見出し画像

サンタになった日

季節外れにもほどがある。

ということは、私も重々承知しているのだが、今日はクリスマスの思い出を語ろうと思う。


昨年のクリスマスの日、私は妹と一緒に街へと向かう予定だった。

母の誕生日がクリスマスに近いため、私と妹は母への誕生日プレゼントを選ぼうとこっそり計画していたのである。

ところが、家を出る直前に、母から、
「お母さんへのプレゼントも選んできてくれるのかな。うふふ。」と余計すぎる一言を頂戴し、私と妹から笑顔が消える。

まったく空気を読まない母。
マイペースでのんきな母。
思ったことをそのまま顔や口に出してしまう母。

そんな母が私も妹も大好きなのだが、空気を読んでほしいときもたまにある。

好スタートとは言い難い、クリスマスの幕開けであった。

その日は、クリスマスということで、特別列車が走っていた。普段は各駅停車だが、特別列車は止まらずに目的の駅へと向かう。

雪の降りしきる中、止まらずに走りつづける特急は、オリエント急行殺人事件を連想させた。
私は、小学生の頃、アガサ・クリスティーが好きでよく図書館で借りていたが、夢中で読んでいた割には、ほとんどの物語を忘れてしまった。けれど、その中に生牡蠣が凶器として使われた物語があったことは覚えている。生牡蠣の中にひょいと毒を盛り、つるんと飲ませるというトリックで、小学生の頃から生牡蠣が好きだった私は、するんと飲み込める毒がリアルに想像できてとても怖かったのだ。

不穏な話に逸れてしまったが、列車は何事もなく、目的の駅に着いた。

私たちは、駅に降り立ち、駅前の商業施設をひととおり回る。

クリスマスだから、アクセサリーを売るお店がどこもカップルだらけだった。
お熱いカップルたちを横目に見ながら、私たちは、母への贈り物を探す。

母へのプレゼントはなかなか見つからなかった。

母のことは、私も妹もよく知っているはずなのに、母が何をほしいのか、さっぱりわからない。

「服はどうかな。たくさんあっても困らないし。」と私が提案する。
「サイズがね…」と妹が躊躇する。
母は、ぽっちゃりとした体型だ。もし服が入らなかった場合を考えると、喜んでもらうためのプレゼントで悲しい思いをさせることになる。
ということで、服は却下。

「バッグは、どう?」と今度は妹が尋ねる。
「何年か前に、母の日にあげたことあるけれど、荷物を入れすぎて数ヶ月で壊していたな」と、私がためらう。

食器にしようか。
…食器って、みんなで使っちゃうから、誰へのプレゼントかわからなくなるよね。

本にする?
…お母さんって、本を読み始めると5分くらいで寝ちゃうじゃん。

もう食べ物でいいかな?お母さん、食べるの好きだし。
…一番無難かもしれないけれど、今回は残るものをあげたいな。

といった具合で、いっこうに決まらない。

場所を、駅前の商業施設から、アーケードの商店街へと移しながらも、私たちのプレゼント探しはつづいた。

途中お昼を挟みながら、4時間くらいは探し続けていただろうか。

店内は暖かいとはいえ、12月の北国の商店街の店をいくつも巡っているうちに体も冷えてきた。

もうプレゼントを探すのは諦めて、ケーキでも買って帰ろうと引き返そうとしたそのとき、あるお店が私の目に留まった。

私は、妹の手を引いて、少し興奮しながら店内へと入る。

私たちが、入ったお店は楽器屋さんだった。
私が何も言わなくとも、妹はピンときたらしい。

私たちは、真っ直ぐウクレレコーナーに向かう。

母は、クラッシックギターを弾く。

参照:母の絵日記


ギターを弾くといっても、母が描いたこの絵のとおり、母はドレミファソラシドを弾くので精一杯。
母は、あまり指が長くないため、間隔の広いクラシックギターのフレットをおさえるのが難しいのだ。
「禁じられた遊び」の冒頭をギターで弾いていたかと思うと、いつのまにか大きな鼻歌にかわっている。
それはそれで楽しそうではあるのだが、ウクレレなら、あまり指が長くない母でも弾きやすいのではないか、というのが私の意見。

そして、母は、(薄い顔の私や妹と違って)目鼻立ちがはっきりとしていて、南国の楽器ウクレレが似合いそうだ、というのは、妹の意見。


母が、ギターを部屋で弾くたび、ウクレレを買ったら、と私と妹は提案していたのだが、母はいいねと言いながらもウクレレを買うことはなかった。

母がウクレレを買わない理由は、聞かなくてもわかる。

我が家は、金銭的に余裕があるわけではないのだ。
その一因は、安定した職を辞めてしまった私にもある。

だからといって、数千円でも買えるウクレレを買えないど困窮しているわけではないのだが、いつも母は自身のことを後回しにしてしまう。

それでいて、いつだって心から幸せそうにしているのが、私たちの母である。

プレゼントをなかなか決められなかったのには、母が何の文句も不満も口にすることがないから、という理由もあるのだ。

朝には、冗談めかして私たちにプレゼントを催促していたけれど、私たちがプレゼントしなかったら、きっとこの先も母が自分でウクレレを買うことはないような気がした。


私たちもけっして余裕があるわけではないが、12月はボーナスの月でもある。

大好きな母のために、私たちは奮発することに決めた。

私たちが、選んだのはこのウクレレ。

イヌのヘッドのついたウクレレだ。(実際に買ったのは、ソプラノサイズ。)

このイヌのウクレレと並んで、ネコとクマのウクレレもあった。

イヌかネコかクマかでいうと、クマがいちばん母に似ているのだが、そのとき店にはコンサートサイズ(ソプラノよりひとまわりサイズが大きく、音も大きい)しかなく、近所迷惑にならないように、ソプラノサイズのイヌのウクレレを選んだ。


帰る頃には、すっかりあたりは暗くなり、気温も下がっていた。

だけど、私と妹は、ほくほくとしていた。

妹は、小さなウクレレを、大事そうに抱えている。

「お母さん、喜んでくれるかな。」
「きっと、喜んでくれるよ。」
妹と私は、何度も、確かめ合う。

「プレゼントって、あげる前から、楽しいね。」
「お母さんとお父さんも、私たちが小さかった頃は、こんな気持ちで、クリスマスのプレゼントを用意してくれていたのかな。」

私たちの幼少期、クリスマスの前にそわそわしていたのは、私たちだけではなかったのかもしれない。

「明日の朝、枕元に置いておこうか」と妹が言い出す。
ロマンチックな提案だと思ったが、
「お母さんは気づかずにウクレレを踏み潰してしまうかもしれないから、今夜直接手渡ししよう」と、私はやんわりと断る。


そして、その日の夜、私と妹は、サンタになった。






こんな季節外れの話をしたのは、この企画に応募するためです。

わくわくしたお金の使い道の記憶を辿っていたら、昨年末、母へ贈ったクリスマスプレゼントを思い出しました。
だれかの喜ぶ顔を想像しているときって、わくわくしますね。


この企画は、私の友人が企画しているものです(上の記事に出てくる「広報部の田淵」というのが私の友人)。

友人とは、以前書いたこの記事に出てくる、高校時代からの大切な友人です。



プレゼントがもらえるかもしれない企画です。
「わくわくするお金の使い道」というテーマもステキですよね。

ちょっと前にTwitterでも告知していたのですが、既に記事を書いてくださった方々、ありがとうございます!
告知した本人が出遅れてしまいました。

noteでも、Twitterでも応募できるようです!
ぜひ、みなさまも応募してみてください〜!

この記事が参加している募集

買ってよかったもの