おとなだって、夏休みを楽しむのだ
夏休みがはじまってから、たくさんの子どもたちが美術館にやってくる。
普段学芸員室の自分のスペースに引きこもっている私も、夏はイベントが盛りだくさんだから表にも出る。
子どもたちと一緒にお絵描きをしたり、工作をしたりする。
元気いっぱいのちびちゃんたちに、夏バテ気味の私は元気を吸われそうになったり、逆に元気をもらったりしている。
ちびちゃんの工作が終わり、バイバイしようと、目線を合わせるために私はしゃがんだ。すると、ちびちゃんもしゃがんでバイバイしてくれた。しばし二人でちっちゃくなってバイバイしあっていた。
別のちびちゃんは、ママさんに抱っこされて展示室で作品を見ていたが、時折ふわふわ手を伸ばそうとするので「ママにぎゅーってしてね」と言われていたのだが、その子は聞き間違えたのか、ママさんのほっぺにチュッとしていた。「チューじゃなくて、ぎゅーだよ!」とママさんは焦っていた。
いっぱい間違いながら、すくすく育っておくれ!
美術館は今日も平和だ。
そんな夏休みをエンジョイしているちびっこに負けじと、いい大人の私も夏休みを楽しんでいる。
子どものような長い夏休みはなくとも、大人だって夏を楽しむのだ。
桃のケーキ
とあるおやすみの日。
早起きをして、夫ぺこりんにケーキ屋さんへ電話をしてもらう。
桃のケーキのお取り置きをしてもらうためだ。
私のお目当てはこのツヤツヤの桃!
私のいちばん好きな果物は桃だ。
名前が桃子なので、冗談のようだが、冗談ではない。桃ちゃんの好物は桃。覚えやすいのでぜひ覚えておいてほしい。
お目当てはこのまるごと桃のケーキだったが、ショーケースを見ていると、桃のタルトもおいしそうだ。
でも、もうぺこりんはブルーベリーのミルフィーユを頼んでしまったし…と恨めしげに桃のタルトを眺めていたら、ぺこりんが追加で桃のタルトも注文してくれた。
はあ、なんていい眺め。
好きなものを好きなだけ頼めるなんて、大人になるのも悪くないな。
森とりす
ある平日の夜、エマ・ストーネクス『光を灯す男たち』を読みはじめたら、止まらなくなってソファーで夢中になって読んでいた。
ぺこりんは仕事で疲れたのか、早めにシャワーを浴びて、9時くらいにはすーすー寝息を立てていた。
まだシャワーも浴びずに、読書しつづけていると、10時になってピピピと目覚ましが鳴った。
ぺこりんが起き出してきて、「もも、そろそろシャワー浴びておいで」と言って、ぺこりんはお布団へと戻っていく。
「あれ、何か仕事とか勉強とかするために目覚ましをセットしたんじゃないの?」と私は尋ねる。そうやって一旦寝て頭をスッキリさせることがぺこりんはときどきあるのだ。
「ううん、この調子だと、ももはなかなかシャワーを浴びないだろうなと思ったから、シャワー浴びておいでって言うために起きたの。まだお弁当箱も出してないでしょ。お弁当箱は洗っておいてあげるから、シャワー浴びておいで。」
わざわざ、私にシャワーを浴びておいでと言うために起きたの?疲れているのに?
