
目がしゃべらない息子と耳で見れない私と白杖のことば
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
この本を手にしたのは、目の見えない息子を理解したいと思ったから。
息子の数々の病気や障害に対して、学問的に、上っ面を撫でる、「理解したい」だったように思う。
目の見えない息子をどう育てれば良いのか、有りもしない正解を求めてもいた。
強くあらねば、かくあるべき障害児母として。なんて。
ガチガチに知識で武装して、ガクガクに障害に震えていた。
医者「この子は瞼を開けて眼球を露出したところで、見えるようになりません。光さえ感じていないでしょう。」
とんでもないマイナスから、ちょっとプラスになって生き延びた命。
目が見えないことを取り上げて悲嘆に暮れる余地がなかった。
しかし、生き延びた先に徐々にリアルな生活が見えはじめた。
そう言えば、私の周りには目が見えない人が一人も居なかったし、どんなふうに育てられたのか、どう大人になったのか、私は何も知らない。
聖書のように分厚い育児書にも、目の見えない子や耳の聞こえない子、身体が動かない子の子育ては載っていない。
私の人生で見えて来なかった、「目の見えない人」を自分の感覚として取り込みたかった。
この本で「変身」しようと試みたのだ。
筆者は言葉を尽くして、見えない人の見る豊かさを、見える人の思い込みの死角を顕にする。
感覚の欠如がもたらす問題はディスコミュニケーションだ。
例えば、目が見えないから、単純に耳や他の入力を強化すること。
義理の両親は
「クラシックを聞かせたほうがいい」
「ハンモックを買ってやろうか」
と言うのだった。
「障害児は揺らすのがいい」というにわか知識で感覚刺激を入力するにはハンモックだったのだろう。
本人はと言うと、電子音はお嫌いで、音楽より人が自分に話しかける声、子供の声には敏感だ。
赤ちゃん時代に自分の指や足をなめて発見していく身体を、治療のために身体拘束されていた息子は開発できないまま育った。
著書では成人の盲目者が主で、意思疎通が可能だ。
目の見えない人を一般化できないとはじめに書いておられた。
言葉での意思疎通が不可能な全盲のこども。
息子の世界を知ることは叶わないのか。
手がかりがひとつあった。
子供の母親への体の終着は凄まじいものがあります。
執着というよりニ、三歳ぐらいまでは、母親の体を自分の体の延長だと思っている節さえあります。母親と自分の境界線が曖昧なのです。
確かに、母子の境界線の曖昧さを実感する。
息子は私に抱かれると安心しきっているようで寝てしまう。
私がリハビリやマッサージをしようとしても、リラックスしてだめなのだ。
一方、作業療法士さんが声をかけて触り始めると「他人」だと認識して緊張感が生まれ、きちんと「感覚刺激」として入力する。
見えない身体、聞こえない身体、動かない身体。
さまざまな乗り物に心が乗っている。
どう操縦するか?
ポイントは「ユーモア」だそうだ。
見えない人の横にいる人(私)が見えない身体に「変身」しようと本を手にした5年前。
そして今は深刻になり過ぎずに、横にいることが普通で心地よくなった。
障害のある人と「ただ一緒にいること」が、実は難しい。
支援者になったり、何もできないことに「いたたまれない」気持ちを持っていた。
これは時間が解決していくのか、慣れなのか。
障害を新しいメガネとして、世界を見ることが楽しくなってくる。
その世界の白杖はことばであったり、何より息子なのだ。
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