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人はなぜ「アイ・メッセージ」を偽装した「亜イ・メッセージ」を騙ってしまうのか。

 面白い記事を読みまして。

例えば「あなたは私の話を聞いていない」ではなく、「私はあなたが聞いてくれないと感じている」と、自分を主語にして話すこと。
そうすると、自分も冷静になれます。感情的にならず優しく、事実=ファクトをもとに「目の前のふたりの問題を、どうやって解決していこうか」というスタンスですね 。

 「亜・アイメッセージ」と私が呼んでいる一連の言い回しっていうのがありまして。この記事で紹介されているものがそれだなあと。

 まず、「私はあなたが聞いてくれないと感じている」って、「感じ」なんですね。つまり、ある事象に対する本人の感情的評価なんですね。だからこれ、ファクトじゃないんです。でですね、「あなたは私の話を聞いていない」を「私はあなたが聞いてくれないと感じている」に言い換えていると言っても、この2つは機能的にはほぼ等価ですね。どっちにしろ言う側は相手に「お前の行動に問題がある」という「ユー・メッセージ」で言っているわけだし、だから言われる側は「俺は責められている」と感じるんですよ。どう取り繕っても。

 この言い換えを記事では「アイ・メッセージ」と呼んでいるわけですけど、実際にはアイ・メッセージになっていない。一見アイ・メッセージに見せておいて、実は相手のありさまに言及している「ユー・メッセージ」であるという。これを私は「亜・アイメッセージ」と呼んでいます。略して「亜イ・メッセージ」ですね。

 この辺のコミュニケーションスキル論について、私は素人なので、あくまで自分自身の日頃の感覚論で書くんですけど、思うに、相手に自分の認知を押し付けないという意味での本来のアイ・メッセージって、ファクトを伝えるかどうかというより、「私はこうしたい」という「行為の意図」を伝える言葉だよなと思っていて。というのも、本気でファクトを集めようとすると、科学的なデータの集め方をしないといけないんですけど、そんなこと一般的な会話の中でできるわけないじゃん、と私は思っているからで。だったら、妙に頑張ってファクトを集めようとするより、自分の意図、「どうしたいか」を伝えたほうがよほどいいんじゃないか。

 で、この記事のように「あなたは私の話を聞いていない」というユー・メッセージなり、「私はあなたが聞いてくれないと感じている」という亜イ・メッセージなりのメッセージを伝えたい場面があるとしますやん。そこでそのメッセージを言うことで、話し手は「どうしたいのか」、つまり「その行為の意図」はなんだっていう話になるんです。それが本来の意味でのアイ・メッセージではなかろうかと。

 では、ここでいうアイ・メッセージはなにか。これね、「私はお前に私の話を聞かせたい」なんだと思うんですよ。「お前を私の思うように動かしたい」ってことなんです。

 で、当然、聞く側にもアイ・メッセージがあります。「いや、なんでお前の意図に従わなあかんねん、俺は俺のしたいようにしたい」と反発されることは当然ありえる。だから、人はアイ・メッセージを「私はあなたが聞いてくれないと感じている」のような「亜イ・メッセージ」に無意識のうちに言い換えているわけですね。

 でですね、コミュニケーションにおいて、アイ・メッセージが大事だよっていうのは、アイ・メッセージが「誠実」だからなんです。まず、その相手への欲望を、包み隠さず自分の責任として口にする点が誠実なんですよ。さらに、その欲望を、暴力で叶えようとするのではなく、言葉で叶えようとすることもまた誠実なんです。だって、言うことを聞かせたいなら、殴り倒して聞かせることだってできる中、言葉を使うわけです。実に誠実です。

 もう一つ、アイ・メッセージは、自分の欲望を包み隠さず自分の責任で言語化するわけですから、セルフチェックができるのもいいところなんですね。理にかなわない欲望を相手に押し付けてないかと。「おれ、相手に無茶苦茶なことを要求してないかな」と。

 だって、考えてみてくださいよ、「相手の行動を思うようにしたい」って、かなり強めの欲望だと思うんすよ。通りすがりの知らないおっさんが、あなたに「お前の行動を俺の思うようにしたい」って言ってきたらどうですか。逃げますよね。それくらい、強めの欲望なんです。

 人にはそれぞれ事情があります。目の前の相手にだって、何らかの事情がある。それゆえ、こちらの話を聞いてくれないことは、別におかしなことではないですよね。つまり、単にこちらの欲望が強すぎるってことなんです。まず自分の欲望を亜イ・メッセージではなく、アイ・メッセージで言語化する。そうすることで、自分の欲望の校正ができる。これもまたいいところです。

 しかしですね、この記事で紹介されているのは、知らない通りすがりのおっさんとのコミュニケーションではなく、夫婦のそれなんですね。知らない人なら逃げ出すような強めの欲望を口にしたとして、パートナーは「なるほど、お前は俺をそのように操作したいんやな。お前の欲望を満たすことは私としてやぶさかではないぞ。だから、お前の思う通り、聞こう」と言うこともできるんですよ。とてもじゃないが通りすがりの人には押し付けられないような強めの欲望にも付き合ってくれるっていうのが、人生の伴侶ってものだ、と言ってくれる、そういう関係性だってありうるわけです。

 なんかで読んだんですけど、ソシアルダンスって、相手がこう動きたいんだな、ということを察して自分もそう動く、ということをお互いにし合うことで、初めてあのなめらかな動きができるようになるんですって。それによく似ていると思いました。

 ユー・メッセージのように欲望を押し付けるようなことを言ってはダメとか、逆に、アイ・メッセージでむき出しの欲望を押し付けていい、とかいったことではないんです。メッセージの内容とか、取り繕い方の問題ではなく、関係性の問題なんですね。その点についてはこちらにも書きました。

 お互いがお互いに、この人の欲望なら、多少無茶でも叶えてあげたい、と思えるくらいの関係性。それがあれば、人は安心してアイ・メッセージを語れるかもしれない。しかし、そういった関係性がなければ、我を通すために、人は「ユー・メッセージ」なり「亜イ・メッセージ」を口にする、ってことなんだろうなと。で、信頼し合う良質な関係性には、やはり誠実さが欠かせなくて、だから押しつけ的な「ユー・メッセージ」や、取り繕った「亜イ・メッセージ」を騙っているうちは、まあ不誠実なわけですから、信頼関係が築けないわけです。まずはアイ・メッセージで自分の欲望を言語化し、無茶を言っていないか確認し、必要なら校正する。それでもどうしても叶えたい欲望なら、相手に無理を承知でお願いする。相手がそれに応じてくれることを、願って。儚い。

 でもね、人って、他人の欲望を叶える事自体は、基本的に喜びと感じるものだと思います。あなたの願いを相手が叶えてくれるかどうかは相手との関係性次第ですが、その関係性も、まずはあなたが誠実に自分の欲望を自分の責任で言葉にしないと始まらないってことなんだなと。その言っても大丈夫かな、嫌われないかな、的なためらいの中で、勇気を持って人は言葉を口にするんだろうなと。特にオチはないです。

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