いいよ、お弁当箱くらい自分で洗えるよと言うと、いいからいいからとまたお布団から出てきたぺこりんに、部屋から追い出され、私は言われるがままシャワーを浴びる。
シャワーを浴びて戻ってくると、お弁当箱は洗われていたし、お米も研いでくれている。
私が布団に入ると、ぺこりんが目を開けたから、「シャワー浴びてきたよ、ありがとう」と言う。「あのさ、ぺこりんって私に優しすぎるんじゃないかな」と何度目かわからないがぺこりんに訴える。
「そんなことないよ。普通だよ」といつもどおりぺこりんは言う。
いや、絶対普通じゃない。
「なんだか、こんなに優しくされると、ありがたいというか、申し訳ないよ。」
「そうなの?今日はいつもとちがったかな?いつもは優しくできてるかな?」とぺこりんはなぜか別の心配をしはじめるから、「いや、いつも優しいよ。いつも優しすぎるから、申し訳ないんだよ」と私は慌てる。
「申し訳ないなんて思わなくていいよ」と言われても私が納得できずにいると、ぺこりんはつづける。
「ももは最近植物を買ったじゃん。ももはこまめに植物に水やりをしているけれど、植物は買ってもらったのに、水やりまでしてもらっちゃって、申し訳ないなとは思ってないでしょ」
「うーん、そうかもしれないけれど。でも買ってきたのは私だし、水あげなきゃ枯れちゃうし。そもそも植物は植物だし何に対しても申し訳ないとは思わないよ。」
「ぺこりんがももに優しくするのは、ももが植物に水をあげるくらいあたりまえのことっていう話だよ。」
「ん?その話の流れで言うと、私は植物で、ぺこりんに水やりをしてもらっているのかな?」
「ぺこりんのイメージでは、ぺこりんは森で、ももは森に暮らしているりすさん。」ぺこりんはちょっと得意げに言う。
そう言われたら、普通は「何を言っているんだ?」と思うのかもしれないが、ハクから川だと打ち明けられても動じなかった千尋のように、私は夫から森だと言われても動じなかった。むしろ、妙に納得してしまった。
なるほど、私は森のぺこりんに生かされているわけか。
なんだかスケールの違う優しさだとは思っていたけれど、りすが森に挑もうとしたって勝てっこないわ。
ぺこりんといると息がしやすいな、生きやすいなと思っていたのも、ぺこりんの周りにはマイナスイオンが放出されているからか。
森が木の実を落としたり、雨宿りの場所を提供したりするのは、森は森のまま生きているだけで、誰かのために何かしようとしているわけじゃないもんね。たしかに、ぺこりんは無理に優しくしようとしているわけではなくて、いつもその優しさがとても自然なのだ。
ふーむ。りすは、いつか森に恩返しできるのだろうか。
ずっと見ていたい
とある日曜日。
この日はぺこりんもお休みの日。
ぺこりんと二人でモビール作家さんの個展を見に行く。
部屋の中でメルヘンなモチーフがゆらゆらと揺れていた。
私はただ見に来るだけのつもりだったのだが、隣にいたぺこりんはどれを買おうかなと真剣に選びはじめている。
このフルートを吹いてるのもかわいいね、小人さんが足をぷらぷらさせてるのもかわいいよ、とぺこりんが教えてくれる。
選び疲れたぺこりんは、ベンチに座ってモビールを眺めていた。
「ずっと見ていられるね」と言って。
たしかに、モビールはかわいくて、ずっと見ていられるけれど、キラキラの目でモビールを見つめるぺこりんもずっと見ていられるなぁと思った。
悩んだ末に選んだモビールは、船を漕ぐ小人さんと月のモビール。
夜のモチーフだから、寝室におくつもりで買ったけれど、食卓の壁に設置した。この壁は食卓からも寝室からも眺められる。
家のどこにいてもこの静かな湖が眺められるようになった。
キラキラ
私だけおやすみの日、私は昨年の12月に男の子を出産した友人に会いに行ってきた。
友人の息子ちゃんとは初対面。
息子ちゃんは元気いっぱいで、私が抱っこしてもずっとにこにこしていた。
見た目はぷにぷにふわふわだけど、抱っこすると、じっとりとあつくて、ずっしり重たい。抱っこしていると、ふわふわ赤ちゃんのいい匂いがした。
息子ちゃんの似顔絵をその場で描く。息子ちゃんは、友人の旦那さんにそっくりだけど、キュルンとしたかわいさはやっぱり友人譲りかもしれないと絵を描きながら思う。
息子ちゃんを旦那さんにお任せして、私と友人はイタリアンレストランへ。
ランチを食べながら、もうすぐ夫が単身赴任で、4ヶ月くらい一人暮らしになるんだと友人に話した。
「ももちゃん、もしかして初めての一人暮らしなんじゃない?」友人は私に尋ねる。
そうなのだ。私は、実家を出て、ぺこりんと暮らすようになったから、一人暮らしを一度もしていない。イタリア留学中もずっとルームシェアだった。
「じゃあ、ももちゃんはまだ一人暮らしの楽しさを知らないんだね!」と友人はにこにこしている。
「一人暮らしって楽しいの?」と私が驚いていると、
「そうだよ、楽しいよ!だって、一人暮らしが終わるとき、もうこの先一人暮らしすることがないのかと思ったら悲しかったもん!」と友人は言う。
