそれが顕著に表れやすいというだけの話。

2月、桃太郎の公演に携わった際。
私は自分の根本的無力さを思い知らされた。

それまではどこか自分に不確かな自信みたいなものがあったのだけど、桃太郎の公演でその自信はもう粉々に砕けました。

本当はわかっていたんです。
自分が何者でもないこと。
光るものが見当たらないこと。

だから、大勢の中の1部になってしまったら自分が消えて居なくなってもわからないんじゃないか。という得体の知れない恐怖をどこかにずっと抱えていて。

桃太郎という主演が10人いるという斬新な試みの中で確信しました。
私は出来る人間ではないし、華があるわけでもない。
この10人の中から抜きん出ることさえ出来ない。
でも、今がそうであったとしても、変わっていきたいと思った。

1年後、5年後、10年後
私のお芝居を見て少しでも元気になる人が増えているように、自分が変わりたいと思った。

これからやっていこう。
知らなかったことを知っていこう。
話さなかった人たちと話していこう。

だから、会社員になることの選択ができたのかもしれません。

どこでだって安心して輝ける。
自分がいれば大丈夫。

その自信が少しでも付くようにいっぱい経験して揉まれて学んでいきたい。

そんな前向きな結論に至らせてくれた1ヵ月半の会社員生活は
大変貴重で尊いものでした。

何事も経験。
起こってもいないことで悩まない。
新境地に飛び込んでも死にはしない。

次への扉をどんどんあけて、見たこともない景色を見てみたい。


人生1度切りなのだから。


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面白おかしく、生きていきます。



仲間優理愛

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