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放送大学に入学しようと思った理由

2024年2学期(10月)から、放送大学の講義を受ける手続きをした。私は全科履修生で単位をとりきれば学士の学位がもらえるわけだから、一般的にいうと「大学に入学した」ということになるのだろう。だけど、今の自分には「大学に入学する」という言葉がしっくりこない(でもタイトルは分かりやすい方がいいので「入学」とした)。なぜだろう・・・と考えると、高校を卒業してすぐの「入学」のそれとは、マインドがちがうからなのかなと思ったりする。うん、これこそ「大人の学び」なのだと、よく分からない納得感が生まれた。
と、それらしいことを書いてみたけれど、入学試験がなくて興味深い科目がけっこうあって、誰でも受講ができるというシステムの流れにのっかって今にいたるため、「試験を突破してたどりついた入口、さあこれからよ!」というワクワク感が単にゼロだというだけなのである。でも、だからこそ「興味深い科目がけっこうある」というのが大きなポイントなのだろう。うん、これこそ「大人の学び」なのではないか。


どうして大学の勉強をしたいと思ったのか

私は高校を卒業してから大学の教育学部で学び4年で卒業。その後は教員にはならずに会社員などを経験、そろそろ50歳が見えてきていた2018年、ふと「外国で生活してみたい」と思ってメキシコで日本語教師の職を得る。

理由1. 外国の人に自信をもって日本のことを話せなかった。

メキシコでの生活は、経済的&安全上の理由からメキシコ人のお宅に下宿することとなった。その下宿先がなかなかのインテリ一家で、特に私と同じくらいの年齢の息子さんは知識欲が旺盛で、私にメキシコのいろいろを教えてくれ、私に日本についてのさまざまな疑問を投げかけた。君の宗教は何? 日本はどんな宗教観があるの? どうして日本は第二次世界大戦を戦ったの? などなど。また、とあるグアテマラ人に聞かれた。日本人のアイデンティティの根幹は何?・・・うまく答えられなかったのは言うまでもない。
それらことで、自分自身が日本について無頓着だったことを自覚したのと同時に、メキシコはもとよりラテンアメリカの歴史や文化について、何も知らないことに気づいた。教養的な知識不足を痛烈に感じたのだ。こりゃヤバイ、自分をアップデートしなくちゃ、そんな思いがスタートだったと思う。

理由2. 日本語教師のスタートラインは「修士」がベスト。

外国で日本語教師として採用されるには、民間の日本語学校ならば、日本語教育に関する学士以上をもっている、420時間の日本語教師養成講座修了、日本語教育能力試験に合格している、という条件のいずれかが要件になることが多い(今後は「国家資格所有者」になるのかもしれないが)。大学院を卒業して修士をもっていれば、待遇の良い大学教員のポストを狙うこともできる。ブラック業界として名高い日本語教師界隈も、大学院を修了していれば給与水準の良い職場への選択肢が広がるという点でベストなのかなと(もちろん、これはただの私見)。

理由3. いつまでも学び続ける人、学び続けられる社会。

メキシコでは、老若男女問わず「今度、大学(大学院)で〇〇を勉強するんだ」という人がいた。えっ、仕事どうするの?とか、お金は大丈夫?とか心配しちゃう日本スタンダードでは考えられない数の人が、社会人になってから学んでいる気がする。もしかすると「学歴社会」ならぬ「学位社会」ということなのかもしれない(たとえば、公の場で名前を発表されるとき、「学士」「修士」「博士」の称号が名前の前につけられることが多かった)が、「勉強したいならどうぞ、したくないならそれで構わない。あなたはあなた。」というように、学びに対して自分の意志を自由に表現できる、そしてフラットに受け入れてくれる社会の空気があるように感じて、それをちょっとうらやましく思ったりしていた。

放送大学にたどりつくまでの紆余曲折

1. 大学院に行ったほうがいいかも。いや、行きたいかも。

日本語を教えるというのは実に奥深く、経験を重ねるごとに「自分の付け焼刃的な日本語教育の知識ではだめだろう」という思いが募っていった。さらに、「仕事について面白い話を聞かせてくれる人は、みんな大学院を卒業している人だった」という個人的な統計結果から、大学院進学が視野に入りはじめた。

2. まて。今50歳、それは本当に現実的か。

仮にこれから大学院を目指すとして、その後のキャリア形成はどうなるのか。「学びたいと思い立った日がはじめどき」というキャッチフレーズには全面同意だが、「日本語教師としての就職を有利にするためだけの大学院進学」だと考えると、それは現実的ではないように思った。なぜなら、これから研究テーマを精査して大学院受験をし、うまくいって2年間の課程を経てからの就職となると、年齢制限もある募集には間に合わない(就職はできても実際に現場で働ける期間が短かすぎる)気がしたからだ。

3. 「学び欲」を満たすのは、大学院だけじゃないよ。

就職のための大学院進学に未来が描けなくても、でもやっぱり学びは必要だ。そう考えてまわりを見渡すと、世の中にはさまざまな学びの場があった。たとえば大学や地域の生涯教育センターには安価でおもしろそうな講座がそろっているし、YouTubeの学び動画や、本講座の集客のための無料講座も数多い。聞けば「学び直し」がいま、ブームらしい。そんなこんなでインターネット検索で芋づる式に目にした情報から、興味のあるものをピックアップしていくつか受講してみたりもした。このような単発的な学びは、なかなかに楽しい。しかもオンラインで手軽に受講できるから便利である。でも、おもしろそうな講座を探したり、入金の手続きをしたり、その後の勧誘メールを削除したりするうちに少々疲れてきて、学びの窓口はひとつでいいのかも、つまり、ひとつの学校でがっつり勉強する方法はないものか、と考えはじめた。

4. 学部に入学するのもアリか? いや、だがしかし・・・。

日本語教師としての知識を強化するためなら、なにも大学院ではなく学部への進学でもいいのかも。しかも大学なら教養を強化するような授業もたくさんあるはずだ。
というわけで、たとえば仕事をいったんすべて断って、朝から夕方まで100%の大学生生活ということも考えた。いや、だがしかし。30年前のキラキラ・キャンパスライフをもう一度、という気持ちにはどうしてもなれず、それならば通信制大学があるじゃないかと、ここでようやく放送大学が選択肢にのぼってきたのである。

5. 放送大学に決めたワケ。

通信制の大学をいくつかピックアップし、狙いを定めて資料請求やオンラインの説明会にも参加。で結局、放送大学に決めた。決めた理由は、おもしろそうな講座がたくさんあったことと、前述の「学びを求めて各種講座の放浪期」にYouTubeでときどきお見かけしていた先生の講座もあるということ、それから何より私の暮らす地方にも学習センターがあるのがいいなと思ったこと、かしら。

放送大学は3年次編入を希望したので最短2年、最長で6年までの在籍猶予が与えられるため、仕事をしながらマイペースで勉強していこうと思う。

日本語教育や言葉と文化に関する科目を履修しながら、できればその分野に関する卒業論文までもっていけたらいいなというのが、今のところの目標。そして常に問題意識をもって学習にのぞみ、研究を深めたいテーマが見つかったらその時に大学院進学を考えたらいいかな。きっとそのころには60歳が見えているだろうから、就職のためではなく、純粋に学びを深めたいから進学するという選択をするんだろうな。あ、そんな気持ちになった時のために、ちゃんと働いて貯金しておかなければ。

熱しやすく冷めやすい性格のため、「やっぱり、やーめた」となるかもしれない放送大学での勉強。まずは「どうして学びたいのか」という自分の現在位置を確認してみた。

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