そういうものなのか。本当かな、と私はまだ疑っていたけれど、友人の顔を見ていたらこれは嘘をついている顔ではないなとわかる。もう友人とはかれこれ20年の付き合いなのだ。
一人暮らしの心細さを、寂しいねとか、頑張ってねと慰めてもらえるかなとこっそり期待していたけれど、きっと楽しいよと言ってもらったらびっくりするくらい心が軽くなった。ちょっと一人暮らしが楽しみになるくらいに。
20年来の友人は、やっぱり私の扱い方を心得ている。
友人の家からの帰りの電車で、ぺこりんに帰りの電車の到着時間を伝える。
すると、同じ電車に乗っていることがわかった。
号車を伝えると、ぺこりんが歩いてきてくれた。
さっきまで晴れていたのに、車窓は雷雨に打たれている。夏の天気は変わりやすい。でも、この雷雨ならたぶん1、2時間もすれば止むだろう。
同じことを考えていたのか、雨宿りしていこうか、とぺこりんが言う。雨が止むまで駅前で時間を潰すことにした。幸い、次の日は二人とも休みだった。
二人でウィンドウショッピングをしたり、ジェラートを買って半分こしたりする。
ジェラートを食べていたら、「放課後デートだね!」とぺこりんが楽しそうに言う。
その言葉を聞いて、私は少し泣きそうになった。
実はこの日友人に会うのが少し不安だったのだ。友人や息子ちゃんに会うのは楽しみな一方で、子どものいない私が、子どもを産んだばかりの友人に会ったら、羨んだり、嫉妬したりしてしまうのではないかと。もっと言えば、自分のいまのしあわせがちっぽけなもの、くだらないものに思えてしまうのではないかと。
ひどく狭量なことを言っているのはわかっている。
たぶん、羨ましいという気持ちもあることは否定しない。それは、私の個人的な気持ちだけじゃなくて、たぶん生物的な本能からくる気持ちもあるのではないかとも思う。
でも、本当は焦ったり羨んだりする必要はないのだ。
いまの私にはいまの私のしあわせがある。
友人には友人のしあわせがあるように。
友人がお母さんになって少し遠くに行ってしまったような気がするのは、気のせいではないと思う。友人は守るべきものができて、自分のことに精一杯のいまの私とはちがうのだ。でも、その一方で、友人は私の友人として、いまも変わらずに、優しく明るく私の背中を押してくれる。変わるものも、変わらないものもある。
キラキラして見えるものに憧れる。
でも、たぶんみんな自分では気づかないキラキラを持っている。きっといまの私だって、いつかの私が見たらキラキラして見えるだろう。
みんなと無邪気に同じ目線で語れたあの頃も楽しかった。
だけど、あの頃には思い描くことすらできなかったキラキラを私もみんなも手にしているのだ。
ぺこりんの誕生日
ぺこりんの誕生日祝いとして、午前中はクラシックコンサート、お昼にスペイン料理屋さんを予約していた。
コンサートは、夏休みだから、親しみやすい名曲ばかりを演奏してくれた。
コンサート会場を出て、灼熱の太陽の下、スペイン料理屋さんへと向かう。
店の中は、昼間なのに夜のように薄暗くて、それだけで、別の世界に来たみたい。
冷たいサングリアで乾杯した。
クリスマスに訪れたこのお店にもう一度行きたいと言っていたぺこりんのリクエストで、このお店を選んだ。
平日の昼間だったから、客は私たちだけ。
どの料理もとろけるようなおいしさだった。シェフが直接席まで運んでくれるから、私たちは何度も直接おいしいですとシェフに言えた。きっと言われ慣れているだろうに、本当ですか?とシェフははにかんでいた。
その日の夜、ぺこりんから「誕生日を祝ってくれてありがとう」と言われる。
「こちらこそ、いつもありがとう。お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。」
本当に毎日思う。この人が生まれてきてくれてよかった。この人と出会えてよかったと。
「みんなぺこりんのことお祝いしてくれたね!」
「みんな?」私が尋ねる。家には私しかいない。
「ケーキ屋さんのパティシエさんも、モビール作家のお兄さんも、コンサートの楽団の人たちも。スペイン料理屋さんのシェフもみんなぺこりんのこと祝ってくれたよ」ぺこりんは満足そうに言う。
特に誰にも誕生日とは伝えていないし、そもそも誕生日じゃない日の出来事もあるし、誕生日おめでとうと言われたわけでもないけれど、たしかに、みんなそれぞれにぺこりんと私のしあわせをつくってくれた人たちだ。
しあわせそうに笑っているぺこりんがかわいくてかわいくて、私はまた少し涙が出そうになる。
「そういえば、聞いていなかったけれど、ぺこりんの34歳の目標は?」と私は聞いた。
「ぺこりんは、いまのぺこりんのままがいいな」と言う。
あまりにも、ぺこりんらしい答えだったから、私は笑ってしまった。泣き笑いした。
そうだね、ぺこりんはいまのぺこりんのままがいいね。これからもやさしくてかわいくておもしろいぺこりんでいてほしい。
部屋には、ぺこりんの引越しの荷物がまとまっている。
少し寂しいけれど、お盆明けから年末まで4ヶ月ちょいの辛抱だ。
ぺこりんの出発まであと少し。
ぺこりんと一緒に過ごせる今年の夏は、もうちょっとしかないけれど、目一杯楽しむつもりだ。