11月24日 三つの棺

図書館で借りた本には、前に読んだ人がしおりがわりにしていた物がそのまま挟まっていることがある。

ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』にも細く折り畳んだ紙が挟まっていた、開いてみるとタリーズ日本橋店のレシートだった。
その人はSuicaでコーヒーを一杯購入していた。
レシートは印字面をきちんと中にして角を合わせ、几帳面な短冊形だ。

この本は近所の図書館の蔵書で、ここは日本橋ではない。
私の前に『三つの棺』を借りた人は、近所に住んでいて、日本橋まで行くのに使ったSuicaで買ったコーヒーをタリーズで飲みながら、この本を読んだのだろうか。
割と若いページに挟まっていたけど、ここで読むのを諦めてしまったのだろうか?
読み終えてなお、そのまま挟んであるのだろうか?
レシートの日付は1ヶ月ほど前だった。
この人の後私が借りるまで1ヶ月間、この本は誰にも借りられることは無かったのだろうか……
と思いながら、レシートを捨てた。

しおりがわりに挟んでいるもので、その人の人となりを想像する。
たまに手書きのメモなんかが挟まっていることもある。
1番しおりがわりにされがちなのは本を借りた時に印刷されるレシートで、その場合には他にどんな本を一緒に借りたかも覗き見ることができる。
共感できるラインナップだと少し嬉しい。
波打ち際で、瓶に入った手紙を拾ったような気分だ。

今頃になってカーを読んでいる理由は、ポール・アルテの読める範囲にある著作は全部読んでしまったから。
ポール・アルテはフランスのディクスン・カーとの異名を持つが、同音異口で文字通り異名、それもそのはずポール・アルテはもともとカーの大ファンらしい。
「バツバツは言うなればマルマルのナニナニ」みたいな異名、そもそもバツバツはナニナニのファンだからオマージュしてるのではってパターンが往々にしてあって、バツバツとナニナニを直列の親子関係でなく並列に扱う言い回し表現、いつも違和感がある。

もう手の届く範囲に和訳されたポール・アルテが無いのが寂しい。
ポール・アルテを原著で読みたいがため、人生で幾度もフランス語の学び方をネットで調べている。
平岡敦さんの訳に不満は無いけど、すごく繊細で複雑な書き方をする作家だから、自分なりに原著で読んでみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?