政府は説明できないんだね、発達障害・知的障害の人や児童への対応

正直「がっかり』と『やっぱりね』が一緒に来た。

この事態の中、日常生活に障害を感じる人たちの事を政府が気にしてないんだね。日本って国は日常に困り感を感じている人に対して理解を示さない心持ちの国なんだ。そう言われちゃっても仕方ないなって悲しくなった。


何が『こんな時こそ支え合い』なんだろう。コロナにかかるかもしれないから、辛抱だけはみんな一緒にしないとねってことなんだね。『こんな時こそ』じゃなくて、『こんな時でも』支え合いが本当なら理想的だよね。

今や発達に課題があると思われる子、愛着に課題があると思われる子、知的に課題があると思われる子がどれだけ多いのか、把握してないんだなってしょんぼりした気持ち。


不登校もそうだよね。こんな長い休校、しかも先が見えない不安の中で、いざ学校が始まった時「やったー‼️」って元気に学校に行かれる子と、もう一度『学校生活』ってものに怯えながら思い出し直して、再度苦痛を味わい直すことになる子もいるんだよ。


今まではルーチン的に学校に行かれてた子が、『休んでみたら、やっぱり学校ってしんどいところだったんだ。また行かないといけないのかぁ…』って思ったとして、そこになんの不思議がある?


で。こういう子たちの事を家族はすごく心配してて、でも、悔しいことになす術がないんだ…。家族の苦しさも、子どもの苦しさも、受け止めてくれる福祉は今のところない。だから、すごく困った経験をした先輩たちが市民活動していたり、ボランティアやったりしてる。このままではいけないって感じてくれた人たちが、細々とでもなんとか寄り添って、なんとか幸せに、楽しく、生に希望を持って過ごせるようになってほしいって頑張ってくれてる。noteを見ててもそうだよね。そういう方が沢山いる。


なのに、なんで国はこんなに国民に無関心なんだろう?別に障害うんぬん抜きにしてもだよ。まず教育に興味ないよね。虐待も問題とか言いながら、児相は肉体的な虐待にはピリピリしても、ネグレクトや心理的な虐待は『証拠が…』とか言いながら対応しない。命は大事だよ。でも、生きて行くには心が必要じゃないの?ただ生きていればいいの?私は絶対にそうは思わないよ。


子育て中の家庭や学校には、緊急事態宣言が解除された後に新たな戦いが待ってる。遅れた勉強の取り戻し、子どもたちの不安への対応、心のケア。楽観的にはなれないよね。大人に心の余裕が無かったら、子どものケアは難しい。


私に心の余裕があるかって言ったら、無いと思う。今をいっぱいいっぱいで、ストレス抱えまくって生きてると思う。

でも、心を貧しくしたく無い。誰かを思いやったり、子どもたちには『大切に思われてる』って感じて育ってほしい。

みんなが苦しい時だから、『個の責任』意外にも『大人の心遣い』だったり本当の意味の『共生』っていうものが広がっていったらいいな。



『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。